花火と火花

 心理テストとは,同一の刺激を提示し,それに対する被験者の反応の違いから,その人らしさを推測するものである。ロールシャッハ・テストも,そうした心理検査の一つである。これが何に見えますかと言われて,「インクの染み(のようなもの)」という同一の刺激を提示されたとき,被験者は何かを見つけようとしてそれを眺めていると,特定の何かではなかったはずのしみが,何かに見えてくる。何が見え,どうしてそのように見えたかを説明してもらうことを通して,被験者の脳の機能(心の働き)の特徴を推測することができる。ロールシャッハ・テストの場合は,10枚の図版が用意されていて,それぞれについて反応を求めることで精度を高めている。結果をどのように整理し,解釈し,利用するかといった専門的なことの詳細は,ここでは割愛し,一つの具体例を取り上げる。
 たとえば,ある1枚の図版を見て,「花火に見えます。」という反応があったとき,被験者は図版という刺激をもとに,脳のあちこちを働かせ,膨大な脳内の情報の中から取捨選択をして,最終的に「花火」と決めて反応したと考えられる。どういうところから「花火」に見えたのかは,「色の感じから。」とか,「パーっと広がるイメージから。」など,人それぞれで,多様な感じ方がある。被験者の脳内で起こっているプロセスをfMRI等を用いて高精度に記録できれば,その人らしさをかなりの程度まで推測することができるが,このテストの結果から得られるのは,言葉による最終的な反応と,そう反応した決め手は何かということくらいである。
 ロールシャッハ・テストの整理方法についてはいくつかの方式があり,たとえば一部の専門書には,「花火」という反応は爆発と関係するものと整理するようなことが書かれていて,それにしたがって解釈することになる。解釈仮説は,多くの反応を系統的に整理し,被験者の臨床像と突き合わせる作業を重ねることで,こんな反応がこのくらい出てくると,こんな臨床像であることが多いという統計的エビデンスから導かれる。個別の解釈は,10枚の図版すべての反応を定められた整理法に基づいて整理し,それをもとにして行う。
 心理テストは,定められた手順で整理すれば,経験が浅くとも大きく外れることなく解釈できるように作られている。テストというのはそういうものである。質問に「はい」か「いいえ」で答える心理テスト(質問紙法)に至っては,いまやコンピュータで処理するのが主流である。ただし,経験を重ねると,同じ検査結果を見て,より深い解釈をすることができるようになる。いわゆる「職人技」である。
 先ほど例として取り上げた「花火」についても,一部の専門書では,爆発に関係するものとして整理することになっているが,爆発にもいろいろあって,火山が爆発するのと花火が爆発する(爆発というのが適当かどうかさえ疑問である)のとでは印象がかなり違う。同じ花火であっても,打ち上げ花火と線香花火とは大違いである。こうした違いは,被験者の脳の中で起こっていること(これを体験という)の違いでもある。テスト結果の解釈を行う際,こうした体験の違いを考慮することができる職人は,同じテスト結果をもとに,被験者の脳あるいは心の中のことについて,より多くのことを推測することができるのである。
 このことを踏まえて,映画の話をする。
 北野武監督の映画「花火」では,鮮やかな彩りの「花」の美しさや,潔く散る桜よりもはるかに短い,ほんの数秒で散って消えてしまうはかなさを花火の基本的特性としつつ,もう一つの特性である「火」の激しさ,あるいは拳銃の発砲にもつながる暴力性や危うさを表現しているように思う。
 遠くから見る花火は,「花」の要素が強いが,花火大会の会場に行って,近くで見る花火は,「火」の要素が強くなる。小さい子供は,その大きな音におびえて,泣き出すこともあるだろう。
 花火がはじけることは,まさに爆発であり,生命身体の危険が近いことを暗示するものである。安全が確保されていると信じているからこそ,恐怖を感じることなく,その迫力を堪能することができるのである。
 もう一つ,「火花」という映画もある。ピース又吉が芥川賞を受賞した作品を映画化したものである。
  拳銃から弾丸とともに飛び出す火花には,実は「花」のような美しさやはかなさがあり,弾丸等の破壊的な力が強大であればあるほど,花の要素も際立つ。
 「線香花火」のような火花であれば,人々が「花」の要素を見つけやすいであろう。しかし,そこにも確かに「火」の要素はあり,「線香花火」を想起するときには,破壊や暴力につながる脳の活動が喚起されるのである。

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