「理想の自分」とかわりとどうでもよくなってきた

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「わたしはこういう人間になりたい」というイメージがある。

でもそれはまだ物語であり、創作物であり、フィクションで非実在なキャラクターである。

そして「まだ、そうなれていない自分」が、今この瞬間に存在している。

それが苦しかった。理想とかけ離れた自分が存在していることが許せない。

理想の自分はこんなこと考えない!こんなことしない!こんな場所にいない!

そういう思いに苦しむ。苦しんでたなー。


ところで今は、こういう苦しみにはだいぶ無縁になった。

どうして解放されたんだろう。

未だに自分の中に「理想の自分」のイメージはあるし、こういう場所に住みたいとかこういう人たちと付き合いたい、みたいなイメージはある。

だけど今は、「まぁいつかはそうなれるだろ。なれなくてもいいけど」という感覚がある。

道中を楽しめている。うん。たぶんそんな感じだ。

遠回りもするかもしれないけど、こっちの方向に進んでいればいつかはたどり着けるでしょ、という感覚があるので、焦りがない。だって着実に、近づいてはいるから。

現段階における未熟なじぶんが想像する未来自体、そもそも未熟な想像にすぎない。その想像が書き換わることだって今後、おおいにありうる。

そんなことより、今見えている光景を楽しむ技術を磨くことの方が大事だと気づいた。これは技術なのだ。上達すればするほど、日々が楽しくなる。

そうやって日々を楽しむことに集中していたら、

あれ、もうすでに楽しいわけだから、目的地なんてどこでもいいんじゃないの?

と思うようになった。

そうなのだ。理想の自分とか理想の未来とかって、すべては今日を楽しむためのスパイスにすぎないと気づいた。別になくてもいいし、あったほうがより今日を楽しめるんだったら、設定したらいい。その程度のものなのだ。


読みたい本がたくさんあります。