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NLPを学んだこと、何年も経って

NLPという実践心理学、というのかな?
学びがあります。
その学びに飛び込んだのは2018年のことでした。

なんで学んだか、もともとはそういう心理の分野にはあまり興味がなかったんです。
ただ、お客さんのお話を伺ううちに、占いだけではだめかもしれない、と思うことが何度かあったのと、
自分自身が変わる必要があると感じていて、そのためにできることはないだろうか?と考えていて、他に情報がなかったんですよね。
そして幸いにして、その頃いろんな事情で学べるだけの経済的余裕があった。

占いだけではだめかもしれない、と思ったのはお客さんに対してできること、および自分自身のメンタルをどうしましょう?ということの両面においてですね。

NLP、座学での学びもあるけど、ワークが多いです。
最初は何やってるのかわからなかった。
やってることはわかるけど、それが何につながるのか。
だからもしかして、ふーん、という感じだったかもしれません。
(あの頃の仲間のみなさま、ごめん。わたし相当やな奴だった。いや今でもわりとそう)

いろんなワークをやって、そして自分が変わったか。
わからない。
変わったのかもしれないし、変われていないのかもしれない。
もともと、わたしは人に心を許すことができないようなところがあって、それが自分がなにかセッションを受ける場合でもブロックになっているようなところがあったと思う。

実はわたしが占いをやっていてセッションが好きなのは、
…好きというか自分にとってよいことだと思うのは、
その瞬間って、自分をゼロにできるようなところがあるんですよね。
目の前の方に全力でできることをする…としている時に。
セッション自体はエネルギーを使うので、体力的には消耗するのだけど、
終わったあと、自分がチューニングされる感じがあるのです。
(だから実はお客さんのためでもあるけど自分のためでもある)

身近な人はなんとなく知ってると思うけど、多分普段のわたしは人にあまり興味のない人間です。

セッションをやっている時以外の自分のブロックが取れるようになったかというとわからない。
その上で自分が変わったかどうかというのがわからないということ。

だけど、学びを継続しているうちに(そしてたくさんのワークをやっているうちに)、クライアントの話を聴くこと、その話の中から目の前の人が大切にしていることや強みを見つけ出す。
その時間がすごく楽しくなっていったんです。

そこは本当にNLPを学びはじめたころに「何やってるんだろう」とか「これ意味あるんだろうか」とか思いながら練習してきたことが、話を聴くということにおいてすごく意味のあることだった。
…と、何年もたってわかりました。

そして話を聴いているうちに、クライアントさんとある種の共鳴が生まれることがあります。
個人としてのすききらいを離れての、瞬間的な共鳴。
話をいっしょに体験、一緒に見るような感じ。
その共鳴が、なにか自分にも「HEAL」とか「CURE」とかそれらしいものをなす時がある。

おかしな話で、
現時点では
自分が自分のためになにかしようとするとわからない。
けれども、目の前の人と共鳴することで、なにかがある。
それが自分にとって大切なことらしくて、
学んだことの意味だったのかもと思う。

この人と会わなかったら学ばなかったろうなとか、この人と話さなかったら継続しなかったろうな、という方々が今となってはたくさんいて、
だから本当にありがとうと思います。

(NLPで学んでよかったのは、ビリーフ、肯定的意図、ニューロ・ロジカル・レベル、VAK、まずはラポールかな)

2024/05/29


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