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マクロ経済学における会計恒等式モデルと構造方程式モデルの違いについて


経済モデルの構造を一段高いメタの視点から捉え直す

マクロ変数から構成される会計恒等式

本書は、複式簿記のロジックを用いてマクロ経済学を再構成する試みである。複式簿記では、借方の金額と貸方の金額が常に必ず一致しなければならない。これを貸借一致という。貸借一致を数学的に表現したものが会計恒等式(Accounting Identity)である。

最も基本的な会計恒等式は、
資産≡負債+[BI]資本
である。

これはバランスシートの構造を示すものに他ならない。このうち右辺の資本という項(勘定科目)が残高調整項目(BI: Balancing Items)である。右辺の残高調整項目(BI)である資本の数値は、左辺の項(勘定科目)の合計値(資産)と右辺の項(勘定科目)の合計値(負債+資本)を常に一致させるように増減する。従って、残高調整項目(BI)の存在とその変動によって、取引・会計事象に伴い複式仕訳が発生する都度、会計恒等式が連続的かつ同時的に成立する。

他方、本書では、上記会計恒等式における資産と負債といった残高調整項目(BI)以外の項(勘定科目)で直接観測可能かつ数値化可能なマクロ変数を観測可能変数(OV: Observable Variables)と呼ぶ。一つひとつの取引・会計事象が発生する都度、観測可能変数(OV)[例えばフロー変数(消費/投資/純輸出等の取引高)やストック変数(資産/負債等の残高)]が増減すると同時に残高調整項目(BI)も借方(左辺)と貸方(右辺)の金額を一致させつつ増減し、全ての会計恒等式が常に必ず成立する複式仕訳が発生する。

そして、会計恒等式が連続的かつ同時的に成立するということは、左辺の項(勘定科目)と右辺の項(勘定科目)のそれぞれの数値、すなわち残高調整項目(BI)及び観測可能変数(OV)が同時決定されることを意味する。逆に言えば、どの項(勘定科目)が原因であって、別のどの項(勘定科目)が結果ということはできない。そこにはタイムラグを伴う因果関係ではなく、それぞれの項(勘定科目)が相互に影響し合いつつ数学的に同時決定されるという恒等関係がある。

実は、GDP統計とも称される国民経済計算体系(SNA: System of National Accounts) は、複式簿記を基礎とする社会会計フレームワークによって体系化されている。従って、GDP、消費、投資、貯蓄、資本(国富)、マネーストック等のマクロ変数(勘定科目)相互間でも多数の会計恒等式が成立する。詳しくは本論に譲るが、国民経済計算体系(SNA)上、全てのマクロ変数(勘定科目)について会計恒等式が成立する。そして、全ての会計恒等式において、マクロ変数(勘定科目)相互間には数学的に同時決定される恒等関係が存在する。

ミクロの経済主体に限定されるべき構造方程式

これに対して、従来の経済モデル(連立方程式)には、人間の直感と整合的な因果関係が関数(構造方程式[Structural Equation])として組み込まれている。例えば、外生変数(Exogenous Variables)は経済モデルの外部で任意に決定される変数であり、因果関係の原因を意味する。他方、内生変数(Endogenous Variables)は経済モデルの内部で連立方程式の解として求めるべき変数であり、因果関係の結果を意味する。従って、経済モデル(連立方程式)を構築する上で、関数(構造方程式)が表現する因果関係として、どの変数が[原因]外生変数となるのか、どの変数が[結果]内生変数となるのかを識別することが重要である。

均衡とは、2つ以上の数値がつり合う状態を意味する。経済モデル(連立方程式)で考えるつり合いの対象は、多くの場合、商品(財・サービス)の需要と供給となる。最も単純化された構造方程式モデルは、縦軸を価格、横軸を数量とする右下がりの需要関数(曲線)と右上がりの供給関数(曲線)から構成され、両者の交点が価格・数量の需給均衡値となる。

言い換えれば、需要関数(曲線)と供給関数(曲線)という連立方程式の解として、[原因]外生変数⇒[結果]内生変数である需給均衡値が計算・決定される。但し、構造方程式モデルの外生変数、内生変数といっても、全て人間の経済行動(売買、貸借等)を価格や数量等に数値化したものであるから、現実には[原因]外生変数から[結果] 内生変数である需給均衡値に至るまでには必然的にタイムラグが生ずる。

