冴えないオタクの壊れ方


はじめに

 まずこのnoteを書こうとした理由をあげたい。
『自分の気持ちを整理したい』『備忘録として残しておきたい』『自分の気持ちを伝えたい』『自分への戒め』『バズりたい』等々、いくつかある。でも一番は『オタクを続けるうえでの幸せと葛藤を書きたい』が大きいのではないか。疑問形なのは自分のことを自分が一番分からないからだ。とりとめのない話はこの辺りとして一体何が言いたいのかという話だ。
 
 簡潔に言えば、

 『ある地下アイドルグループの子に恋をした異常独身男性の末路』

 まあこれだけの話だと思う。

 これから記す内容は地下アイドルのオタクなら腐るほど思い当たるところがあると思う。だから、私も別にそんな特殊ではないのかもしれない。
 これはただただイタい自己顕示欲の強いしょうもないオタクの自分語りである。

 そんな私のオタ活の一部始終を簡単に書いていきたいと思う。

すべての始まり

 元々、アイドル(地上)がライトに好きだった私は普段からアイドルソングを聴くのが趣味の一つだった。アイドル業界には『アイドル楽曲大賞』なるものがあって当時のミーハーな私はそれを参考に曲を聴いてた。そして、2021年にアルバム大賞を受賞したグループを知りそのグループを調べると地元のグループだった。遠征なんか数回しかしたことがないDDで在宅オタクの私にとって地元にこのようなグループがいることを知りせっかくだから行こうと思った。調べてみると直近でワンマンライブを控えていることを知りさっそくチケットをとった。
 2022年3月6日
 当日になりライブに行った。第一印象としては『いいな』って思った。今でもそうだが見識がない私はそのような感想しか今思い出してもない。ただただとても楽しかった。そういう感想。
 グループを事前に調べていいなって思った子がパフォーマンスも素敵でチェキを撮りに行った。中身もとてもとても素敵な子だった。
 結局、このグループは主現場ではないけれどやっぱりこの子のおかげで私のオタク生活は始まり会いに行けばいつでも優しくしてくれるこの子は今でも私にとって大切な存在である。
 ワンマンとてもよかったがそもそもそこまでのパッションがない私はその後、3月にあったこのワンマンから5月の単独公演まで現場に行くことはなかった。今ではもう感覚が麻痺しているが常識的に考えて毎週毎週通うのって普通のことではないと個人的に思っていた。
 その年、ゴールデンウィークを控え、元から友達もいなく大した趣味もなく死ぬほど暇だった私は実家に帰るのも面倒くさく何か予定を立てたかった。そこで3月に行ったアイドルグループを調べると5月5日に単独公演があることを知った。行こうと思いチケットを取った。Twitterでフォローしてたそのグループを適当に眺める毎日。