お告げのフランシスコ姉妹会

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天正遣欧少年使節の足跡をたどって No.4

次。そのあと。 今度これはですね、これはコーチンですね。コーチンは、昔も今も変わっていないように思いますけども、紀元前500年からの大国際港だったところ。 ここで発掘調査している友達がいるんですけど、ここから46の違う文化が発掘されている。ということで、ポルトガルも、それがもう情報として知っていたから、コーチンというのは、もうそこに行ったら、いろんな商売になるものがあるっていうことを分かっていて行ったという風に思います。 で、ここも胡椒ね、胡椒の産地ですね。で、えっと胡椒

    • 天正遣欧少年使節の足跡をたどって No.3

      マラッカ 次、その後マカオからマラッカ。  マラッカは、まぁ、場所分かりますよね、マレー半島の真ん中辺ですけれど。ここも 同じです。今、ここを見ているところが、マラッカの中心地で、左側は川があって、今チャイナタウンになっている。なので、ここもやっぱり浅瀬だから、少し沖に泊めて、小舟でこう入っていたと思いますけど。 多分、今のボートがいるところの右側、ちょっとあの砲台跡があるんですけれども。彼らはが着いたのは、これ分かるか、ここに砲台跡があるんですけど、多分この辺に上陸した

      • 天正遣欧少年使節の足跡をたどって No.2

         マカオ    マカオ。  マカオは、元々、フランシスコ・ザビエルが亡くなったのはShangchuan(上川)っていう島ですけれど、 Shangchuanにイエズス会が入り始めて、すごい真面目な神父さん達が入ってくると、それこそ船員たちは居づらくなってきた、いろんなことで批判された、酒飲みすぎだとか女性なんかしてるとか結婚してないのに何やっていんだとかって、で、うるさいので船員たちが他にもっといい所ないかって探したのがマカオなんですね。でも、その後イエズス会もまた来てしま

        • 天正遣欧少年使節の足跡をたどって No.1 

          Intro 今日は、どういう風にこう動いて帰って来たかを、簡単にスライドでご覧に入れたいと思います。  文献的には、少年使節が、今、お祈りで言ったように、1582年の2月20日に出発を長崎から出発して、帰ってきたのは1590年の6月28日にまた帰ってくるんですけれども、その間にいろんなことがあったとは思うけども、1番大事なことは、多分、カトリック教会が危機だった。カトリック教会が、宗教革命でプロテスタントにどんどん人が取られていっていた。  で、このまま行くと、カトリック教会