ずっと歌を歌っている

 ずっと歌を歌っている。それを見た(聞いた?)人は「ご機嫌だね」と僕に言うけれど、大きな間違いだ。僕は本当にまじめに、真剣に、怒りながら、頬の側面を嚙みながら、歌っているのだ。ファイトポーズをとるみたいに。歌を歌うことは僕の人生における基本的姿勢のようなものだし、僕は本当に真剣に歌っているのだ。楽しくなんてないし、うきうきなんてしていない。頭の中に浮かぶ嫌な予測だったり、何か月も前の幸せな、特にすでに失われてしまった幸せな思い出だったり、そう言ったものが脳内で広がってシミを作らないように歌っている。それはアルコールやニコチンの果たす効果に似たものがある。僕は楽しむためにお酒を飲まない。アルコールは心を静かにする。煙草もそうだ。それらが体に入り、様々な物質が脳の働きを阻害する。それによって僕は何も思い出さなくて済むようになる。誰のことも思い出さない。忘れたいことはいつになっても忘れられないけれど、思い出してもそれは過去の領域を出ない。現在を侵食し、現在の僕の心を乱したりはしない。だから僕は歌を歌い、ウィスキーを飲む。
 もう僕の元から去った人が、どこで何をしていようが、幸せであろうが、不幸せであろうが、僕には関係ないはずなのに。彼らがどうあろうと、もう僕には彼らにまつわる過去の思い出しか残されていないのだし。それでも僕は、毎朝新鮮に彼らの不在を悲しく思う。彼らがいた季節が過ぎてしまったことは悲しく思い出され、彼らがいなかった季節が訪れることは悲しく思う。彼らが僕に言った言葉は全て、血管に入った気泡のように心臓に詰まっているし、僕が彼らに言った言葉は全て、宛先不明の手紙のように僕の口の中に詰まっている。去った彼らのことは美しく思われるし、残された僕のことはとてつもなく醜く思われる。

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