まとめ〜「軍港の子」の予習〜
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8/1 世界恐慌から太平洋戦争まで〜「軍港の子」の予習〜
世界恐慌
・【1】:1929年、ニューヨークの株式市場で株価の暴落が起き、アメリカの景気が急速に悪化した。また、ヨーロッパをはじめ世界中に広がった。
恐慌への対策
【アメリカ】
・【2】:公共事業をおこして失業者を助け、労働者の権利を保護するなど、政府が積極的な不況対策を実行した。
【イギリス・フランス】
・【3】:多くの植民地との貿易を拡大しながら、他国の商品をしめ出す経済圏(ブロック)をつくった。→自由な貿易は難しくなり、貿易に頼る国々の経済が苦しくなる。
【ドイツ】
民主主義を否定し、ナチ党が勢力を伸ばした。→ヒトラー首相は他の政党を解散させ、独裁体制をつくり上げた。→国民の言論・思想を奪い、人種差別思想を唱えてユダヤ人を迫害→軍備の拡張による景気回復により、国民は【4】を支持。
【イタリア】
・ムッソーリー二の率いるファシスト党が政権に就く。(【5】)→恐慌の影響で経済に行き詰まると、エチオピアに侵略して併合した。
・【6】:民主主義や基本的人権を否定し、軍事力で領土を拡大しようとする独裁政治。
【ソ連】
・レーニンの死後、【7】が独裁体制を築き、工業化や農業の集団化による社会主義政策を進めていた。
・「【8】」により、直接的な影響は受けなかった。⇨強引な政策に反対したり、スターリンを批判したとみなされた人々が、多数弾圧された。
一方で日本は...
・第一次世界大戦から続いていた日本経済の不景気+関東大震災による打撃→一層、深刻になった。
・1920年代後半 【9】:中小銀行が不良債権を抱えて経営に行き詰まり、預金の引き出しで倒産に追い込まれる銀行が多発。
・世界恐慌が発生すると、都市では多くの企業が倒産。→失業者が溢れた。
・農村→農作物が値下がり+アメリカへの生糸の輸出減→特に養蚕農家が大打撃
・冷害で大凶作に見まわれた北海道や東北地方等→借金のための「【10】」、学校に弁当が持参できない「【11】」が社会問題になった。
・都市→賃金の切り下げや解雇に反対する【12】が頻発
農村→【13】の激化
⇨政府:治安維持法を改正(最高刑:死刑)=社会運動の取り締まりを強化
・大銀行は中小銀行と合併→財閥の中核として大きな力を振るうようになった。
・財閥の汚職
⇨国民の間には、政党政治や財閥に対する不満と不信が広まる。
満州事変から国際連盟脱退へ
中国が国民政治によってほぼ統一された→日本の権益が集中する満州にも影響が及ぶようになった。
【日本】「満州は日本の生命線である」として、武力を用いてでも日本の権益を守り、広げようという主張が高まった。
・【14】:1931年9月18日、満州に駐留していた日本軍(関東軍)が奉天(現在の瀋陽)付近の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し(【15】)、これを中国側の仕業であるとして攻撃開始。→日本政府:戦線をこれ以上広げない方針、日本軍:政府を無視→他国も日本に対して不信感を持つ→国際連盟は、イギリスなど5カ国の代表者からなる調査団を現地派遣→1933年2月勧告「満州での日本の権益を認めるが、満州国は日本がつくらせてもので独立国と認められず、日本軍は占領地から撤兵するように。」→日本は無視→3月国際連盟の脱退を通告→ドイツも脱退→国際連盟の役割が弱まる→アメリカ・イギリスなどと締結していた軍縮条約の廃棄を通告+海軍の軍縮会議から脱退=軍備の増強=国際社会から孤立
・【16】:日本軍がつくらせた清の最後の皇帝だった溥儀が元首。恐慌で生活に苦しむ農民が、日本から集団で移住。
軍国主義の高まりと日中戦争
1932年5月15日 【17】:海軍の青年将校等が首相官邸などを襲い、【18】首相を射殺。→政党内閣の終了
1936年2月26日 【19】:陸軍の青年将校等が約1400人の兵士を引き手反乱を起こす。→大臣の斉藤実や高橋是清らを殺傷→東京の中心部を占拠
