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何もしない最高な贅沢を迎えに、島へ。

先週の3連休と合わせて、東京都の離島である神津島に行った。
今まで海を楽しむような離島に行ったことが無かったので、これが初めて。
とても最高で心も体も幸せだったので、ここに残しておく。

まず、神津島は何もない。
京都や大阪のような分かりやすい観光場所はない。
けれど、豊かな自然と、温かい人と、美味しいご飯は沢山ある。

神津島で、人が住んでいる地域はとても限られていて、島の大部分は山。
だから、この島では登山も、海も遊ぶことができる。
天上山という山の半日ハイクをしたのだが、草が生い茂っている箇所や砂漠の箇所(まるで火星みたい!)、青々としている箇所。
沢山の表情を持っていて、歩いていても飽きない。
何より、ガイドの人が豊富な知識をお話ししながら歩くので、ずっとワクワクしていた。
後々調べると彼は移住してきたそうだ。
でも移住したくなる気持ちが分かるくらい、魅力的な山だった。

岩肌からみる海の街

赤崎湾は透き通ったエメラルドグリーンの水の中をシュノーケリングして、沢山の魚と泳いだ。
初めてシュノーケリングをしたので、呼吸がうまくできなくて、後半はちょっと喉が海水で痛かったけど、魚を近くで見ることも、ただただ青空に顔を向けてプカプカ浮いているのも気持ちよかった。
自然を感じて、自分自身が自然と一体になっている気がした。

飛び込みもして、小学生のような童心に帰った気持ちだった。

民宿に帰ると、お母さんが「おかえりなさい」と声をかけてくれる。
「晴れて良かったね」とか「暑かったでしょ」とか。
民宿なので、廊下や風呂場に虫がいたり。
そんなところも、まるでおばあちゃんちに来たような懐かしい気持ちになった。
海で遊んで、疲れて、お風呂に入って、昼寝して、沢山のご飯を食べて、寝る。
星空ツアーが曇天のため、中止になったので、街散策でもするかと普段のテンションで家を出ると、街灯はほぼなく、真っ暗。
そうだ、これがもともとのあるべき姿だよなあ、とか思いながら玄関で鉢合わせた他グループのおじさんとクラフトビールのお店まで散歩したり。
元々の自分の性格もあるが、島の穏やかな雰囲気で気持ちを開放的にさせる。
おじさんは何と大阪出身の人だった。
でも自分とは逆で、今は東京に住んでいて、東京のドライな関係性が心地よいらしい。

これに限らず、沢山の予期せぬ交流があった。
歩いている時に、つばめが沢山飛んでいて、不思議がっていたら、「つばめの巣がここにあるのよ」と教えてくれたおばあちゃん。
朝、海辺を散歩していたら、話しかけてくれた民宿をされているおばあちゃん。
「おばちゃんが若い頃はね・・・」って入りで、沢山島の昔話を聞かせてくれた。
20年前くらいまではもっと多くの観光客がきていて、受け入れる島側の負担が大きかった話とか。(これは今も多くの地方都市が抱えている問題かも・・・?)

島では島民たちの昔話が伝承の形で、冊子になっている。
それは温泉施設や島の資料館で見ることができるのだが、戦時中の話や(千葉まで船を漕いだ話など!)、昔からあるお祭りの話など、当時の暮らしぶりが分かって、とても面白かった。
本や活字が好きな自分としては、この取り組みは旅行客や移住者など、その土地に元々住んでいなかった人も、地元の暮らしや歴史が垣間見れるので、繋がりを感じられるし、とても素敵だと思った。
他の地域でもやってみたら面白いだろうな、とか。

最終日はもうほぼ、観光しつくして、ただボ~っと海を眺めて、波の音を聞きながら昼寝をしていた。
いつもは波の音を携帯で聞いて、瞑想や昼寝をするので、自然の実際に自分の耳で波の音を聞きながら、なんて贅沢なんだろう、と思った。

船で東京へ帰る時、島の人が(子供たちも含めて)、大勢堤防まで来て、手を振ってくれた。
船の乗客も自然と手を振っていた。
今は令和だけど、今の時代に似合わない、心が温かくなる風景がそこにあった。
自分は旅行できているから、島の人が優しいのかもしれない。
でも、そんなことも気にならないくらい、豊かで幸せに満ちていた時間だった。
都会で生きていくことや、心が疲れた時に、こうやって島に行くのも癒されると思った。
もちろん、都会ではせかせかした消費する日々が待っているけれど、何もかも嫌になった時に、「島」の選択肢を知っているだけで、どうにかなるか、と割り切った気持ちになれる。

今回の旅では、曇天のため、星空や夜光虫を見れなかった。
これは再び、また神津島に来よう。



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