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日記(1/18〜1/24) 〜非常にはっきりとわからない展、Creepy Nuts、最近読んだミステリ、mondaraレトルトカレー


・美術展『非常にはっきりと分からない』の図録が届いた。 

↑これでひとつの本。すごい装丁だ。


『非常にはっきりと分からない』は、2019年末に千葉市美術館で催された現代アート展。
 前情報が殆ど無く、「会場全体を使った現代アート展示」ということしか知らされていなかったが、面白そうなので行ってみたのだ。

 ↑会場一階の様子。

 会期中はネタバレ禁止のような空気があったけれど、もう終わっているし少しは書いてもいいだろうか? 触りだけ書いてみよう。

 会場である千葉市美術館の1階は、木材や脚立、ガムテープなどが散乱している。「展示物の設営中」といった様相。参加者はそこで入場まで待つことになる、
 チケットを買うと、「展示は7階と8階です」と説明され、エレベーターに乗せられる。エレベーターは他の階には止まれない。
 確か、初めは7階から観るように促された気がする。そして、「何度でも戻って観れます」と説明された。要するに、行ったり来たりする展示なのだ。
 そして7階に着く。ドアが開くと……

ここから先のネタバレは、下記の千葉日報を参照。


・以下は個人的な感想(というか、僕が入った時の状況)。
 7階と8階をすべて見た後、もう一度7階に戻った。エレベータを降りて左の部屋に入った時、僕は、「あれっ?」と声を出した。物の配置が、先程見た『8階』の配置になっていたのだ。
 真っ先に思いついたのは、「エレベータで8階から7階に下がってきたと思ったけど、実際には8階から動かないままエレベータを降りてしまったのか?」という事。
 エレベータ内で感じた『箱ごと下がっている感覚』の記憶を疑ったのだ。
 しかし数秒考えた後、「いや、たしかにエレベータは降りていた」と思い直した。エレベータには他のお客さんも乗っていたのだ。
 そこで、「7階の展示内容(配置)が変わったのではないか」という可能性を思いつく。
 が、それにしては、配置変更の手際が良すぎる。僕が7階を離れていた(8階を見ていた)時間なんて10~20分程度だ。その間に、こんな大々的に展示内容を変えることが出来るか?
 こうした疑念が生まれると、次の可能性も思いついた。そもそも、僕の持っている「7階の展示配置の記憶」が間違っているのではないか? つまり、展示内容は先程から何も変わっておらず、僕が勝手に7階と8階の展示内容を混同して記憶しているだけなのではないか?
 それを確かめるために、僕は7階を全て見て回った。
 結果、7階の展示で記憶と異なるのは、左手の大きなオブジェだけだった。他のガムテープやオブジェなどは記憶の通り。
 いよいよ分からなくなった。僕が記憶違いをしているのか? それとも展示内容が時々刻々と変化しているのか?
 答えが出ないまま、僕は再度8階に向かう。
 8階の展示内容は、また更に記憶とは違うものだった。最初に見た7階の展示と、最初に見た8階の展示と、二度目に見た7階の展示のいずれとも異なり、しかしどれとも似通った風景のように「感じた」。
 ここまで来ると、僕はもう、いつ、どこで何を見たのか、すべての記憶に自信が無くなっていた。
 例えば二度目の8階では、高い足場の上で男性が寝そべっていたのだが、最初来た時に彼が居たのかどうか、記憶にない。最初は存在に気づかなかったのかもしれないし、それとも認知はしていたけれど、もう「忘れている」のかもしれない。同行者は、「さっきは人形だった気がする」とも言っていた。

 要するにこの展示を見ていると、実際に何が起きているのか、それを自分がどこまで記憶しているのか、また自分が何を記憶違いしているのか、何を見落としているのか、それらが全て曖昧になっていくのだ。

 結局僕は、この展示で僕が得たものは「自分がどこに居るのか分からなくなる精神的浮遊感」であり、もっと一般化すると「記憶の不確かさ」を体感するための装置なのではないかと結論づけた。

 が、今になって思うと、7階と8階を混同したのは、たまたまあの時間にあのペースで会場を訪れた僕だけだろう。他の大部分のお客さんは、そんな混同をしなかったはずだ。
 つまり僕はあの展示会の一部を切り取って見ただけにすぎず、その一部を見て、何かを得たように感じただけなのだ。