そうするうちにそもそもオタクの友達も一切いない私だったがTwitterのおすすめ機能でとあるグループのデビューライブの情報がちらほら流れてきた。しきりに流れてくるそのグループを少しだけ調べてみるとどうやら私のお目当てのグループと同じ事務所ということだった。もっと調べると5月5日がデビュー日でお目当てのグループの単独公演から回せることが分かった。今考えればそんな状況でそして暇で、かつ、当時は趣味もなくお金にも生活するうえでは特段困っていなかったのでちょっとでも気になってるなら行けばいいのに行くか非常に迷った。そもそも私は優柔不断で行動力が一切ないので本当に行くか迷った。なんとなくそんなもやもやを抱えながらフォローもしていない公式とメンバー4人のアカウントをのぞいていた。のぞのぞしていた。そうすると、公式から事前にグループの曲が1曲公開されていた。その曲を聴いてみた。聴いてみた感想としてはすごく良くて本当に本当に本当に魅力的な曲だった。ライブに行こうとついに決断した。事前に気になる子を調べようと思った。ビジュアル、SNSの感じを見てRちゃんのことが一番気になった。
 2022年5月5日
 当日、ライブに行った。最初に3月に行ったお目当てのグループのライブに行った。3月と同じように『いいな』という感想だった。3月ぶりに話に行った子は相変わらずとても優しかった。
 後に控えた行くのを悩みに悩んだ新グループのライブ。
 結論から言ったらとても大袈裟な表現になってしまうがオタク1年生の私にとって本当に衝撃的だった。完成度なら当たり前だが前述のグループと比べ物にならないけど私にとってこの新グループはとてつもなく強烈に魅力的だった。予定はなかったけど全員とチェキを撮りに行った。みんな魅力的な子だったけど事前にいいなって思っていたRちゃん。本当に魅力的だった。何よりパフォーマンスが狂おしいほど好きだった。ビジュアル、パフォ、性格、その他諸々どれをとっても私にとって完璧な存在だった。
 このグループとRちゃんがとても気になった。それから毎回ライブを調べた。チケ発すらよくわからなかった私だけど当時9割土日でのライブだったから通うようになった。気づけば全通レベルで通っていた。でも友達なんかいなくて(当時から本当にごく僅かな友達は私にとって今でも大切な存在です)それでもグループ、Rちゃんが好きすぎてずっと通った。どんなに過疎でアウェーな対バンでも私は通った。特典会が私を含めて2人しかいないときもあった。それでも当時の私は何も考えていなくて今日は人少ないなあくらいにしか思わなかった。
 夏に初の東京遠征があった。もう感覚が麻痺している私は遠征に少し抵抗はあったが当時仕事が非常に苦しかったのもあり有休を使って3泊4日の遠征を決意した。結論から言えば本当に幸せだった。行ってよかったと心の底から思った。こんな能天気な私だがこの時点でグループは崩壊の危機だったことを知ったのはもっと後のことである。