確かにタイムラグを伴う因果関係は、家計や企業といったミクロの経済主体の最適化行動(消費者の効用最大化/企業の利潤最大化)や市場均衡条件を予測し、説明するには有用である。人間の直感と整合的な因果関係であれば尚更である。

しかし、タイムラグを伴う因果関係の存在を論理的な前提とする場合、構造方程式モデルの射程範囲はミクロ経済学の枠内に限定されてしまう。なぜなら、全てのマクロ変数(勘定科目)相互間には、会計恒等式上、数学的に同時決定される恒等関係が存在する一方、タイムラグを伴う因果関係は存在しないからである。

敢えて言えば、タイムラグを伴う因果関係の存在を論理的な前提とする構造方程式モデルは、マクロ経済学の対象とする一国経済全体または社会全体のマクロ変数(勘定科目)とその相互関係を関数(構造方程式)として正確に表現することができない。仮に表現したとしても現実とは大幅に乖離した数値しか導くことができない。

実際、実物的景気循環(RBC: Real Business Cycle)モデルや動学的確率一般均衡(DSGE: Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルといった現代マクロ経済学においては、構造方程式のパラメータ設定(カリブレーション)も、タイムラグを伴うシミュレーション結果(インパルス応答)も、現実のマクロ変数(勘定科目)の金額とは全く無関係か、大幅に乖離した数値が数学的に導かれる場合が多い。

会計恒等式が常に必ず全てのマクロ変数に対して成立することは、複式簿記のロジックに基づく数学的かつ絶対的な真実である。他方、構造方程式はマクロ変数間のタイムラグを伴う因果関係に依拠する経済理論を基礎とする仮説に過ぎないため、実際のデータによってその仮説が真実か否か、そして会計恒等式と整合的か否か、常に検証する必要がある。

ケインズの会計恒等式「投資≡貯蓄」

マーシャル等、新古典派によれば、『投資は投資可能な資金への需要を表し、貯蓄はその供給を表す。そして利子率は投資と貯蓄を均等化させる投資可能な資金の「価格」ということになる。ちょうど、商品の価格がその需要と供給が一致するところで必然的に決まるように、利子率も、市場の力の作用によって、その利子率での投資額が同じ利子率での貯蓄額と一致する点で必然的に定まる』(Keynes, p.107)とされる。

ケインズ以前は、利子率が投資(投資可能な資金への需要)と貯蓄(投資可能な資金の供給)の需給均衡「価格」と考えられてきた。そして、投資と貯蓄はタイムラグを伴いつつ徐々に均衡点である利子率(価格)と金額(数量)に接近していく。

これに対し、ケインズは「一般理論」の第6章「所得、貯蓄および投資の定義」において、以下の会計恒等式を示している(Keynes, p.38)。

Income = value of output = consumption + investment.
Saving = income − consumption.
Therefore saving = investment.

これらは、国民所得、消費、投資、貯蓄というマクロ変数(勘定科目)相互間の関係を示す会計恒等式である。特に3行目の「貯蓄=投資」の会計恒等式は、利子率とは全く無関係である。利子率がどうであれ、「貯蓄=投資」の会計恒等式は成立する。

従って、『任意の利子率に対応する新投資という形の貯蓄への需要を、同じく任意の利子率において社会の心理的貯蓄性向から帰結する貯蓄の供給に一致させる要因と見る見方は、利子率はこれら二つの要因に関する知識のみからは導出することはできないことがわかるや、たちまちのうちに瓦解する』(Keynes, pp.101-102)。

こうしてケインズは、実物面で「貯蓄=投資」という会計恒等式を示すことによって、利子率が貯蓄・投資とは無関係であることを例示し、新古典派の構造方程式モデルが一国経済全体または社会全体のマクロ変数(勘定科目)相互間の因果関係としては成り立たないことを論証したのである。

信用創造の会計恒等式

金融面でも同様である。従来の構造方程式モデルでは、銀行を資金の仲介機関と位置付けた上で、預金(資金供給)と貸出(資金需要)との関係として、 [原因]銀行が預金(資金供給)を受入れるから、[結果]銀行が(資金需要に対応する)貸出を行うことができるという一方向の因果関係を論理的な前提としている。人間の直感的な因果関係としてはそれで良い。しかし、現実の信用創造の仕組みとしては、銀行の貸出と預金の増加に関する複式仕訳は同時かつ同額で恒等関係として発生する。