 僕が得たものは作者の意図ではないのだろうが、おそらくそれはどうでもいいことだ。この展示では、何に対しても全体を掴み理解しようする姿勢(理解できるという傲慢さ)自体を皮肉られているのだと思う。
 僕にとってこの展示はそういう装置であったし、それを楽しめたので、良い体験になった。
 今後もこのグループの展示は欠かさず追っていこうと思う。


・最近面白かったミステリ短編。梓崎優『砂漠を走る船の道』

 砂漠の真ん中を横断中のキャラバンで、連続殺人が起きる短編。
 綺麗な話だ。舞台設定が上手く、それと事件(動機)が上手く合わさっているのが良い。動機が主題のミステリ(ワイダニット)は作例が少ないけれど、どれも面白いような印象がある。おそらくそこに人間性があるからだろう。
 そしてこの作品は短編であるが故にフーダニットを手放しており、その潔さが読み易さを生んでいると思う。


『ミステリーの書き方』をちまちま読んでいる。

 第一線で活躍する数十人の推理作家さんが、どう小説を書いているかが書かれた本。コラム集とでも言うべきか。
 僕からしたら神様みたいな先生達が、思い付いた小さなトリックを「ああでもないこうでもない」と悶々こねくり回してる様を聞くと、「この人も人間なんだな」と嬉しい気持ちになり、泣けてくる。 



・最近、Creepy Nutsを聴いている。
 あまり音楽を聞かない人間で、ヒップホップは特に何も知らないのだけど、オードリーのオールナイトニッポンで何度も話題に上がっていたので興味が出た(こういうのって、元のファンからしたら嫌なんだろうな……)
 特に僕は『オードリーのオールナイトニッポン 10周年全国ツアー in 日本武道館』にも参加したのだ。そのツアーの主題歌としてCreepy Nutsが書き下ろしたのが、『よふかしのうた』なのである。

 武道館ライブ、僕は結構良い席を当てることが出来た。オードリー絡みて正面左のほう、前から六番目くらいの席。当日は凄い熱気で、特にプロローグとして「二人の今までの歩み」の動画が流された時は、早くも泣きそうになったのを覚えている。

 Creepy Nutsの話だけど、ひとまずアルバム『よふかしのうた』『たりないふたり』を聴き、あとapplemusicでいくつか聴いた。
 ヒップホップって簡単に言うとパリピのイメージがあったけど、どれもネガティブというか、世間に居場所のない『陰キャ』的な歌詞が多くて驚いた(面白かった)。
 でも考えてみれば、そういうロックバンドも結構あるし、そもそも「サラリーマンにならず音楽をやる」っていうのは社会のメインストリームではないのだから、楽観的でばかりは居られないのかもしれない。何にせよ好きなアーティストが増えて凄く良かった。

 関係ないが、奥様(あえて敬称)はヒプノシスマイクの関係で最近よくCreepy Nutsを聴いているらしい。妙な所で趣味が噛み合ったな、と思った。 



・レトルトカレー『mandara バターチキンカレー』が美味しかった。
 神保町のmandara、まだ行ったことないんです。

 ぶれた写真しか無かった……。
 写真はともかく味は美味しかった。トマトとバターが効いたお手本のようなバターチキンカレー。
 コクはバターだけでなく、たっぷりの生クリームで出している模様。
 スーパーでも変える手堅いレトルトカレーとしてどうぞ。 


■最近食べて美味しかったもの。
 ・バスチー。こんな美味しいものがあるなんて。各コンビニで出ているようだ。コンプしなければ……。

・セブンの砂肝。これとビールで優勝できる……。

・鍋。鍋はどうやっても美味い。味が薄くても旭ポン酢をかければご馳走になる。旭ポン酢は美味い。

野菜モスバーガー。行くと普通のモスばかり食べてしまうのだが、気が向いて野菜モスを食べてみたら、オーロラソースとレタスが美味しくて驚いた。皆も食べよう。


・家系ラーメン行ったらラーメン並とライス小でお腹いっぱいになり、もう年だな……と思った。並とライス小でお腹いっぱいになること自体は素晴らしいことだと思うが……。


・小説の構想をごろごろ考えながら、基本情報のテキストをのろのろ読んでいる。知らないことが載っていて面白い。

・アイマスの新作発表。春香さんが可愛すぎて驚く。最後にやったのはSPだからもう十数年前か。久しぶりにやってみようかな……。




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