カウンセリング日記
2月からカウンセリングを受けている。
それが、じわじわと自分に効いている感覚がある。
これまで、気持ちのアップダウンや、何かを始めては没頭し、その場から消えてしまうようなことを繰り返したり、頭痛が長年酷かったり、5〜6年前にはパニック症が始まったり
そういう流れをみると、よくカウンセリングを受けてこなかったなと思うほどなのだけど、結局は「自分でなんとかなる」という思いが強かったのだと思う。
色んなメソッドにはまっては、これで変われるんだと何度も思った。
もちろん少しも変わっていないわけではないけれど、玉ねぎの皮を向いても向いても、核になる痛みに到達しない感覚というか、どうしてもひっかかる、苦しみがあった。
言葉にするなら、何かやりたいと思った時のそれを止めてしまうような葛藤とか、人からの評価を極度に恐れることとか、パートナーへの強い依存とか。
そして、昨年末からは思い切って旦那さんとの共依存状態に一層目を向けて、変わろうとしてきたけれど、生きるために生み出した「依存」を自分で解くのはものすごく難しく、夫婦共にとても不安定な状態になった。
時に、母に介入してもらったりしつつ、やっていたけれど、「もう限界」という時が来て、友達にカウンセラーさんを紹介してもらった。
それがすごく良かった。
本当に耳を傾けてもらっている感覚
最初は、カウンセラーさんがあまりに話をしなくて、聴いている時の相槌も、とても静かで、驚いた。
ただただ、取り留めもなく、相手本位の大袈裟なリアクションや、相槌、アドバイスもなく、話を聴いてもらえることというのは、本当に無かったんだなと、カウンセリングを受けて感じた。
聴いてもらえること、話があちこちに飛んでもいいこと、というか、何を話さなくてはいけないということもなく、ただただ出てきたことを話せること。それに涙が出た。
聴いてもらえるということは、自分の存在をそのまま聴いてもらえる、自分の今を、わかりやすい陳腐な肯定の言葉ではなく、本当に肯定されているのだという感覚を感じた。
最後の10分ほどの時には、カウンセラーさんがぽつぽつと質問や話をしてくれる。その時間の、心の奥の響き方がすごかった。
とにかく頑張ってきた自分
私は、記憶では小中高のあたりは思うままに生きているという実感が残っていた。やろうと思うことはうまくできるし、どちらかといえばクラスの中心にいるような感覚で、人が怖いというよりは、きっと私は怖かっただろうなと思っていた。
そのくらい、無理をしていた印象が無かった。
ただ、男性依存がすごく強かったのはとっても苦しんでいたことで、「自分」しか知らない自分は、それが当たり前なのだと思っていた。
みんなこんなに苦しいのか?と。
今思えば、あの時点でカウンセリングを受けたかった位だ。
そして、問題としては幼少期というか、そのあたりは母に殴られたりする記憶があって、どうにも人生がうまくいかないのは、そのあたりの無意識レベルのものに感じている。
しかしその、幼少期と、小中高のあまりの違いを、なんとなく心地悪く感じていた。どれが自分?というような。
幼少期の自分は、スーパーなんかで母から離れるのが怖くてくっついていて、妹はさっといなくなるような感じ。家族で出かけて帰ってきて、車から家に抱っこされて運ばれる時に「持ちやすいように」としがみ付いていた記憶。
でも、年長くらいかな、鼓笛隊の指揮者をやったあとくらいからは、目立つような、どっちかというと力強い感じの自分だったように思う。
高校卒業目前に、グループから仲間外れにされたのをきっかけに、自身のある自分から、人付き合いの怖い自分へと転換したことを覚えている。
恐怖をベースにした生き方が、高校を卒業して東京に出た私の生き方で、過剰に人の期待に応えては倒れることを繰り返した。
カウンセリングを受けていると毎週色んなことが出てくるけれど、まず、パニックの原因としては「人にたよってはいけない」「全部自分一人でやらなくてはいけない」という頑張りが原因だと思うと言われた。
「安心して人に頼れるようになったら、ちゃんと治りますから」と言われて、ものすごく安心した。
これまでの、エセスピリチュアルな人たちの言葉は、体験のともなっていないものだった。体験というのは、自分自身が変化した体験という意味ではなくて、実際にプロとして精神疾患の人に寄り添って寛解に立ち会ってきたという体験のこと。