【銀行の仕訳】
[借方]貸付金/[貸方]預金
【預金者の仕訳】
[借方]預金/[貸方]借入金

銀行の負債である預金はマネーストックを構成する。上記仕訳をまとめると、マネーストックの増減メカニズムに関する会計恒等式が得られる。

[借方]銀行システムの金融資産(投融資)の変動
       ≡[貸方]マネーストックの変動(ΔM)

この会計恒等式は、銀行システムにおける信用創造の仕組み、トービンのいう「万年筆マネー」(Tobin, 1963)を表現している。

マネーストックは最も重要なマクロ変数の1つでありながら、近年(2010年代)に至るまで現代マクロ経済学(RBC/DSGEモデル)においては、銀行部門の負債としてのマネーストックは構造方程式の変数として組み込まれていなかった。それらのモデルでは、貨幣保有主体である「代表的個人(representative agent)」のバランスシートしか存在しなかったからである。

その後、2008年の世界金融危機以降、貨幣発行主体である銀行部門のバランスシートを表現する構造方程式が追加されたことにより、DSGEモデルにマネーストックの変数が組み込まれたことは評価したい。しかし、依然として[原因]銀行が預金(資金供給)を受入れるから、[結果]銀行が(資金需要に対応する)貸出を行うことができるという一方向の因果関係を前提とする構造方程式である点に変わりはない。従って、かかる構造方程式モデルでは、信用創造の仕組み、マネーストックの増減メカニズムを論理的に説明することは不可能である。

レオンチェフ逆行列による会計恒等式の動的モデルへの拡張

信用連関会計恒等式(AICI: Accounting Identity of Credit Interlinkage)モデル

会計恒等式を基盤とするマクロ経済モデルの特徴は、特定時点でのストック変数(資産/負債/資本等の残高)と特定期間のフロー変数(GDP/消費/投資/純輸出/貯蓄等の取引高)が相互に影響し合いつつ数学的に同時決定されるという恒等関係にある。つまり、会計恒等式が表現するのはマクロ変数相互間の静的(static)な関係であり、そのままでは経済成長や財政・金融政策の効果といった時間的要素を伴う動的(dynamic)なマクロ変数の変化を表現することはできない。

映画は1コマごとの静止画像を毎秒24フレームレート(fps)で連続的に投影することにより、スムーズな動画として認識される。同様に、会計恒等式はマクロ経済の一瞬の静止画像を切り取ったものといえるが、マクロ変数相互間の恒等関係を維持しつつ、それらの変化を連続的に表現することにより静的な会計恒等式を動的モデルに拡張することができる。

数学的・論理的にも異質な構造方程式を組み込むことなく、静的(static)な会計恒等式の動的(dynamic)なマクロ経済モデルへの拡張を可能とするのが、レオンチェフ逆行列である。それは経済の各時点での静止画像をつなぎ合わせることで、経済の動的な流れを捉えるアプローチともいえる。レオンチェフ逆行列により、経済成長や財政・金融政策の効果といった時間的要素を伴う動的(dynamic)なマクロ変数の変化を表現することが可能となる。

本論第4部では、政府、日銀、金融機関、事業会社、家計、そして海外の6部門のバランスシート上のストック変数([借方]金融資産/実物資産、[貸方]負債/資本)から成る会計恒等式を6行6列の正方行列に組替えた上で、レオンチェフ逆行列を求めることにより、マクロ変数相互間の恒等関係を維持しつつ、バブルの崩壊とそのカウンター的な財政・金融政策オプションの変化の数値を入力し、その政策効果・インパクトを出力するシミュレーションを実施する。これを本書では、信用連関逆行列分析と呼ぶ。

従来、SNAの国内総生産勘定におけるフロー変数([借方]中間投入/粗付加価値、[貸方]中間消費/最終需要)から構成される会計恒等式を行列化した上で、レオンチェフ逆行列の数学的処理を行うことにより、動的な経済モデルである産業連関分析が行われてきた。これに対して本論第4部の経済モデルは、フロー変数により構成される産業連関表(会計恒等式)をストック変数([借方]金融資産/実物資産、[貸方]負債/資本)の会計恒等式に変換したものともいえる。

