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【小笠原滞在記】【完結】3.父島最終日・おがさわら丸復路


 父島滞在の最終日は、竹芝に帰るおがさわら丸が15時に出港する。それまで時間があるが、自分は特にアクティビティやツアーは予定していない。二見港がある島の中心部まで、オーナーが車で送ってくれるというので、お願いする。自分以外の宿泊者は、今日の午前中も何らかのアクティビティを予定しており、ツアー会社の車が迎えに来るとのことだ。

 この三日間で、同宿の方々とは様々な雑談をし、少し打ち解けた。ある晩などは、持ち込んだ酒を互いに分け合ったりした。一人の若者が島で買ったパッションフルーツのリキュールを分けてくれたので、自分は返礼に、父島のスーパーで買ったパックの日本酒を分けたのである。このパックは、都内のどこのスーパーでも見かける品物だ。
 この方は母島に日帰りで渡航し、あの絶滅危惧種、アカガシラカラスバトを目撃したとのことだった。山道をごく普通に、無防備に歩いていたとのことだった。もう一人の若者は、シーカヤックが一番楽しかったと言っていた。
 
 ペンションの前庭で、オーナーを待つ。敷地内には車が二台ある。一台は宿泊客の送迎に使う乗用車、もう一台のボックスワゴンは、おそらくオーナーの個人的な趣味の車と思われた。庭には釣り道具が置かれている。釣り等のマリンスポーツが趣味の人間にとっては、小笠原諸島は天国のような環境だろう。バイクも一台置かれている。バイクで走り回ったら、父島は一時間程度で一周出来てしまうだろうが、起伏の多い地勢で、公共交通に限りがある環境では、移動手段として重宝するだろう。
 また、庭にはペットボトル回収ボックスが置かれている。滞在中、このボックスにペットボトルを捨てる際に、自分はラベルを剥がしてから捨てていたのだが、注意書きを改めてよく読むと、小笠原ルールだと剥がさずに捨てるのが正しいのだという。理由は良く分からない。
 車内でオーナーと話す。今回私が泊まったペンションは、空室が一つ残っていたが、直前に私の予約が入ったことにより、完全に満室になったとのことだ。コロナウイルス時代は、実はそこそこ儲かっていた、海外旅行が出来ない代わりに、父島には多数の観光客がやってきたとのことだ。勿論その当時は、乗船、上陸の際には検査が義務付けられ、感染拡大防止のため、船の定員も大幅に少なく設定されていたという。
 しばらくは村営バスと同じルートで走っていたが、途中で別コースを取り、海上保安庁施設の脇を通る。オーナーは海上保安官とも顔見知りであるという。
 
 大村地区に着く。役場前からは、二系統の村営バスが出ている。一つは、今までに何度も乗った「扇浦線」。父島の西側を南北に繋ぎ、小港海岸まで向かうルートだ。もう一つが循環線で、島の中心地である大村地区を一周する。

 最後の機会なので、循環線に乗ってみる。途中から坂を登り、丘の上の集合住宅のエリアを走る。いかにも団地といった感じの建物だ。世界遺産の観光地小笠原の、楽屋裏を見てしまったような気になる。20分ほどで一周し、スタート地点の役場前に戻ってきた。

 次に、島のレンタサイクルショップにて、自転車を借りる。ヤマハの電動アシストサイクルだ。
 父島北側の舗装された山道を登る。辿り着いたのは「ウェザーステーション展望台」だ。一昨日登った中山峠展望台、中央山展望台と合わせて、父島の主要な展望台とされているとのことだ。これで全て登ったこととなる。帰路は下り坂で爽快であった。
 
 父島で最後の食事となる昼食には、やはりもう一度ウミガメ料理を食べておきたい。大村地区を歩き回って見つけた定食屋で、ウミガメ定食を頼む。随分と待たされたが、アオウミガメの刺身と、煮込みがおかずに付いてくる。

 アオウミガメの刺身は半ば凍っていて、ルイベのようであった。元々そういう料理であるのか、この店のこのメニューがそうなっているのかは、良く分からない。自分の知る限りの獣肉では、馬刺しに若干似ているような気もする。鯨の赤身の刺身には、似ていないように思う。 

 煮込みの方は、特にクセや食べにくさは感じなかった。その味を何かに例えるのは難しいが、やはり食感はスッポンに似ているのではと思う。 
 定食を食べていると、隣席に女性が座って来る。昨日の海アクティビティで、一緒にドルフィンスイムをした方だ。帰りのおがさわら丸に乗るために、人々はそろそろ、二見港のある大村地区に集まっているのだろう。
 思考問題のお題として有名な「ウミガメのスープ」の実物は、今回は食べる機会がなかった。

 昼食後に少し時間があったので、父島の北海岸まで自転車を走らせる。丘を越えた所に、宮之浜という小さくて美しい砂浜がある。浜それ自体に加え、長く伸びた木製の歩道も美しい。小笠原旅行の最後に相応しいと思う。少し歩いた所で、そろそろ時間切れとなった。
 レンタサイクルを返却し、二見港の客船待合所で荷物を受取り、出港手続き。六日前、竹芝桟橋を出発する時に渡された引換券を提出し、乗船券を受け取る。
 客船待合所で、往路の船中で一緒に飲んだ、土建会社三人組と再会する。今日の午前、自転車で坂道を下る私の姿を、軽トラの中から目撃したという。確かに、軽トラックとすれ違った記憶があるので「ウェザーステーション展望台の坂ですか?」と聞くと、そうだと言う。 


