僕が聞きたかったこと

 小さなころから怖がりだった。ユニバーサルスタジオジャパンのアトラクションが怖かった。赤く目を光らせたターミネーターが怖く、小さかった僕は祖母の腕に顔を埋めて怯えていた。サーカスのライオンの鳴き声が怖く、開演十分後にテントを出た。花火の破裂音が怖く、一時間かけて連れて行ってもらった花火大会を初めの一発で帰った。
変わることが怖い。何も変わらないものなんて無いからこそ、それを分かっているからこそ怖い。決定的に、不可逆的に変わってしまうその瞬間までは何も変わらないのだと信じていたい。何事にもいつか終わりが来るからこそ、その終わりまでは何も知りたくない。「何も変わらず、終わりはない」のだと信じていたい。核戦争が起こるのなら、連鎖反応のその初めの瞬間までは知らずにいたい。
 それでも、周りの物は全て常に変わり続けるし、終わりへのプロセスの最中にあり続ける。息を吸うその数秒で死に向かう。寝て起きるとまた一日終わりに近づく。
 来年の春が怖い。来年は一人かもしれない。木蓮が咲くのが怖い。シナモンの匂いを嗅ぐのが怖い。夕焼けを見るのが怖い。図書館の側を通るのが怖い。バスに乗るのが怖い。タイタニックを見るのが怖い。身長の低い女性を見るのが怖い。特定の地名を聞くのが怖い。彼女の隣で街を歩くのが怖い。何かを見るのが怖い。何かを聞くのが怖い。何かを知るのが怖い。見たもの聞いたこと知ったことがいつか僕を苦しめるから。
 いつかその日が来た時、幸福な記憶で満たされているこの街は僕を殺すだろう。僕は道を歩くその足取りにさえ彼女を思い出すだろう。一歩ごとに僕はすり減るだろう。手のひらを見てそれを包んでいた彼女の手を思い出すだろう。鏡を見れば、その顔を見ていた彼女のことを思うだろう。紅茶を飲めばそれを好きだった彼女を思い出すだろう。コーヒーを飲めばそれを嫌いだった彼女を思い出すだろう。
 春が怖い。桜が咲くのが怖い。今年の夏だって怖い。また一人の夏かもしれない。彼女が笑うたびに、残された微笑みの回数が一つ減る。季節が変わるたびに、僕らは終わりに大きく近づく。
「君の好きな人がいつか変わることが怖かった」映画を観た帰り、どこかのホテルの旗竿に結ばれた東欧の国旗の前で彼女が言った。「だからあの日は断ったの」僕が告白を受けたすぐ後だった。
 その九日前の夜に僕はその彼女に振られた。振られた夜は酷い気分だった。ウィスキーを何杯も飲んだ。便器に吐き出した物には血が混じていた。アパートの廊下にカエルの鳴き声のような僕の声が漏れていた。でもその九日後に、彼女が僕にそれを持ちかけてくれた。
「気分屋だから振り回すと思う」と彼女は言った。
「フィッツジェラルドの小説みたいで素敵だ」と僕は言った。
 僕にとっても彼女にとっても、互いが初めての恋人だった。僕の頭は想像以上に静かだった。東欧の国旗の前で彼女の恋人になったその瞬間から、僕はいつか来る終わりの日のことを思っていた。僕の方だって怖かった。僕の方がよっぽどそれを恐れていた。彼女はいつか僕の元から去っていくのだ。それがいつなのかは分からないけれど、いつかきっと。何も確かじゃない世にあってもそれだけは確かで正しかった。全ては終わりのプロセスにあるのだ。
 アルコールは僕らを助けてくれない。根源的な恐怖は消えない。眠りについたって状況は変わらない。何かが続いている限り、それは終わりを孕んでいる。僕らが生きている限り、死は僕らの眼前で銃を構えている。僕らは目を潰すべきか?視力を奪ったって聴覚は残っている。彼女の声が聞こえる代わりに、空襲警報のサイレンの予感がそこにある。
 トム・ハンクスに抱かれたい。耳元で「上手く行くさ」と囁かれたい。It’s gonna be alright.ブラッド・ピットに殴られたい。「いつか死ぬってことを頭に叩き込め」はい。ビール瓶を路肩に投げろ。煙草の吸殻を芝生に落とせ。桜は散るから美しい、なんて言うやつを片端からモップで叩け。彼らは来年になればまた花が咲くことを忘れているから。使い捨ての綿棒のことを忘れているから。いつか全部終わるから。

 タイトルはThe1975の「All I need to hear」より。

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