特に、バブル崩壊とそのカウンター的な財政・金融政策オプションの実施による一国経済全体のマネーストックと資本(国富)ストックへのインパクトに関するシミュレーションは、日本経済復活に向けた財政・金融政策の基本形にもなるであろう。

信用連関逆行列分析

信用連関会計恒等式(AICI)モデルでは、政府、日銀、金融機関、事業会社、家計、そして海外の6部門のバランスシート([借方]金融資産/実物資産、[貸方]負債/資本)から成る会計恒等式を6行6列の正方行列に組替えた上で、そのレオンチェフ逆行列を求めることにより、マクロ変数相互間の恒等関係を維持しつつ、バブルの崩壊とそのカウンター的な財政・金融政策オプションの変化の数値を入力し、その政策効果・インパクトを出力するシミュレーションを実施する。

バブル崩壊の波及効果の測定

バブル崩壊による実物資産の価格(地価・株価)の変動が経済全体にどのように波及するか。特にバブル崩壊後の不良債権問題・金融危機は銀行システムの負債であるマネーストックの収縮を招き、それが経済全体にどのようなインパクトをもたらすか。ストック変数([借方]金融資産/実物資産、[貸方]負債/資本)相互間の連鎖的影響(波及効果)に関するシミュレーション結果は衝撃的である。

財政・金融政策の変更に伴う波及効果の測定

会計恒等式を動的モデル化するレオンチェフ逆行列の場合、財政・金融政策の変更に伴い、各制度部門のストック変数の複式仕訳が発生することにより、BS勘定行列、金融係数行列、そして信用連関逆行列の数値も変化する。具体的には、BS勘定行列上、財政・金融政策の変更に伴い同時的に発生する実体資産ベクトル、金融資産ベクトル及び負債ベクトルの変化を入力して金融係数行列と信用連関逆行列を再計算した上で、先決内生変数(総資産ベクトル、資本[国富]ベクトル)とそこから再帰的に決定される内生変数(金融資産ベクトル、負債ベクトル)を計算・測定する。

このようにして本論の信用連関会計恒等式(AICI)モデルにおいては、財政・金融政策の変更に伴うBS勘定行列、金融係数行列、そして信用連関逆行列の数値の変化をシミュレーション過程に数学的に折り込むことにより、マクロ変数相互間の複雑な挙動と政策変更の波及効果を数学的に測定することを可能とする。

「ルーカス批判」への批判

1976年、米国の経済学者ロバート・ルーカスは、政策変更に伴い人々の合理的期待が変化し、それが構造方程式のパラメータ(係数)を変化させて予測値が現実と乖離すると批判した(合理的期待形成仮説)。このルーカス批判を受けて、「代表的個人(representative agent)」の効用、選好、技術進歩等、合理的期待の変化の影響を受けない不動のディープ・パラメータから成る「ミクロ的基礎(micro-foundation)」の構造方程式(RBC/DSGE)モデルが現代マクロ経済学の主流となった。

しかし、一見、政策変更に伴うモデル構造(構造方程式とパラメータ)の変化のように見えたものは、現実には代表的個人の合理的期待の変化とは全く無関係であって、信用連関会計恒等式(AICI)モデルの金融係数行列と信用連関逆行列の数学的な変化から生じたものである。そして、財政・金融政策の実施に伴う金融係数行列と信用連関逆行列の変化を信用連関会計恒等式(AICI)モデルに数学的に折り込むことは可能なのだから、本来、現代マクロ経済学(RBC/DSGEモデル)が観測・数値化も不可能な効用、選好、技術、情報等のディープ・パラメータを導入する必要もなかったことになる。この40年間、構造方程式モデルとしての数学的精緻さは磨かれたものの、それに反比例して益々現実から乖離した空理空論と化していったのではないだろうか。

他方、合理的期待が変化しようがしまいが、当たり前だが全てのマクロ変数に関して会計恒等式は常に成立する。そして、信用連関会計恒等式(AICI)モデルにおいて、政策変更に伴う金融係数行列と信用連関逆行列の数学的な変化こそが、より正確なシミュレーション結果の数値を導くのである。

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