ユポ紙の感触

純真無垢でちょっとおバカな若者のままでありたいのに、それが許されない年齢になってきました。
さらに言えば、「そういう受動的で流されやすい態度って、許されないよね?」みたいな世間の潮流を感じることが多くなりました。


選挙や政治のこと。性(あるいは性差)のこと。その他、定期的に議論が活発になる諸々の話題。
私たちの前に否応なく現れる「平等」や「不公平」を突きつけるセンシティブな話題を、私は徹底的に避けてきました。

そこに触れることで、私は幸せになれると思わなかったからです。むしろ不幸になると思っていました。


というのもこれまでの人生、選挙にもイマイチ当事者意識がありませんでしたし、性や性差のことだって自分の有利不利を自覚したことがありませんでした。この徹底的なまでの当事者意識の無さが、ぬるま湯に浸かったような「なんとなく心地いい」領域を形成していたんです。

そうやって、一歩引いて興味無い素振りをしていることはすごく楽でした。

でも、私がなんとなく享受できている幸せが、渦中の誰かの不幸の上に成り立っているのかもしれない。そういうことを、ここ最近なんとなく分かり始めました。

私の無知が、回り回って誰かの首を絞めているかもしれない。でも、無知のままなら私自身は幸せでいられるかもしれない。

最近は、この葛藤をずっと抱えたままなんとなくニュースを流し見してる毎日です。
わざわざ自分から首を突っ込んで幸せな領域を減らしていく覚悟は、未だ持てていません。

とはいえ頭のいいかつての同級生たちが、「みんなきちんと向き合っているのかも」と思うと、私もこのままでいいのか?と問われている気分になります。知識の浅いおバカさんだと思われるのも恥ずかしいですし。


センシティブな話題に突っ込んでも突っ込まなくても、結局待つのは底の見えない不幸な気がしてきました。面倒くさいな。でもそう思えるのも、私が台風の目に晒されずぬるま湯に使っているからかもしれないです。運良く、恵まれた環境でぼんやり生きてきた代償ですかね。

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