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#読書メモ_4『沈没家族』

 自分も血のつながった「家族」だけではない、もっと広がりがあって新しい形で、誰かと協力し合って暮らしたり、子供を育てたりできないかとぼんやり思っている。そこで本書がなにかヒントになるのではと思って手に取ってみた。

 「沈没家族」は穂子さんというカリスマ的存在や、いろいろな人たちが集まってくる東京という場所、90年代後半の世の中の雰囲気など様々な条件がそろって、偶発的に生まれたものなのだと思った。なのでなにかヒントが見つかったというよりは「羨ましい」「この時代の雰囲気を感じてみたい」というような感想を持った。ただ、血縁関係にとらわれない子育てをしていた人たちが確かにいるという事実を知ることができただけでも、本書を読んで良かったと思った。穂子さんもまた、昔のそういった例を参考にして「沈没家族」に乗り出したらしい。

 保育会議での話し合いがとても良いと思った。例えば「カセットテープのテープを引き出して遊ぶのが土のマイブームで、それを止めさせたほうがいいのかやらせたほうがいいのか、そこに住んでいない大人が迷う」(30頁)というような議題についてみんなで話し合っていたらしい。そこで、母親である穂子さんが「こうしてほしい」とほかの人々に指示をするのではなく、みんなが対等な立場で率直な意見を出し合って、ああでもないこうでもないと話し合いをしていた。大人たちが、それぞれの立場などを超えて一緒に話ができるというのは、本当に美しいことだと思う。


 家族以外の人と協力して暮らしてみたい、子育てをしたいと思うようになった理由をまとめておこうと思う。

家族以外の人と協力して暮らしてみたい理由
 家族(旦那さん)との生活は嫌だ、だめだと思っているわけでもない。私も素敵な人と出会って、結婚して穏やかに暮らしてみたいと思っている。ただ「旦那さん」に、経済的に協力して生活を営む相手、恋愛をする相手、性欲を満たす相手、などいろんな役割を期待するのは無理があるんじゃないかと考えたりする。なので、一緒に暮らすのは旦那さんでもいいけど、旦那さんじゃなくてもいいのではないかと思ったりする。せっかくなら新しいことをやってみたい気もする。失敗しても、失敗すること自体にもやっぱり価値があると思う。

子育てをしたい(若い人と関わりたい)理由

  • 自分もいい大人になってきて、若い人たちを応援しないといけない立場になってきたのかもしれないと思うようになってきた

  • 子供と関わるというのは、自分の子供時代を追体験するようなことなのではないかと思ったりする

  • 植松努さんのお話を聴いて。植松さんが小さいころ、自分の見方でいてくれた彼の祖父がロケットが好きで、その影響でロケットを作りたいという夢を抱くようになったらしい。おじいさんはもう亡くなっていないけれど、植松さんの中に生き続けていて、彼のことをずっと守っているんだと思った。それって、とてつもなくすごいことだと感じた。どのように育てられるかで、その人の心が潰されたり、大きく開かれたりする。子供を育てるということは、本当にすごいことなんだと思うようになった。

  • 手術をしてもらって、私も人の役に立てる人間になりたいと思うようになった。自分が持っている才能をただ自分が満足するために使っても、むなしいだけかもしれない。自分が恵まれた環境で育ったのはなんのためなのか?考えないといけないかもしれない。

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