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#6 学校教育と幼児教育のルーツのちがい

「プリミティブな教育」シリーズとして、太古の教育のことや自然とともにある教育について、調べ、感じたことを綴っています。

今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。

また、子どもたちも、子どもと一緒に過ごす大人も、生活・時間・人間関係などの面で無理がない形(継続)ができるようにと願って集めたことです。

今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。

#1はこちらからどうぞ(#1 狩猟民族の子どもたち

こんにちは。幼児教育と社会をむすぶ、幼児教育ドラマトゥルクとして活動しています、塚田ひろみです。

今回のテーマは、小学校から始まる学校教育と、幼児教育のルーツについてです。


日本では、法律上は同じ「学校」なので、連続した流れのように感じられることもあるかもしれません。

先生方も、幼稚園・保育園と小学校をどのようにつないでいくか、日々試行錯誤されていることと思います。


ですが、ここ最近は、そもそも、生まれた理由も、ルーツも、違うもの。小学校からはじまる学校教育と、幼児教育とは、別物なのではないかと考えるようになりました。

どちらが良い、悪いではなく、別のものとして捉える。また、縦に結合するのではなく、共存すると考えると、新しい可能性が拡がるように思ったのです。

学校のルーツとは?

ここで取り上げるのは、現代の、数十人の子どもが集団で過ごし、先生がいて、一斉に授業を受ける、という形態の学校です。江戸時代の寺子屋のようなものは、ちょっとまた別です。

国によっても様々事情はありますが、そもそも、子どもに何かを同じように教える必要性は、農耕や労働の必要性にはじまります。

安定して農作物を収穫する必要性から、しっかりとした働き手を増やす必要が有る。そこから、人が人を管理をするという発想が生まれたと言われています。

子どもたちも、その流れの中で、将来の安定した働き手として育てられるようになりました。

違う流れをつくろうとした新教育運動

過去には、「新教育」という発想によって、総合的な活動、人格形成を目的とした学校がつくられたことも有りました。日本でも、大正・明治にそういった<新教育運動>と呼ばれる動きが見られます。

しかし、こうした「新教育」の流れが主流になる事はなく、大筋としては、一斉に・管理する、という発想が現代まで引き継がれてきました。

それはなぜか?人口が増えたり、経済的な発展を急ぐという社会背景が、理由ではないかと考えています。

アメリカの学校教育の変遷を見てみても、人口増加による、学校数・クラス数の増加などから、先生を増やす必要が出てくる。そうすると、若い先生もすぐに現場で使えるような

<誰でも、効率的に教えられるノウハウ>

が必要とされる。そうして、教育工学を発展させてきたという時代背景があります。

時代は変わり、求めるものが変わってくる中で、学校の目指すものも、一律に同じものを教えることではなくなってきています。

けれども、そもそもの学校のルーツには、【効率よく、教える】という事が、多くを占めています。

幼児教育のルーツとは?

幼児教育のはじまりは、ルソーが子どもという存在を発見したことに由来すると言われています。

人は労働する、という宿命のような流れの中から、子どもという存在を別のものとして、抜き出したのでしょう。

また、幼稚園を発明したフレーベルは、<子どもに宿る神性>に着目していたと言われています。

両者の子どもの捉え方を見る限り、労働や勤労、あるいは【効率よく、教える】というものからは、一線を引いているように見えます。

ライフロングキンダーガーテンというサイクル

また、MITからうまれたライフロングキンダーガーテン(Lifelong Kindergarten)、一生涯つづく幼稚園、という概念によっても、学校と幼児教育の違いを実感しました。

このライフロングキンダーガーテンとは、幼稚園(幼児教育の場)での学びを、以下の5サイクルと捉えるものです。

1 Imagine(想像する)
2 Make(つくる)
3 Play(あそぶ)
4 Share(分かち合う)
5 Reflection(振り返る)→また1へ戻る

この活動は、Lifelong、大人になっても、ずっと続くもの。MITのような大学の研究者も、ビジネスの世界(管理され働く、というものではなく、自ら価値を創り出すようなビジネスです)でも、実践されていることなのです。

幼児教育は、【効率よく、教える】よりも、人間の中にある、なにかを生み出す喜びに着目した教育活動であると、考える事ができます。

幼児教育への注目

日本でも、幼児教育が着目され、幼児教育無償化もスタートしました。

そのきっかけになったのは、ジェームズ・ヘックマン博士の『幼児教育の経済学』という本でしょう。

社会的な投資効率からの注目だけではなく、そもそもの幼児教育における人間活動の捉え方によって、注目が高まってくれたらと望みます。

冒頭にも書きましたが、学校教育と幼児教育の、どちらが良い、悪い、という事ではありません。どちらも人間活動の資産です。


幼児教育での活動が、大人になっても続くものであるならば、幼稚園・保育園の卒業とともに、その学びを終わらせるのではなく、どこかに、その学びのサイクルを継続するような、融合の可能性を想像できます。


また、幼児教育が、学校教育の先取りに大半をゆずることも、再考するきっかけになるかもしれません。


そうした事が、「主体的な学び」という、学校教育の世界が向き合っている課題を助けてくれるのではないでしょうか。それは、幼児教育が本来持っているものと言えるのではないでしょうか。


【参考文献】
『遊びが学びに欠かせないわけー自立した学び手を育てる』(ピーター・グレイ, 2018, 築地書店)

『ライフロング・キンダーガーデン 創造的思考力を育む4つの原則』(ミッチェル・レズニック, 2018, 日経BP)

『プレイフル・ラーニング ワークショップの源流と学びの未来』(上田信行, 2012, 三省堂)


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