共産主義の勢力に対抗→ファシズムを進めるドイツに接近→1936年 【20】を締結
1937年7月 【21】:北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍の武力衝突(【22】)が起こったのをきっかけに開始。→日本軍は、重慶を爆撃し、中国各地を占領。→中国民衆の粘り強い抵抗により長期戦へ。
戦時中の国民生活
・【23】の掛け声→軍事費のために、国民は節約によって物資の不足に耐え、戦争に協力しなえればならないという風潮が強まる。
1938年 【24】:政府は、議会の承認なしに、戦争遂行のために必要な人・物資を動員可能になった。→国民は、軍縮品の工場等で働かされたり、生活全体にわたって厳しい統制を受けた。
1940年 【25】:1940年に残った政党や政治団体をまとめた団体。(例:【26】、大日本産業報国会)
1941年 小学校→国民学校:軍国主義を支える教育。
・生活資源が配給制や切符制になり、価格も統制。
・「ぜいたくは敵だ」という標語のもとで、贅沢品の製造・販売が禁止になった。
・【27】:植民地の朝鮮の人々に対して、日本人に同化させる政策。日本語の使用、神社への参拝、創氏改名。(台湾でも)
第二次世界大戦
1930年代後半 【28】(日本・ドイツ・イタリア)が、国際協調を否定して国際連盟を脱退。
1937年 【29】を締結
1938年 ドイツが、軍事力を背景に、オーストリアやチェコスロバキアの一部を併合。イギリスとフランスは、ドイツの拡大からポーランドの支援に変更を表明。
1939年 ドイツが、ソ連と【30】を締結し、9月にポーランドへ侵入。→イギリスとフランスはドイツに宣戦し、【31】が始まった。
1941年 ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、独ソ戦が始まった。
【ドイツ】【32】:ドイツ軍の作戦を妨害したり、迫害された人を助けたりする抵抗運動。
1941年8月 【33】:ローズベルト大統領(アメリカ)とチャールズ首相(イギリス)は大西洋上で会談し、民主主義を守る、国際社会の新たな原則を発表。
太平洋戦争
・中国との戦争が長引いていた→アメリカやイギリスの補給路を断ち、資源を得たい!
1940年 フランス領インドシナ北部へ侵略開始→三国防共協定のつながりを強化+アメリカ参戦を抑えたい!
・ドイツ・イタリアと【34】を結成
・【35】:アジアから欧米の勢力を追い出し、アジア民族だけで繁栄していこうとするために提唱した。
1941年 【36】:北方の安全を確保しながら南進を続けるために、ソ連と結んだ条約。
・【37】:日本がインドシナ南部に侵攻すると、アメリカは日本への石油・鉄などの輸出を禁止し、イギリスやオランダも協力して、日本を経済的に孤立させる。→日本:「打ち破るには早期の開戦しかない」という強硬論が高まる。→日米交渉するも、日本軍の撤兵を求めた。=交渉が難航
1941年10月 【38】が首相になった→戦争の準備を進め、昭和天皇が臨席する【39】で開戦を決定。
12月8日 陸軍:【40】、海軍:【41】を奇襲攻撃。→日本がアメリカ・イギリスに宣戦=【43】開始
最初は順調だったが、6月の【44】の敗北を堺に不利になる。→国民は情報を知らされないまま「正しい戦争」と信じ、政府の政策に進んで協力。批判的だと「非国民」と非難。
【国民生活】
・政府や軍部の注文を受ける一部企業は大きな利益をあげた。
・生活物資は欠乏。
・戦争末期には全食料が配給制になった。
・農具や肥料が不足し、徴兵で働き手不足になり、食料不足。
・【45】:工場や鉱山などで、中学生や女学生までが動員された。
・【46】:理科系や教員養成系以外の大学生・専門大学生に対しても、徴兵の猶予を停止し、多くの学生が学業半ばで戦場に送り出された。
・【47】:空襲が激しくなり、都市部の小学生は親元を離れ、地方の農村などに集団で疎開。
