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言葉ってすごいなという話

noteをはじめようと思った理由は長文を書こうと思ったからなのですが、自分には語彙力が圧倒的に足りない自覚がありそれを改善できたらいいなという思いもあります。

何か新しい音楽を聴いていいなと思っても「凄い」の一言しか出てこなくてこの感動を的確な言葉で外部に説明できたらいいのにと思ったりします。Twitterはそんな語彙力のない自分にはぴったりで文字数が少ないからという言い訳で「凄い」と言っておけばいいみたいなところがあります。

さて、昔はCDを買うとライナーノーツというのがついていて主に評論家の方が音楽について解説していたり参加メンバーについて言及していたりしていてそれを読むことが一つの楽しみでもありました。豊富な知識と語彙力でその音楽の楽しみ方や別の角度からの見方を教えてくれたり、理解できなかった音楽を理解するための手助けをしてくれたと記憶しています。

はっきり覚えているわけではありませんが実体験としてライナーノーツによって理解が深まったなと思う経験がありました。一番印象に残っているのは所謂「電化Miles」時代のアルバムを聴いたときでした。それまでアコースティックJAZZばかり聴いていたところにいきなり電化Milesを聴いてみたのですが難解すぎて全くついていけないという状態でした。しかしライナーノーツに「Milesの演奏はこの音楽における男根でありこのエロスがわからなければ聴く資格がない」みたいなことが書かれていて頭を殴られたような衝撃を受けたことを覚えています。それからその音楽に対しての見方が変わって理解できるようになっていったというところと、「自分には聴く資格がある」という気分になって他の電化Milesのアルバムを手に取り勝手に自分の中で優越感みたいなものに浸っていたと思います。そして今でも電化Milesの音楽は大好きです。

言葉で説明するということはとても力があると思っていて例えば赤色の商品を売るというときに「これは赤色です」というのと「これは夕日のような赤色です」というのでは同じ色でもたぶん後者の方がイメージが伝わると思いますし価値が高そうに思えるのではないかと思っています。「夕日のような」とか言われても屁理屈でしかないとも思いますがその赤色を正当化する理由、正当化する見方を提示するということは大事なのかなと思っています。

当のMilesは評論家のライナーノーツは嫌いだったみたいですね。有る事無い事書かれたり自分の意図する事とは違うことを書かれたりしたのではないかと思います。「夕日じゃなくて朝日のつもりなんだけど…」ということがあったのかもしれません。ただ、無限にあるその音楽の見方のうちの一つを提示したという事であって評論家の方がそう感じたというのは否定できないと思います。そういう意味では音楽雑誌を買えば評論家ではなくミュージシャン本人のインタビューでその音楽の解説がされていたりするのでそう言ったものを見るのも楽しいですね。ただ、昔はCDとライナーノーツがセットだったので追加の出費をすることなく言葉での解説が読めるという意味でとてもありがたい存在でした。最近はサブスクで聴くことがほとんどですがライナーノーツがないので寂しいなと思っています。

自分も音楽を作って配信している身です。評論家の方がこれを解説するという機会はそうそうないと思いますがせめて自分で自分の音楽を「夕日のような」というように言葉で意味付けするということがもっとできれば良いのではないかと思っています。これは所謂プレゼン能力ですね。
そのための長文、そのためのnoteという事で駄文を書き連ねていきます。

ありがとうございました。

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