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絵師になる前

子供時代(~小学校)

保育園のない土日。お休みの日の定番の遊びは『お絵描き』
お出かけするよりも『お絵描き』を選んでしまう位には『お絵描き』が好き
だった。
しかも”家”ばかり。同じ題材で何枚も何枚も描いていた。

中学時代 (先輩との出会い

美術部入部。と言ってもガチなヤツではなく、放課後に集まって好きなアニメ、ゲームのキャラを描いたり、顧問の悪口に花を咲かせるだけのなんちゃって美術部。

そこで、絵が超絶上手い先輩に出会う。
その先輩に描いてもらった絵、大人になった今、見返しても上手い…
『たった2年しか違わないのにココまで描けるなんて』
心底憧れていた先輩。

『将来大物になるよ。いっぱい描いてね』
憧れの先輩が自分の絵を見てくれるだけでも嬉しいのに、褒めて励ましてくれた。
その先輩の一言で絵を描き続けているようなもの。

弱小サークル(ソロ) 売れない…全然売れない

大昔は地方では”同人誌即売会”ってのがあって、「お小遣い稼ぎ出来るかな?」と便箋とか作っていた時代があった。

同年代の子達は、ガンガン売れて印刷代+α取り戻せていたけど、私は全くダメで、たまに数部売れるだけ。
完全赤字。赤字も赤字、大赤字。
それでも辞めない、辞めたくなくって結局社会人1年目くらいまで赤字を垂れ流してた。

絵を完全に辞めた期間

地元秋田の会社を転々として、その後、某企業に就職が決まったのがきっかけで関東へ。
仕事の忙しさと合わない土地で体力が削られ、絵どころじゃなくなって、26歳~30歳まで完全に絵から遠ざかっていた。

『絵なんかでは食っていけない』『ちゃんとした仕事しなきゃ』っていう氣持ちが強くなっていた時代。

正社員から派遣社員へ落ち、最後は派遣切り。
心底、働くこと、”会社勤め”、”使われること”に疲れ切って実家へ戻ることになったのが31歳の頃。
この時は、まだ「絵でお金をもらう」ってことが考えられなかった。

画材や画集などに使わせて頂きます。私の所に来たコ(お金)は広く世界を旅をして、一回り大きくなって帰ってくることでしょう。あなた や わたしのもとに。