1945年2月 【48】:アメリカ・イギリス・ソ連の首脳が、黒海沿岸のヤルタで会談。ソ連が日本に対して参戦することや、千島列島を領有することなどを秘密に取り決めていた。
1945年3月 アメリカ軍が沖縄に上陸→中学生や女学生を含む多くの県民が、激しい戦闘に巻き込まれた。6月後半に、日本の組織的な抵抗は終わったが、戦闘は9月7日まで散発的に続いた。(【49】)
1945年7月 三国の首脳が再びドイツのポツダムで会談→日本は無視
8月6日 アメリカが広島に原子爆弾(原爆)を投下→死者20万人以上
8月8日 ソ連が日本に宣戦し、満州や南樺太などに攻め込む
8月9日 アメリカが長崎に原子爆弾(原爆)を投下→死者10万人以上
8月14日 【50】を受け入れて降伏
8月15日 昭和天皇によるラジオ放送で、敗戦を国民が知る。
【戦争の影響】
・中国にいた日本人の中には飢えなどで亡くなったり、残留孤児として現地に残されたりした人々も数多くいた。
・シベリア抑留:満州などで降伏した約60万人の日本兵が、ソ連軍によってシベリアに送られ、強制労働などで5万人以上が犠牲になった。
8/2 敗戦からの再出発〜「軍港の子」の予習〜
連合国軍の日本占領
・1945年8月末 日本は、アメリカ軍を主力とする連合国側に占領されることになった。
・日本の主権:本州・北海道・九州・四国とその周辺の島(アメリカ軍:沖縄・奄美諸島・小笠原諸島、ソ連軍:南樺太・千島列島等)
民主化政策
【【51】】日本政府にポツダム宣言に基づく指令を出して、軍国主義を取り除き、民主主義を推し進める政策を実行した。
①軍隊を解散し、戦争の責任者を【52】にかけて処罰した。→戦争中に重要な地位になった人は、公職から追放。昭和天皇は、自分は神の子孫ではないとする「【53】」を出した。
②治安維持法を廃止して政治活動の自由を認め、満20歳以上の男女すべてに選挙権を認めた。→政党の活動も再開された。
③労働組合をつくり、ストライキを行う権利を守る【54】や、労働条件の最低基準を定めた【55】も制定された。
・全国水平社の伝統を引き継いで、【56】が再建され、女性解放の運動も活発になった。
・北海道:アイヌの人たちの解放を目指す【57】が再び組織された。
国民生活
・戦争で街は焼かれ、生産は底をつき、食料も乏しく、物価だけが急上昇していた。
・焼け跡の街→失業者+軍隊の招集を解かれた人+海外からの引き上げ者+戦災で親を亡くした【58】で溢れる。
・政府指定の公定価格によらないで品物の売り買いをする【59】が広がる。
・都市の人々が食料を得るため、農村に出かける。
⇔自由と平和になった開放感
・町には「【60】」などの明るい曲が流れた。=娯楽・文化の復興
・NHKラジオ「のど自慢素人演芸会」が始まる。
・マイクを持ち街の人の声を聞く「街頭録音」では自由な意見が語られた。
8/3 平和国家〜「軍港の子」の予習〜
日本国憲法
民主化=非軍事化+憲法改正
①【連合国軍総司令部】憲法改正の指示→【日本政府】大日本帝国憲法の一部を修正のみ→【連合国軍総司令部】民間の憲法研究会案などを参考にした草案を作成し、政府に示す。→【日本政府】新たな改正案を作成
1946(昭和21)年11月3日 【61】の公布
1947年5月3日 【62】の施行
日本国憲法:⑴【63】(戦争の放棄)の三原則 ⑵天皇は【64】 ⑶国会が【65】 ⑷【66】の採用 ⑸【67】の重視
②民法改正
⑴男女同権の家族制度 ⑵課長の支配権の否定 ⑶結婚は両性の合意のみにより成立 ⑷夫婦同等の権利 ⑸男女平等に相続
教育の民主化
【68】によって、教育の民主化が進められ、軍国主義や天皇中心の考え方が改められた。
1947年 【69】(【70】の基本)の制定
⑴教育勅語の廃止 ⑵義務教育が小学6年・中学3年の計9年、高等学校3年・大学4年 ⑶男女共学 ⑷教育委員会の設置 ⑸教育委員は住民の直接選挙で選ばれる
財閥解体と農地改革
・【71】:これまで日本経済を支配し、軍国主義を支えてきた財閥は解体され、その下にある企業は独立させられた。