Rちゃん

 私は異常独身男性なのもあり毎週Rちゃんに会うたびに本当に恋をしている感覚に堕ちていった。きづけばいわゆる推しメンに対してガチ恋オタクになっていた。けれど、Rちゃんは自分でも「友達営業しかできなくてごめんね」っていうくらいガチ恋営業ではなかった。それでも元来友達がいなく人を信用できない私にとってそういった『友達営業』が本当に刺さった。本当に思い上がりでしかないがRちゃんは私に他のオタクより少し差をつけて接してくれた気がした。例を挙げるとライブでどれだけ後方にいても見つけてくれると必ずと言っていいほどRちゃんはいつもレスをくれた。特典会では「ゆさきぃと話すのいつも楽しい!」と言ってくれて、オンチェキの裏にはぎっしり文字が書かれ「ゆさきぃいるからいつも頑張れる。ゆさきぃって私にとって本当にそういう存在だよ」「私とゆさきぃって似てるよね。ゆさきぃもそう思ってるしょ?」といった言葉が並べられていた。こんなのは誰にでも言っていたのかもしれない。「そんなのリップサービスじゃん」って話だがさすがにRちゃんは私に対して好意、親しみ、信頼感、安心感みたいなものを少なからず感じてくれていたとは思う。そのくらいの自信があるほどにはRちゃんと仲良くなれていたと思うしRちゃんにとって活動の上で大切な存在にはなれていたと思う。私としてはそのように差をつけてくれるのがひたすら嬉しかった。こんなことを冷静にいま文章に起こすと恥ずかしくてイタくて仕方がないしバカじゃないのかとは思う。だけど、これらの頭の中がお花畑なような思い込みを、まるっきり否定できないのはそれは私が曲がりなりにもグループに一番通っていたしRちゃんと一番チェキを撮っていて太客のひとりだった自覚はあり何よりRちゃんの優しさが偽物だなんて思いたくないからだ。また、そのようなオタクをアイドル側が少し差をつけるのはあまりよくないことだとは思うが理解できる話だとは思う。ここで大事なのは当たり前すぎる話だが前述したRちゃんの私に対する『好意』とはRちゃんにとってアイドルとオタクという構図で活動上の大事な存在であるという『好意』であって、恋愛感情的な『好意』ではないのだ。アイドルとオタクという構図を崩しアイドルに好きになってもらうなんてまず不可能だし、たとえできたとしてもそれはよほどのハイスペックな人間じゃないと無理なのだ。当時の私だってさすがにそういう理屈は分かっていた。それでもそのような『好意』を自分にとって完璧な理想を現実にしたような女の子から受けてしまうと人生で女の子と接点がなく生きてきた私のような異常独身男性は次第に勘違いをしていった。バカみたいな話だがオタク1年生の私は頭ではそんなことありえないと思いつつも『彼女はぼくのことが好きなんじゃないか』『両想い』みたいな感覚に陥った。『あなたから「すき」と言われたなら アイドルだって辞めちゃうから!』なんてそんな頭の中がメロンソーダみたいなことを思っていた。今も友達は少ないが当時一切友達がいなかったのは人見知りなのが一番の理由だったがガチ恋すぎてそんな気はなかったが少しいわゆる同担拒否っぽくなっていたのかもしれない。
 『私だけのRちゃん』
 そんな救いようのないオタクに気づけばなっていた。
 そんなガチ恋生活が続き相も変わらず着々とグループが壊れていってることも知らずに能天気に私はひとり楽しく現場に通っていた。
 そんな中、秋になった。
 いつものようにある対バンに行った。そのライブもいつものごとく楽しかったのだが違和感みたいなものをライブ中に感じた。これも後付けの話なのかもしれないが確かに感じたのは事実だ。いつものようにRちゃんの特典会に行った。Rちゃんは元々感情がよく読めなくどことなくミステリアスな雰囲気の子で一番通っている私でも本心を読めなかった。そういうところが大好きでもあった。そんなRちゃんだがどことなく本当にどことなく元気がなかった。特典会の最後にこれまで全通レベルで通っている私に対して今まで言われたことがないのに「明日のライブ来る?」「(明後日の)ポトレ私の枠取った?」と聞いてきたのだ。違和感しか感じなかったけど私は当然「行くよ!」と返事をした。少し安堵を見せたRちゃん。ここまでくると能天気に「私が来るのを楽しみにしてくれてる!」なんてのは一切感じなく「何かおかしくない?」て思った。
 その日の夜。メンバーが明らかに動揺しているツイートが流れてきた。
 “何か”おかしいなと思った。でもその“何か”は分からなかった。

 忘れもしない。
 心臓が止まるかと思った。

 『Rちゃんについて』

 公式アカウントからRちゃんの脱退についての投稿があった。

 気が狂うかと思った。
 いや、気が狂った。

 脱退前最後のライブはその日の次の日の対バン、そして最後に会えるポトレは対バンの次の日でその日が脱退とのことだった。

 気が狂いながらRちゃんの最後を見届けた。

 余談ではあるがRちゃんはデビュー日から脱退まで一度もライブを休んだことがなかった。
 ひとりで道外からはるばるアイドルを頑張ろうとこの土地へ来ていた。 
 最後まで感情をあまり見せず、そして、まったく弱音を吐かない子だった。
 そういうところが私は大好きだった。

