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India~Bangladesh 2016.2.28-3.21 ②

(前回の話はこちらから)

3.日々の旅の記録 つづき

2月29日   月曜日 晴れ すずしい
起きがけに熱い紅茶を一服。

↑これ(日記に貼り付けた)がビジネスクラスからエコノミークラスに変更され、香港ドルの返金があったチケット。
なかなか出発GATEも決まらなかった。

HYATTの4F 402号室、カーテンを開け窓の外を見る。
空はどんより、スモッグらしい。庭には大きなプール があり高級感漂うホテルの景観なり。
中野さんが色々私の行くところをスマホで検索してくれている。

本当、ありがたや~。ありがたや~~~~!

朝食を食べにホテルのレストランに行く。
昨夜は深夜便で中途半端な時間、しかもCX(キャセイ)のごはんはおいしくないので夕食(の機内食)はパスしたので今朝はお腹が空いてぐうぐうなっている。

中野さん達が迎えの会社の車に乗って出かけたのを機に私は大きい荷物をホテルに預け、時間潰しにホテルのまわりを散策。
どうやら貧民街らしい。
「写真をとってもいいか?」と声を掛けると男達は決まってあいそ良く笑いをふりまいてポーズをとる。くったくない。
外は散策には汗ばむ。現在8:00〜9:00頃。 
丁度、朝食の時間らしい。屋台に男性のみがカレーを食べている。
付近の家々には洗たく場があって女性達がそこここの洗タク場に集って、賑やかにサリーのせんたくに大忙し。洗ったものは近くの道路の塀に干している。
9時30分、もう時間を費やす所も無くなったのでエアーポートへとタクシーで行く。
搭乗券に替え、荷物を預けてひと安心。機内食はないだろうと思いラウンジで取り置きしておいたパン2ケを熱いコーヒーと共に食べる。

AIR INDIAは予想に反して時刻通り出発した。11時45分発インパール行きだ 
12時すぎお昼の機内食が出た。ビックリポンや~~→

オートリキシャの駐車代    20R
慰霊塔管理者に         50R
ロとパチン村 慰霊碑 往復  600R
空港からホテルまで タクシー 370R
コルカタのホテルから空港迄 タクシー 400R
インパールのホテル代 朝食付き    1950R
インパールーーーーコヒマ   バス代 
6時発−10時着 600R   
10時発−16時着 400R

中野さんもおすすめ、私もは花丸を印していたclassic HOTELに決める。
空港からタクシーに乗りHOTELへ。部屋は空いていた。シングルルームを注文。部屋をチェック。うん、うん、清潔できれい。迷わずここに決める。

午後は兎に角「ロクパチン村」へ向う。
ホテルの係員の口添えでオート力車をチャーター。これが間違いのもと。やっぱり自分で交渉すべきだった。以後気を付けるべし。

ロクパチンの慰霊塔に線香を供える。ポリスマンが機かん銃を持って3~4人でここを警備。目と鼻の先の小高い二つの丘が激戦だったと墓守りのおじいさんが教えてくれた。多分これがレッドヒルだろう。
帰りがけマニプールの大きな市場に案內してもらう。どこにこんだけの多勢の人がいるのか。芋の子を洗うとはこの事だ。うじ虫が湧き出る如く人が湧き出てくる。

ここインパールの人達は本当に日本人とよく似た顔つきをしている。
店々の叔母さんと「一緒の顔だネ~~」と言っては笑って、お互い親しみを感じた。

ホテルに戻り、明日行くコヒマのバスチケットと出発時間とバスターミナルを調べておかねばならない。
パソコンで調べた通りここのホテルからは数分の所にバスチケット屋が10軒位連なってあった。2〜3カ所当たってみたが同じ値段でした。
インパール出発 6時ーーコヒマ着10時
迷わず 6時出発(600R)のを選ぶ。やっぱりホテルのお兄ちゃんに頼まなくてよかった。何でも自分で確認することが  重 要 だ !

明日のバス移動が4時間もあるので水の確保が必要。

ペットボトルの水を買いに外に出掛ける。スーパー・マーケットは見当たらない。さっき買ったバスチィケット売り場を通ったので水を売っている場所を聞き、ついでに兄チャンお勧めのご飯屋さんを教えてもらう。
教えてもらったレストランはこのバスチケット売り場から三叉路の大きな道を隔てた向かい側にある。
力車、じてんしゃ、車が右往左往。信号のない交差点なので一緒にレストランまでホローしてもらう。

ここがまた う ま い    !  しかもたったの60ルピ〜〜〜〜〜〜。
おいしかったけどホテルに戻りお茶を沸かしケーキとりんごを食べてゆっくりくつろぐ。(因みに)水1L−20R

明朝6時出発なのでこのホテルのモーニング(6:30分)が間に合わない。フロントに夕食の帰りがけに立ち寄り交渉。その結果5:30にレストランに行くことになった。
  ダ メ も と で 交 渉 あ り き よ 〜〜〜〜〜〜〜〜→

インパールという町は特に大きなビルが立っているわけでもないが、とにかく人がいっぱいで賑わっている。
たぶん、このホテルのあたりが街の中心なんだろう。

慰霊碑のあるロクパチン村はここからオートリキシャで30分あまり。みわたすかぎりの田んぼ。運転手の話では6月頃は稲が植えられて一面緑になるらしい。竹林もそこここにあり日本とよく似た風景である。
しかも前にも書いたように顔の作りは日本人そっくり。インド人とは思えない。
こんな所で戦争があったなんて! 何のために! 誰のために???

つづく

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今回の旅は第二次世界大戦で戦死した叔父の慰霊のための企画でした。 叔父の戦歴を取り寄せて調べてみると五年間の戦歴が詳しく書いてありました…

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