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映画「ライムライト」の台詞と演出について徒然と

もう様々な評価、論評は出尽くしてる感があるので、作品の核となるような部分ではなく、見過ごしてしまいそうなシーンを語ってみたいと思います

「ライムライト」(1952)について

忘れた頃に見たくなる映画ってないですか?
私にとってライムライトはそんな作品の一つです
先日見た際に気になった台詞をメモして抜いていたので、その中から3篇を紹介してみます

以下、堅苦しいので、ですます調をやめます(笑

前半、生きる意味を失くし未遂を試みたダンサーに主人公の喜劇役者が述べるシーン

「人生は願望だ、意味じゃない。人生は全て願望だ。薔薇は薔薇になろうと望んでる。岩は岩になろうとしてる」
生きる意味を問うより、あなたがあなたになればいいよとさり気なく述べられる台詞
何気ないシーンに暖かさがあった

会話は陽気にさり気なく続き、強い芯が込められていく

「観客は好きだが信じられない。個人としてはいい人達だが集団になると頭のない怪物で、どっちを向くかを知らず、どの方向にも向けられる。だが、その前に朝食だ」
この台詞、一人一人では普通の人が、いざ固まりになると在らぬ方へと行きかねないという集団心理の危うさを述べたシーンだけど、重たくなり過ぎないよう、まずは朝食を♪という形で軽く閉じられる

物語の中盤にも届いてないのに、ハッとさせられる台詞が至るところに散りばめられている
観客に対して、決して説教臭くならないようにこうした台詞は慎重に、カメラは寄って撮ることもなく配慮されている

「誰にだって生きる苦労がある。それが人類の十字軍だ。こだわることはない。忘れるんだ」
この台詞「こだわることはない」と述べるまで主人公は窓に向かい外を見ている素振りで、カメラは少しロングに後ろ姿を映している
観客は主人公の背中しか見えない
しかし、この台詞を述べながら振り向き、表情が柔らかいことに気づかせ「忘れるんだ」という言葉と同時に見る側は安心する(作り手側から言えば、安心させる)
このシーンは傷心の若いダンサーにも、観客にも向けられたメッセージなのではないかと感じる

たぶん、ここまで映画を見る人に対して様々な配慮をしながら、同時に伝えたいことを貫く映画はそうないと思う
何度も見ることでその度気づかされる映画は、時代を超えて残っていくのは必然なんだと思う

中盤以降は未見の方にはネタバレになってしまうからあえて書かないが、物語はより深く、愛情に満ち溢れていく

さり気ない何でもない日常シーンに、人によっては流してしまう台詞とか、沁みる台詞、笑う箇所、泣く箇所が違ってくるのは(誰一人同じ人が居ないのだから)当然だけど、同時に見る側への伝えたい思い、訴えが多くあるからこそ、この違いは際立つのだろう

「ライムライト」は、一人一人に命と思いがあって、それが作品の外、観客を含めて巻き込んでいく映画だ

私は久しぶりに見て、この作品のカメラワークと演出技巧について改めて感銘を受けたのだけど、現在とは画面比とか構図は全く違うものの、この技法の延長線に多くの映画があるのだろうと思う
注)日本映画、ヨーロッパ映画はまた違った独自の視点と深度があると思う

ライムライトは1952年の作品なのでリアルタイムでは知らないのだけど、でも昔の映画に触れることは、タイムマシンに乗ることと同じだと思う
下手に現代のタイムリープものを見るよりもずっと時間の旅を満喫出来る
私は近年、古い作品に惹かれてると思う

そうは言っても「ライムライト」の他にも好きな作品は多々あります
しかし最近は、特に古い作品に興味があります

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