 こんなお別れだけど私にとってはRちゃんと過ごした約5か月の日々は今でもかけがえのない思い出だ。

 その後、軽々しく言えないが私は鬱みたいな状況になり亡霊オタクのような害しかないオタクになっていた。
 ご飯ものどを通らなくなりこの時期から現在に至って酒を飲まないと眠れなくなった。
 元々やる気のなかった仕事だがもっとやる気がなくなり周囲に露骨な態度を取り、これが決定的な理由ではないが多忙な部署から異動させられるひとつの要因にもなった。
 頭がおかしくなった私だが毎週現場に通っていて今更家に引きこもっていることが本当に無理で、だからといってアイドル以外に趣味なんてもうなかったため気が狂って引き続きずっと全通レベルでグループに通った。
 今思えば意地で通っていたと思う。
 私はクズみたいな人間だからRちゃんと仲が良かったHちゃんに行くようになった。残されたメンバーは私に優しくしてくれて、Hちゃんも本当に優しくしてくれた。寂しさは変わらないけど現場に行くと寂しさがまぎれた。少しだけ心が救われていた。
 そんな最中、今度はグループ自体が本当に壊れた。
 Hちゃんも脱退。
 もう駄目だと思ったが、いやもうメンタルは限界を通り越していたが前述の理由でそれでも私はグループに通った。
 悲しいことばかりが続きやり場のない思いを抱えた中、とうとうグループはメンバー1人となり休止になってしまった。
 それでもグループとみんなのことが大好きで残った子も大好きなので私は見捨てることができなかった。
 でも弱い私は、何もせず待つことはできず同じ事務所のグループに休止期間中はずっと通うようになった。
 現場を通うきっかけとなったグループにもこの時期は行ったりしていた。
 結局、こんな動きをしているので「お前は『Rちゃん大好き』とか言ってるけど結局はかわいい女の子に会えればそれでいいDDと変わらないんじゃないか?」と言われてもいないのに心の中の自分が再三問いかけてきた。実際、客観的に見ればそう思われてしまっても仕方がないことだとは思う。だけど、私はただRちゃんに誠実になりたかっただけだった。それはもう一生叶わない。
 
 その事実が本当に苦しかった。

次はもっとうまく……

 気を紛らわせるために通っていた同じ事務所のグループが通っているうちにとても楽しくなった。そこでお目当てで会いに行っていた子は今でも大切な子だ。数は少ないがこの時期に知り合いも増えた。一方、主現場は休止から再始動が延期を重ね執着がほんの少しだけ薄まった気がした。それが悲しかった。
 だけどその時通っていたグループは道内のライブには通っていたが遠征等はしなかった。ゆるーい感じ(それでも遠征以外のライブは行っていた)で通っていた。とても楽しかった。
 そんな中、主現場が新メンを発表しついに復活した。
 正直、期待より不安だった。自分の知らない未知の新体制が怖くて怖くて仕方がなかった。
 もう他界して今通っている現場を主現場でもいいのではないかという思いもあった。
 それでも、新メンお披露目ライブだけは見に行こうと思った。
 2023年3月5日
 結論から言うと、新体制とても素晴らしかった。
 やっぱり私はこのグループがいちばん好きなのだ。
 そう確信した。
 そして本当に私はちょろいから次はNちゃんのことが気になった。
 正直、自分に対して不純な気はした。
 だから、新体制では推しメンをつくるのは気が引けていた。
 けれど、Nちゃんに惹かれて新体制いいなと思った。
 NちゃんはRちゃんに似ているのかと言われたらそうではなく性格は本当に対極にあると思う。一言で表せばNちゃんは陽、Rちゃんは陰というイメージ。
 新体制は旧体制の凄惨な終わりもあって元々いなかった人が前以上にいなかった。そういうのもあって私は見捨てられないという想い、いわば言い方が悪くなってしまうが判官贔屓みたいなとこはあったと思う。だが、いちばんはNちゃんのことが大好きだったからまた通えた。Nちゃんに悲しい思いをさせたくなかった。Nちゃんを応援しようと通っていたが気づけばNちゃんのおかげで私は元気を取り戻していた。Nちゃんを救うつもりが逆に私が救われていたのだ。そして、旧体制のこと、そしてRちゃんのことも思い出にできた。

