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平均で物事を考えるな。数字の誤解

人と比べる際、最もわかりやすい指標は数字。
勉強、年収、身長から年齢まで、人を比較する際、必ずと言っていいほど数字は付きまとう。
そして、その数字に振り回される人が陥りがちな罠。
それが【平均】だ。

今は高齢化社会で老後の金銭的な心配をする人も少なくないだろう。
その時も当たり前のようによく使われるのが【平均】だ。
現在の日本人の平均年収はおよそ545万円で中央値は423万円となっている。
【※厚生労働省2022年国民生活基礎調査の概況調べ】

大衆に向けて何かを話すとき、多くの場合、特定の人を中心とすることなくあくまで【日本人は】とか【正社員は】といった大枠で話をされることが多い。
もちろん何か知識を入れる際、必ずしも自身に当てはめる必要はないし、平均で話すと一見偏りがないように感じる。
しかし、そういった平均を基準に自分の生活スタイルを決めていくのはやめよう。

理由は単純。
平均はあくまで平均であり、平均的に生きている人間など1人もいないからだ。
例えば日本人の平均年収は545万だが、年収が545万円の人が一体、日本にどれほどいるだろう。
極論ではあるが年収1000万円の人と年収90万円の人、この2人の平均年収を出すと545万円になる。
この時出た545万という平均にどんな意味があるだろうか?
中央値も同じことが言える。
中央値は確かに他と比べて多いことはあるだろうが全体の割合としてみた時、必ずしも多数派ではない。
それは年齢や時代、必要な生活費から得られる環境的要因も同じことが言える。
ファイナンシャルプランナー【以下FPとする】などに将来の相談をする際、すべてが【○○さんの~だと平均して…】といったものが前提で話が進む。
~までに結婚されると考えて…
~年ごとに車は買い替えるとして…
~までにお子さんを○人ほど持つと考え…
○○さんの年齢だとこういった病気が考えられるため…
といった具合だ。
もちろん、FPへの相談が全く意味がないとは言わない。
将来のためにも定期的にFPへ相談は行くべきだろう。
ただ、それはあくまでそういった方向へ自分の人生が進んでいく傾向にある程度に思っておいたほうが健全だ。
どんなに平均値を取ろうとあなたという個人と平均には差が生まれる。
人生という長く不確定要素の多いものを【平均】で見ようとしてもどうしても予期せぬ出来事が起こることになる。
不確定要素の多いものをいつくも『平均』で考える事で一つ一つは誤差であったはずのズレがいくつも重なり、いつしか大きなズレになっていく。
そうなったとき、ただFPに言われたことを信じて生活をしていると、イレギュラーが起こるとなかなか対応が追い付かなくなる。

人は自分が平均以下であると、せめて平均は越えられるようにと動き始める。
しかし、年収やあらゆる面で大切なのは、自分が周りと比べて平均を上回っているかどうかではなく、今の自分にとってどの程度必要かだ。
男は身長が低いと気にしたりする。しかし、身長が低くて困るのは高い所に置いてある物を取る時くらいだろう。

身長が低いと異性からモテないという人もいるが、それは一つの要因でしかない。
気の合う同士なら多少背が低かろうが交際に至るだろう。
年収も同じだ。
もちろん生活に必要な金銭は稼いでいないと大変だろうがド田舎に住んでいるのに日本の平均年収を目指す必要はない。
田舎は物価が安いのだから多少年収が低くても問題なく暮らせるだろう。
どこまで行っても平均は平均でしかない。
この世のありとあらゆるものが平均化されているだろうが果たして自分がまさにその平均に収まっていると感じた事のある項目はいくつあるだろうか?
身長と年収の二つだけを見てもピンポイントで平均と重なる人はごく少数だろう。

数字はもちろん大切だが、それだけに囚われず、自分にとって大切なものは何かを考えながら客観的に物事を見れるように日ごろから心掛けるようにしよう。



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