エセスピリチュアルの人たちは、そういう実際に立ち会ってフォローしてきた体験が無いのに、自分が変わったメソッドで誰もが変われると思っている危うさがある。それは本当に危険なことだと思う。
特に、精神疾患まで出ている人は、根が深かったりするし、的確な関わりでないと、かえって「その人に応えよう」と一層頑張ってしまうから。
だから、中途半端な経験で、精神疾患者に関わらないで欲しいし、精神疾患を持っている人は、ちゃんとプロの人に任せるべきだと、今は思う。
気持ちが溢れて、横道に逸れてしまったけれど、私は自分の気づいていなかった頑張りに少しずつ気づき始めた。
こんなに頑張って、人に合わせて生きてきて、それが認められなかったら、生きていけないよね。と。
頑張ってきたこと、その辛い生き方を実感しはじめた。
旦那さんへの見方が変わる
共依存に取り組み始めた頃は、「お互いに足を引っ張り合う」共依存状態が恐ろしくて、部屋をカーテンで仕切ったり、極力会話しなかったり、食事も別々にしたり。避けていた。
何かの拍子に大げんかになり、自分のエネルギーが消耗してしまうのが怖かった。
でも、カウンセリングを受け始めてから、旦那さんへの見方が変わった。
自分がどれほど辛かったかということ、どれほど張り詰めて生きてきたかということを実感し始めたら、旦那さんも同じように苦しんできたんだと、感じるようになった。
張り詰めている状態で「私が体調が悪いのは、あなたのせいだ」的なことを言われたら、どれほど辛かっただろうとか。(それはひとつの事実なのだけど)相手の心のうち、頑張りに思いやりが向くようになった。
そうすると、相手との関わりが変わってきて、そういう思いやる言葉が自分から少しずつ出てくるようになった。
すると、相手から、ポロッと「自分も辛い」という言葉が出てくるようになった。「お互いに辛かったんだね」「辛い中でも相手を大切にしようと、必死だったんだね」という思いやり。
そんな時間がしばし続いた後に、旦那さんが、私が受けているカウンセラーさんのカウンセリングを受けてみるという話になった。
いつもは、何かに飛びついて、わーーーっとなってしまう私が、今回はとても落ち着いていて、今までで一番変わっているように見えるからと。
私は、それで随分と肩の荷が降りた感じがした。
もう二人だけで頑張らなくていいんだと。
思いやる言葉が旦那さんからも
それから、旦那さんも数回カウンセリングを受けているけれど、最初は「こんなに人に話を聴いてもらえたと感じたのは初めてだ」と言っていた。
別の時には、「泣いてしまった」と。
緊張の糸が少しずつでもいいから解けていくといい。
それが私にとってもすごくいいのだと感じている。
パニックの話になった時に、「ずっと一人で頑張ってきて、もう限界がきて、パニックになってまで甘えたかった時に、旦那さんも問題を抱えていたから、うまく頼らせてもらえなかった。だから複雑化してしまってる。」という話があって、なるほどと思った。
私も、共依存をやめるとか、甘えてはいけないとか、パニックになっても、甘えるどころが逆方向に頑張ってきてしまった。それは、旦那さんが「甘えて欲しくない」というタイプの人だから。
お互いに「人に甘えてはいけない」「一人でなんでもやらないといけない」が強い二人。そうなるのは当然のことだったというのも、今ならわかる。
先日、ふと旦那さんが「自分は生身で(純粋に飾らずに、という意味)生きたい。でも、生身で生きたいと口にはしていても怖かったから、蒼からしたら、生身で付き合いたいと思って頑張って開いているのに、閉じられたりして、どうしていいかわからなくなるもの当たり前だよね。」と言ってくれた。
私たちは出会って、ものすごい大変な時期がずっとあったので、お互いに対して恨みにもにた感情が渦巻いていて、とてもじゃないけど、旦那さんからは私を思いやる気持ちよりも、私に「〜させられた」という恨みの言葉が出ることが多かった。
だから、さっきの言葉を聴いて、私は驚いたのです。
自然に出た、相手の状況を思いやる言葉に。
それは、形で「やらなきゃ」とやる思いやりではなくて
内側の緊張や頑張りを認めて、緊張が少しゆるんだからの言葉に感じて。
自然さに感動した。
あぁ、とりとめがないけれど、とにかく、起きていること感じていることを書き続ける。それが自分にとって最高の癒しな気がする。