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「尚隆」の通称を英語版から考える…

明霞さん@hazyglow12の「尚隆」についての読み方の深い考察https://twitter.com/hazyglow12/status/1202966080030793728 について、英語版『東の海神 西の滄海』”The Vast Spread of the Seas” から考えた場合をちょっと述べたいと思います。

英語版では…

英語版では名前は全てローマ字(アルファベット)表記になるので、「しょうりゅう」”Shoryu” か「なおたか」”Naotaka” のどちらになるかは、かなりはっきりしています。『東の海神〜』WH版p.176の「尚隆は、と訊けば」の六太の台詞は「なおたか」と英語版ではなっています。基本的に瀬戸内描写時は「なおたか」、雁国描写時は「しょうりゅう」とされています。

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写真下は終章で六太が「ー朱衡、尚隆を知らねえ?」の箇所。

英語版加筆箇所に関して…

この呼び方に関して英語版で一番特筆すべきは、その言い方について、原作にない部分が加筆されているという事。同一人物である「尚隆」がローマ字表記では二つに分かれてしまう事で、あたかも違う人物に捉えられてしまう為のフォローかもしれません。

どこまで小野先生が英語版翻訳に際して関与されていたかは分かりませんが、少なくともその当時はまだ講談社が出版権を持っていたはずなので、その編集側が英語版出版社や翻訳されたものを確認してOKを出していたと思います(そうであってほしい…)。

“Your name, too, will change - or rather, how it is said. Naotaka sounds strange, so you’ll pronounce it the way the scribes do: ‘Shoryu.’
尚隆
‘You’ll be called Shoryu.”
“The Twelve Kingdoms 3: The Vast Spread of the Seas”p.285より

意訳:
「お前の名前ーというよりは名前の呼ばれ方ーも変わるんだ。「なおたか」は(あちらでは)奇妙に聞こえるから、書記官が発音するように「しょうりゅう」と発音するんだ(名乗るんだ)。
お前は「しょうりゅう」と呼ばれるんだ。」

(※この書記官”the scribes”というのはあの時代、日本でも識字率は低く、特別な役の人のみが書物編纂等に関わっていた事を考えると、そういった人の事を指しているのではないかと推測します。特にまだ大陸文化の影響もあったはずなので、文章では漢文等使用されていて、文書上では漢文(即ち音読み)が使用されていたかな…と。)

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この加筆を、もしも小野先生が了承済みで加えたものとすると、六太たちが瀬戸内にいた時は「なおたか」で、雁国に来てからは「しょうりゅう」とする事にした(十二国の世界では「なおたか」は不思議な発音のしかただから)…となります。

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矛盾点?

『東の海神~』の「この状況でこれだけ明るい声を出せるのは尚隆しかいないだろう。」の箇所に関してですが、私が所有しているWH版p.215ではルビがないのでなんとも言えないのですが…。

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もし最新の新潮社版で、この瀬戸内時代の場面で「しょうりゅう」とルビが振られていたら、それはかなり疑問になりますね…。

参考までに英語版だとやはり、「なおたか」で表記されています…。

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日本語の文語と口語体の乖離から(かなり個人的な追記)

これは具体的な根拠を示す参考文献をちゃんと調べたわけではないのですが、明治時代?あたりまで、日本語という言語が書き言葉と話し言葉で表現法がかなり違っていた…という事を聞いた事があります。

これを思い出して少しググってみたら、以下のサイトでこのような表記もありました。
https://japanese.hix05.com/Language_2/lang219.hanasi.html

「日本語における話し言葉と書き言葉の遊離は、… それ以上に日本語が漢字を採用していることに起因する部分が大きい。
漢字というものは言うまでもなく、中国の文字であり、中国人はこの漢字を用いて、書き言葉としての文章を綴った。そして、日本人はこの漢字を文字として採用したのであるが、...外国語である漢文を、訓読の読み下し分に転化させることで、一種の日本語表現として取り込んでしまったわけである。
徳川時代の学者が書いた文章には、この読み下しの漢文に近いものが多い。そうした漢文朝の文章は明治、大正と続き、昭和の敗戦に至るまで、官庁の公式文書はもとより、商業新聞の記事にも用いられていた。それ故、書き言葉と話し言葉の遊離は、日本語の歴史の中で非常に深い根をもっているのである。」

そうすると、文献で語られる武将たちも「文語」すなわち、漢文になり、音読みで「読む」のは不思議ではないことになります。ですが、実際の話し言葉では、文献表記とは違っている可能性も大いにありそうで、特に尚隆の場合、フランクなので、そのまま呼ばせていても個人的には不思議ではないな…と思ったり…。

尚隆がもともと生きていた時代よりも少し遡った、室町時代の外記局官人、中原康富が記した日記「康富記」も漢文だったようなので、文体と口語体でかなり表現が違っていてもおかしくないかな…という気はします。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/康富記
http://syurihanndoku.hatenablog.com/entry/2017/06/04/234833
上のサイトの例では、ルビが既に使われているようだったので、どこまで厳密に文書の中では「音読み」が通されていたのかは不明です…。

文章上は借りてきた中国の漢字のルールに則り、だけれども、通常話していた言葉やルールは日本語独自のもので違っている可能性もかなりある気がします。

…英語版の事についてちょっと追記するつもりが、長くなりました…。十二国記の色んな面について研究&論文書けそうです^ ^;;

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