 けれど、私はRちゃんのときと同じことを繰り返していた。
 私はやっぱり全通した。

 新体制、徐々に人気に火が付き始めた。みんなが魅力に気づいたのもあるが何より新体制の4人とPが本当に頑張ったからだ。
 他の現場のオタクも巻き込んで本当に客観的に見ても魅力的なグループになった。
 ツアーも行えるほどのグループになった。
 まだまだ上を目指せるグループだと確信した。
 こんなに幸せなことはない。
 本当に幸せで幸せで仕方ない。
 グループもさることながら私は今度はNちゃんにとてもとてもとても真剣になっていた。
 Rちゃんで死ぬほどつらい目にあったのにまた私は同じことをしている。 
 何度も何度も何度も自分を戒めたのに。
 それでも私なりのルールとしてもうどんなに好きになっても勘違いはしないこと。そしてもう一つ。これが私の今の行動原理の核となっていることである。
 それは絶対にNちゃんには同じ目にあってほしくない同じ結末を迎えてほしくないということである。その一心で私はNちゃんを応援している。
 その“つもり”だ。
 Rちゃんのときはただ能天気に通っていた私だったけどもっと真剣に頑張っているオタクなんて腐るほどいるが私は私なりに特別な思いをもってNちゃんを応援してきたと思っている。私なりにライブの見方も変えた。
 今でも少ないけど話せるオタクさんたちが個人的にいっぱい作れた。
 本当に私は幸せになれた。

 私はNちゃんのことが大好きで大好きで大好きで仕方がない。

 最高に気持ち悪くて最低な言い方だけどあんなに大好きだったRちゃんを上回ってNちゃんのことを真剣に、そして大好きになっていた。

 けれど、前みたいにイタいオタクになりたくなく、かつ、もう同じ思いはしたくないから自分の感情を抑えたくて私はNちゃんに対してはどこかへらへらした、どこか斜に構えた、どこか気取った、どこか鼻につくような態度を取っていたように思う。
 そこは直したいなと思ったが形にしなくても、声に出さなくても、言葉にならなくても他の誰にも理解されなくても行動でNちゃんにだけは伝わればいいと思った。

例えば

 こんなnoteを書いている私だが“言葉”よりも“行動”が大事だと思っている。
 どれだけ大層なことを言っても行動が伴わなければ意味をなさないと思っているからだ。
 けれど、行動だけに囚われ、自分の価値観に酔い、言わなくても分かると思って言っていなかったことが実は相手に1ミリも伝わっていなかったなんてこともあるのではないのだろうか。

 そんなことを私は今、毎日のように考え、そして悔いている。

 私みたいな人望も能力もないたかが1オタクが推しメンにできることなんてないとは思うしできると思ってるならそれこそ思い上がりである。

 それでも、何か変えることはできたのではないか。

 果たして、私が本当に大切にしたいと、守りたいと、そう思ったものは一体何だったのだろうか。

末路

 2024年3月1日
 
 『Nちゃんについてのお知らせ』 

 最後の最後の最後で私は行動すらできなかった。
 Nちゃんの最後の2日間私は熱が出たため見られなかった。

 Nちゃんとの思い出。
 
 数えきれないほどある。

 デビュー日から、ずっと見てきた。

 『5か月の壁を乗りこえたうちらは最強!』

 本当に大好きだ。

 このグループのNちゃんとは私が一番思い出がある。
 そこだけは絶対的に自信を持っている。

 今、このnoteで振り返ることなんかできないほどの思い出がある。そして、私は振り返れるほど強い人間ではない。

 Rちゃんの傷はまだ完全には癒えていないが、やっといま、このnoteである程度振り返ることができた。

 Nちゃんのこともいつか振り返れたら大好きなところや思い出を詳しく記したいなと今は思っている。

 『予定にないエピソードがある方がこの世界は輝いて見えるよ』

 私が一番好きな曲の歌詞だ。

 私は『予定にないエピソード』のおかげでNちゃんと出会い、しあわせになれた。

 私の一番の願いはNちゃんのこれからのしあわせを願っている。

 そして、もうひとつある。これは私のエゴでしかない望みになる。

 それは、
 
 私はNちゃんにもう一度会いたい。

 いま言うべきことではないし叶うほどやさしい世界ではないのは身をもって知っている。

 それでも、

 こんな夢の中だと思いたいくらい残酷で、冷たく、目を背けたくなることばかり起きる世界ではあるが、

 『この世界は輝いてるよ』

 その言葉を私は信じたい。

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