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明日レッチリ来日じゃん

こんばんは。
早いことにもう一年の半分が迫ってきています。毎年言ってる、これ。

私はというと、日々の大学の授業や課題、留学エージェントとの話し合いなど何も変わらない日常に見えて、明らかに未来へと繋がっていく。そう実感する日々を過ごしていました。

さて、ここ数日、梁石日(ヤン・ソギル)の『シネマシネマシネマ』という、主人公の作家が映画製作に携わる本を読んでいる最中なのですが、ここで出てくる、「自己嫌悪と葛藤しながら、しかし先のことは全く考えずに、その日暮らしを送っていた。先のことを考えると憂鬱になるからだ。」(P17、14行)「一日をいかにしてやり過ごすか、その積み重ねだった。(中略)だが、私はつねに世界の未来について希望をいだいていた。私の個人的な人生についてはどうでもよかったが、世界の未来については大いなる関心を寄せていた。」(p17)という、主人公の半ば諦観しつつ、しかし大きな世界という対象に対しては希望を見出す姿に、深く共感し、つい今の自分と重ねてしまいました。一日一日過ぎるのをただ待って、ほとんどを受動的に過ごしていましたが、やはり不安というのは何の足音もなく襲ってくるもので、実家にいた時はほとんど会話を交わさなかった父に、助けを求めるかのように電話をしたのも、つい昨日のことです。

話の九割は、将来どうしたいか。
そこで、初めて父の仕事に対する思い、家族に対する思い、人生のこと、社会人として生きること、など。かれこれニ十分ぐらいでしたが、会話をすることで心に纏わりついていた不安が少し緩んだような気がしました。

私は決して先のことは考えない性分なのですが、こうやって悩みに悩んでいる今。奇遇なことに過去から今までずっと愛してきたアメリカのロックバンド、Red Hot Chilli Peppersのライブがついに明日となりました。何が奇遇かというと、私は今現在、過去と未来の狭間にいるような気がしているのです。どんな時も狭間にいるではないか、と思うかもしれませんが、昔、暗い夜に生きる希望を与えてくれて、自分を形成し、「死」、「愛」、「友情」、「自己破壊」、そして一番大切な「音楽の素晴らしさ」を教えてくれたRHCPの来日がまるで今までの私との一区切り、通過儀礼のように感じるのです。

将来、やりたい事も、なりたい職業も、行きたい場所も国も、観たいアーティストもありすぎてどうしよう!というくらいなのですが、素敵な本と映画とドラマと、そして音楽と、あと大切な人たちがいれば、上手くいかないことがあろうと(父はほとんどが上手くいかないよ、と言っていましたが…。)そういう時は海を見に行ったりして、歩みをどんなスピードであろうと進めるべきなのかなと思います。生きようね。
これが、20歳の私が出せる精いっぱいの答えです。

こうやってつらつらと綴っていると、角部屋の宿命なのですがあっという間に午前三時の新聞配達のバイク音に気が滅入ってしまうので、(いつもお疲れ様です。)世界がもっと優しくなることを願って枕に頭を預けようと思います。


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