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「ひこうき雲」になった男友達の話

3月31日。今年もこの日がやって来た。季節というのは、その人が生きている限り、巡る来るものであるが。3月31日は僕の一番仲のいい男友達の誕生日である。

本来ならめでたい日なのに、今年の僕は前日に号泣した。

なぜなら、彼は2018年の大晦日に38歳の若さで突然亡くなったからだ。だから、彼はその日から永遠に年を取らない。いや、取れなくなったのだ。

僕は毎年、この日にバースデーメールを送っていた。泣いたのはその時、酒を飲んでいて、彼のことをふと思い出して(それがもう永遠にできないんだな…)と、酔ったせいで悲しみが溢れ出たからだ。

彼とは、僕が初めて通所した作業所と呼ばれる福祉施設で出会った。彼はいわゆる「大人の引きこもり」であった。

アニメとゲームが大好きで、ジャッキー・チェンの大ファンだった。僕の母親もジャッキーの大ファンでその話しをしたら、彼は自分のコレクションであるジャッキー・チェン主演映画のDVDやビデオを貸してくれた。

彼は発達障害による二次障害を発症して、引きこもる前は介護職に就いていた。彼が「自分の天職は介護職だ」と輝く笑顔で語っていたのを昨日のように思い出せる。職業訓練に通い、介護職の資格も取った。しかし、作業所の就労支援担当スタッフと仲違いしてから、彼は転落していった。

彼は過食と酒とパチンコに溺れ、引きこもり、作業所にも来なくなった。彼は日中、服薬が必要であるにもかかわらず、睡眠薬以外の薬は飲まなくなった。それでも、僕が「しんどいな…」と思う時には、必ず彼から連絡が来た。今思うと一番しんどかったのは、彼自身であったろうに…。

彼が亡くなる直前、彼から「会いたい」とLINEが来た。僕の返信がほんの少し遅れた。すると、彼は「忙しいならいいや!」とキレ気味のメッセージを送って来た。さすがにこれには僕も少しむかついたが、「返信がちょっと遅れた」と冷静にメッセージを送信した。

彼は安心したらしく、僕たちは、その年の12月中旬頃に会う事にした。僕は彼と会う時、彼の堕落した生活態度を注意してやろうと思っていた。しかし、それは永遠に叶わなくなる。

しばらくして、彼からLINEが来た。そこには「お母さんがもう長くないって言われてて、少しでもそばにいてやりたいから、会うのをキャンセルしたい」とあった。僕はそれを了承した。このやり取りが彼との最後の連絡になった。

彼の母親は生き返り、死んだのは彼だった。彼の葬式から数日後、僕は自宅で彼を偲んで、ギターである曲を弾いた。松任谷由実の「ひこうき雲」である。とても人様に聞かせられるような上手い演奏じゃないし、ただのエゴかもしれない。でも、演奏後、不思議と心が落ち着いて、穏やかな感覚がした。そして、気づいた。故人を偲ぶというのは、亡くなった人のためだけではなく、残された人たちのためにも必要なのだと。

そして、僕はこう思った。(彼は「ひこうき雲」の「あの子」と同じく若くして亡くなった。不謹慎かもしれないが、その曲の歌詞と同じく「彼なりのハッピーエンド」なのかもしれない。なぜなら、死んだことでもう酒や過食に溺れることもない。負け続けて人から食費を借りなきゃいけないほどパチンコにのめり込むこともない。僕には彼を救えなかった…。でもこれ以上、彼が苦しむことは一切ない…)

僕は今年の4月で30代になる。それでも彼が亡くなった歳になるまでには、あと8年もの歳月がかかる。僕は生きている限り年を取り、いずれおばさんになる。彼は何度、誕生日を迎えようと、亡くなったため年を取ることはない。決しておじさんにはならない。

僕と彼の誕生日の時期はちょうど桜の時期でもある。今この記事を書いている時点で満開の桜があちこちで咲いている。人の一生も、桜のように芽吹いて、咲き誇り、やがて散っていく…。それが毎年繰り返される。今もどこかで芽吹く命、咲く命、散り去る命が存在する。

「ひこうき雲」となった彼は、桜が咲き誇る春の空の上から僕を見守ってくれているのだろうか?





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