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移民政策は岸田弟の利権?

(メモとして残しておく:フランク)

2024年05月11日(土) 

岸田武雄

日本実業家で、
株式会社フィールジャパン with K (Feel Japan with K Co., Ltd.)
代表取締役、一般社団法人 日本登録支援機関協会理事[3]を務める。
4人兄妹の次男で、兄は第27代自民党総裁で第100 - 101代内閣総理大臣
岸田文雄。他には妹が2人いる。妻は湖池屋創業者小池和夫の長女篤子。

経歴

東京都渋谷区出身で慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。
大学時代は弁論部に所属し代表を務めた。
1985年(昭和60年)に三菱商事へ入社して
エネルギー事業部門で潤滑油チームリーダー、産業燃料チームリーダー、Petro Diamond Japan[7]取締役などを務め、
クウェートマレーシアで駐在勤務する。

2009年平成21年)にムスリム向け旅行会社
Feel Japan with K Co., Ltd を設立し、
2010年(平成22年)からムスリムを受け入れる。


岸田文武
1949年商工省(現・経済産業省)入省。
同年入省者には、矢野俊比古(通産事務次官、のちに参議院議員)、天谷直弘(通産審議官)、
生田豊朗(日本エネルギー経済研究所理事長)、金森久雄(日本経済研究センター理事長)、
熊谷善二(特許庁長官)などがいる。
繊維局配属。通産省大臣官房会計課長、資源エネルギー庁公益事業部長なとを経て、
1974年貿易局長、1976年中小企業庁長官を歴任して1978年退官
岸田文武 家系図
岸田文雄首相の親族の関係図

岸田文雄首相は、祖父の正記氏、父の文武氏の後を継ぎ、
3代続けて衆院議員になった。
父方の叔母の夫は元広島県知事で参院議員、法相を務めた宮沢弘氏。
弘氏の兄が元首相の喜一氏に当たり、
広島県政界きっての政治家人脈を築いている。

岸田首相の妻の裕子は、
岸田首相が父の文武と地元のマツダ本社を訪れたとき、
副社長の秘書だったのを見初めたとされている。
だが、当時のマツダ社長は私の元上司でもある
古田德昌(兄は餃子の珉珉の創業者)で通産官僚としては
文武の後輩だから、偶然の出会いではなかったのかもしれない。  
裕子の実家は広島県三次市の地元の資産家らしい。
メソジスト系の広島女学院中・高から
東京女子大を卒業ののちマツダに入社した。

岸田首相の子どもは男子ばかり3人だ。  
長男翔太郎は、修道高校、慶応大学法学部から
商社勤務を経て父の秘書となった。
政務秘書官は当初、ベテラン秘書がついていたが、
将来に箔をつけるために翔太郎を抜擢したところ、
随行中の観光、公邸でのパーティーなどで袋だたきにあって
辞任することになった。
ややバランスを欠いた抜擢だっただけに、
必要以上に慎重な行動が必要だった。  

次男晃史郎は、日本大学文理学部スポーツ科学部から
広島のバスケットボール製造などで知られるモルテンへ入社した。

三男はまだ早稲田大学の学生だ。

岸田武夫の 妻・篤子はコイケヤ創業者・小池和夫長女


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