・【72】:村に住んでいない地主のすべての農地と村に住む地主の約1ha(北海道は4ha)を超える耕地は、国が買い上げて小作人に安く売り渡す。→自作農が大幅に増え、地主が農村を支配する力は衰える。
8/4 冷戦〜「軍港の子」の予習〜
国際連合
・【73】:1945(昭和20)年10月、悲惨な戦争の反省に立ち、国際社会の平和と安全を維持するため、連合国51カ国の調印により発足した機関。
・【74】:国連の中心。常任理事国(【75】)が一致しなければ、重要な議題は決議できない。
⇔世界では…
【76】(西側諸国)vs【77】(東側陣営)で激しく対立
1949年 【78】が東西に分断され、国家が西ドイツと東ドイツに分割された。
1949年 アメリカの軍営が【79】をつくる。
1955年 ソ連の陣営が【80】をつくる。
→ヨーロッパでは、【81】と呼ばれる緊張が高まる。
中国・朝鮮
1948年 【82】、【83】が樹立
1949年 毛沢東を主席とする【84】が成立
アジア
・【85】:1955年、大戦後に独立した【86】が、【87】に集まって開いた会議。(【88】が決議)→アジアやアフリカで自主的な動きが高まる。(アフリカ:1960年に17の国が独立。「アフリカの年」→1970年代には旧植民地はほぼなくなる。)しかし、平和の実現と政治・経済の安定は困難し、紛争や飢餓などの問題も残された。
8/5 独立から復興へ〜「軍港の子」の予習〜
独立と国際社会への復帰
1951(昭和26)年9月 アメリカのサンフランシスコで52か国によう講和会議が開催。(中国:招かれず、インド・ビルマ:不参加、ソ連等3か国:反対)
・【89】:日本は朝鮮の独立を認め、台湾・千島列島・南樺太等を放棄し、沖縄・奄美群島・小笠原諸島は、引き続きアメリカの統治下に置くことに同意した。
・【90】:日本の安全と東アジアの平和を守るという理由で、引き続き国内にアメリカ軍が駐留し、軍事基地を使用することを認めた。
1956年 ソ連とは、【91】が未解決のまま【92】に調印して国交を回復した。
国連連合への加盟が認められる。
原水爆禁止運動
アメリカが水爆実験→日本の漁船が「死の灰」を浴びる→【93】が広がる→1955年8月に広島で【94】が開催
戦後の経済復興・政治体制
1955年頃には、ほぼ戦前の生産水準に達し、人々の暮らしも徐々に回復した。
1955年 自由党と日本民主党が合同して【95】を結成。→自民党と野党が対立する政治体制が築かれ、1990年代まで日本の政治を動かした。(【96】)
1956年「【97】」:「もはや戦後ではない」と表現。
8/6 国際社会〜「軍港の子」の予習〜
冷戦の終結
1980年代後半 国際関係が急速に変化
ドイツでは、「【98】」が取り壊される。ソ連は、1991年、ロシア連邦などの共和国の独立によって解体。
EUの結成と進展
1993年 経済や通貨の統合に加え、共通の外交・防衛政策を通じた政治の統合を目指して、EC加盟の12か国により【99】が結成。
地域紛争
1991年 【100】:中東に、石油資源を狙うイラクが、クウェートに侵攻。
2001年 アメリカで同時多発テロが発生。アメリカは「【101】」を宣言し、容疑者を匿っているとしてアフガニスタンを攻撃。
2003年 【102】:大量破壊兵器を保有しているとしてイラクを攻撃し、政権を崩壊させた。
国連:主に紛争の平和的な解決を目的とする国連平和維持活動(PKO)を、世界各地で展開。
8/7 日本の領土問題〜「軍港の子」の予習〜
【103】(【104】)
問題:韓国が、島に警備隊を常駐させて、不法占拠を続けている。
これまでの取り組み:抗議し、国際司法裁判所での話し合いによる解決を提案してきているが、実現していない。
【105】(【106】)
問題:ソ連(ロシア)が、占領して、不法占拠を続けている。
これまでの取り組み:平和条約を締結することが必要との考えに立ち、粘り強く交渉を続けている。
【107】(【108】)
問題:中国が自国の領土であると主張し始め、中国船が領海に侵入するなどの事件が発生している。
これまでの取り組み:抗議し、警戒や取り締まりを強めている。