 定刻通り、15時に二見港を出港。桟橋では太鼓を演奏している。見送りに来た、宿泊施設やツアー会社のスタッフ達が、船上の客に向かって手を振る。甲板上の客も、手を振り返す。若い女の子のグループ等はテンションが上がって、別れの言葉を絶叫している。
 私の宿のスタッフは見つからなかったが、その場の雰囲気に合わせて、どこへ向かってでもなく、ただ何となく手を振り返した。父島全体に対して、別れの挨拶をした。

 無数の小舟が、北に向かうおがさわら丸を追いかけて来る。見送りのための、愉快かつ爽快なセレモニーだ。壮観だ。おがさわら丸は次第に速度を上げていくが、小舟達も負けてはいない。湾の外まで出ても、まだ追って来る。小舟同士で、速さを競い合っているようにも見える。
 やがて小舟達は、それぞれのタイミングで海上で停船する。船上で見送りをしていた島民が、停まった船の屋根の上で逆立ちをしたり、各種パフォーマンスを行い、海に飛び込んでいく。その飛び込みのフォームは、さすがに慣れた様子で美しい。甲板上から歓声が上がり、拍手がおきる。
 そのようにして、見送りの小舟は二見港に引き返し、次第次第に数を減らしていく。加速していくおがさわら丸に、どこまで遠くまでついていけるかも、小舟同士で競い合っているのかも知れない。ある種の度胸試しであり、チキンレースだ。
 最後まで残った一隻は、他のレジャー用の船とは、明らかに異なった形状をしている。速力も群を抜いている。よく見ると、海上保安庁の船艇である。
 白い制服の海上保安官が直立し、おがさわら丸に向かって敬礼をする。一連の水上劇の真打、最後の出演者だ。超カッコいい!!
 その海上保安庁の船も、遂に引き返していく。
 


 おがさわら丸は順調に航海を続け、やがて小笠原諸島の姿は視界から消える。後はただ、太平洋をひたすら眺めるだけだ。この海域では、他に船の姿も無い。
 船の中では、父島の宿や各ツアーで一緒になった人々と、しばしばすれ違う。挨拶や時には雑談をする。連帯感のような感情が、少し生じる。公共交通機関がこの「おがさわら丸」しか存在しない、小笠原旅行ならではの現象だ。
 今、この船に同乗し帰路に着いている人々は、往路も同じ船に乗って航海を共にし、三泊四日の滞在期間を共有したメンバーだ。「一航海」の六日間を共有したメンバーだ。
 通常時において「おがさわら丸」の一往復は六日周期で運航される。竹芝桟橋を午前11時に出港したこの船は、24時間かけて翌日の午前11時に父島二見港に入港し、客と荷物を下ろした後、三日後の午後3時に父島を出港し、翌日の午後3時に竹芝に戻る。この一往復、六日間を「一航海」と称する。島の人々の生活は「一週間」の七日間ではなく「一航海」を一サイクルとして営まれている。郵便局も、小売店もそうであった。
 
 私の船室は復路においても「二等船室」である。精神が昂って、良く眠れない。
 復路においても、一時間ごとにスマホのアプリで座標を測定し、記録した。鳥島から、伊豆諸島最南端の青ヶ島までの海域において、GPS情報が取得できなかったため、欠測がある。時間帯としては、午前4時、5時である。ベヨネース列岩の近海は、往路と同様に夜間時間帯に通過するため、見られない。

おがさわら丸復路の座標情報

おがさわら丸航海中の座標記録は、以下のグーグルマイマップにてご確認下さい。


  

 夜が明ける。左舷に見える伊豆諸島を撮影していると、三人組が冷やかしに来た。良い写真が撮れたかと聞かれたので、適当にあしらった。三人組は、特二等船室を取っているという。三人組のうちの若イケメンは、本土に戻ったら、すぐに千葉の方で次の仕事があるとのことだった。

 本土に近づくにつれ、洋上には様々な船の姿が見られるようになる。太平洋ひとりぼっちでは無くなる。時にすれ違い、また時に、同じ方向へ向かう貨物船を追い抜いて行く。おがさわら丸の航速は、巨大貨物船よりは少し速いようだ。
 多種多様な景観に迎えられ、浦賀水道から東京湾内を進む。往路は富士山の在る三浦半島の側ばかり見ていたので、復路は房総半島の方も少し見る。遠くに茶色い崖線を見て、あの辺りが鋸山かと、何となく見当をつける。

 入港が近づくと、最上甲板に船員が現れ、日本国旗と信号機を掲揚する。
 船はほぼ定刻通りに竹芝桟橋に接岸。人々は下船し、それぞれの帰路に着く。

 竹芝ターミナル近くのゆで太郎でかけそばを食べ、浜松町駅の方向へ歩く。二月の東京都内としては、やけに暖かい。この気温では、奥多摩の雪も大分溶けてしまったのではと思う。

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