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人生経験が音楽表現に影響を与えるのか?という問題を考えてみたらJohn Cageに行き着いた話

「音楽には人生経験が大事」吹奏楽部時代にそういうことを言われたことがあります。「いやいや学生にそんなこと言われても」と学生時代の自分は思ったのですが今改めてその問題を考えてみようと思います。音楽表現といっても今自分が取り組んでいるのは作曲/DTMなので歌唱や楽器演奏については今回は考えないことにします。

人生経験を音楽表現に活かすことができる

楽しいことや悲しいことがあったという人生経験があるだけでは何の影響も与えないと思っていて、それをどう音楽表現するかというのを関連づけて考えないといけないと思います。
例えば今のこの感情はこの音色でこのテンポでこの和音でとか、この風景は、この出来事はというように全ての経験をその都度音楽に変換していく必要があると思います。すぐには思い通りの表現にはならないと思いますが考えることは大事だと思います。

それをするためには絶対音感ならぬ「絶対音楽感」というようなものが必要がとなってくるのではないでしょうか。絶対音感は全ての音が音階として聴こえるらしいですが「絶対音楽感」はこの世の全ての出来事が音色やテンポなどを含んだ音楽として感じられるというものです。

その境地に到達するためには自分の外側に起こっている出来事はもちろんの事、自分の内側に起こること、つまり感情みたいなことですら客観的に捉える必要が出てくると思います。いちいち感情に囚われて一喜一憂していては音楽に変換できないので「悲しい感情」を客観的に冷静に捉えよく観察し音楽へと変換するのです。
そしてある時気づくのです。この「感情」と言われるものの正体は何か。果たしてそれは存在するものなのか。自分とは一体何なのか。
…ついに「諸法無我」の境地に到達したあなたは「私は音楽であり音楽は私である」という言葉を残して4分30秒ぐらいの無音の音楽を発表するのでした…

ちょっとよくわからない話になりましたが、John Cageは禅の世界に傾倒していたようなのでもしかしたらそういうことなのかもしれませんね。(嘘です)

話を戻して、結論としては人生経験をインプットするだけでなく音楽としてアウトプットする練習が必要で、活かすも殺すも自分次第ということでした。

ちなみに自分では絵画を見るときに「このバランスや色彩を音楽で表現するとしたらどうするか」みたいなことをたまに考えたりするぐらいで、全然「絶対音楽感」の境地には到達していませんのでご安心ください。
でも仏教的な考え方には興味はあります。

ありがとうございました。

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