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自分軸を整えるということ

枯葉が舞い落ちる季節になりました。皆様如何おすごしでしょうか?
さて3ヶ月の試用期間を経て、先日ついに「note始めたよ」とお知らせしたところ、さっそく読んで下さった方や、フォローして下さった方々がいらっしゃいました。誠にありがとうございます。

前回も少しだけ触れましたが、改めてnoteに日記を書き始めた理由を書きます。

1.何かしらの気持ちを文章にしたかった。
コロナ禍で人に会って話せない分、自身の中に日々溜まっていく不安や想いを、ただひたすら吐き出して、文にしてみたかったことがひとつ。普段、文字数制限のあるSNSばかり使用しているので、長文を書く事がとても新鮮。あと新しいことをして気を紛らわしたいという気持ちもありました。

2.自分軸を整えたかった。
これも大きな理由のひとつ。私は今、水彩画やカリグラフィーをずっと学び続けています。もともと私は美大にも専門学校にも行かず、独学で絵を描いいてましたが、さらに絵の世界を追求すべく、専門的技術(アナログ画)を身に着けることに。しかしそれをひとりで学ぶには限界があると感じ、尊敬する先生方の元へ通っています。

そして、その学習も始めてかなりの年数が経ちました。人に教えることも5年ほど(はたして上達したかは分かりません笑)。ところが今年、コロナで学びに行くことが出来ず、また独学モードに逆戻り。講師の仕事もとうとう休止となりました。そこでひとりで習字の教本を横目に、ひたすら文字を書いていたのですが…その時、ふと思ったのです。

「私の絵と文字は、どこに行ったんだろう」
「これは上手い人の作品を写しただけ」
「私だったらどうする?私だったらこの線を、この色をどう動かす?」

学ぶということは、「一度、教えの型を自分の中に入れる」ということです。何事もまずは模倣から始まります。この世の中、素晴らしい作品はいっぱいあって、それを「すごいから」「人気だから」「売れるから」と模倣し続けるだけになってしまうと、自分のオリジナリティーはどんどん消えていきます。型を取り入れることで、その型から抜け出せなくなるのです。

今より断然下手くそだったけど、独自の世界観で描いていた学生時代の方がもっと面白いものを描けてたかもしれない。
そう思うと、私は私と、もっと深い所でお互いに話す必要があるなと、強く感じました。世界の中心を自分に戻すこと。まずは自分の意見を自分に聴くこと。それが日記を書く事で少しづつ変わり始めているように思います。


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そういうわけで、毎日更新はしませんが、これからも宜しくお願いします。えへん!!


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