推しが放つ「愛してる」

 私の中でアイドルは今超ホットな話題で、書きたい欲が珍しくつのっているため、とりあえず書いてみる。
 アイドルをどこまで愛せるかなどといった話題を前回は展開したが、今回は推しがファンに向けて放つ愛についてなんやかんや話していく。
 そしてもしこれを読んでくださる方がいるのなら、注意書きです。あなたにもし推しがいて、ガチ恋の感情を抱いておられるなら、これから話す内容は身も蓋もなく夢もなく、あなたの気分を害するかもしれません。それでも読んでくださる方がいるならよろしくお願いいたします。


 さて、私は餅ゴリ(JYPark)のことが結構好きで、推しほどの存在ではないが新曲は毎回チェックしている。また、彼が出るバラエティとかも見るのが好きだ。バラエティの中で餅は以下の話をしたことがあり、それが私はかなり印象に残っている。
 餅ゴリが音楽番組に出た時、横で他のアイドルがファンに「愛してる」と言う中、自分は「愛してる」と言えなかった、といった話である(超ニュアンス)。
 私は、あ〜それが餅ゴリにとってのファンへの誠意なんだな〜と思った。
 なので、今をときめく韓国アイドルが曲中ではなく日常でファンに「愛してます!!」と言うとき、ぼや〜っと餅ゴリの顔が頭に浮かんでくるのである。

 餅ゴリはインタビューで、いくらか月日が経ってからコンサートでやっと自然に「愛してます」という言葉が心から出た(うろ覚えでニュアンス)とも言っていた。その時のファンの気持ちを想像すると、本当に嬉しかったんじゃないかな〜と思う。

 私が推しに抱く気持ちと、推しが私に抱く気持ちにはめっちゃくちゃ差がある。なんか自分の夢を自分で今壊していてすごく悲しい気持ちになっているが、それは事実である。推しは私の存在すら知らず、私は推しのことをたくさん見てきた。 
 アイドルの「愛してる」には、ファンダム全体に向けての愛が多く含まれているのだろう。その「愛してる」に色々気持ちを込めるのを要求するのも、更に愛から遠くかけ離れた行為になる。私が所属する(所属するといっても僻地中の僻地、認知すらされていないし視界に入ったことすらない)ファンダムに向けてアイドルが放つ全体的な「愛してる」を私は受け取らないことで、私とアイドルの間に存在する(はずの)個人的なコネクションを守っている。
 しかし、想像するにコンサートで「愛してる」と言われたら、発狂する。絶対に嬉しい。なぜなら推しの視界に自分がミジンコくらいの大きさで入っているから。推しが私の存在を目に入れた上で「愛してる」と言ってくれるから。しかし同時に、推しにとって自分が限りなく小さい存在なのだなと感じて悲しくなってしまいそうな気がする。だから私は好きなアイドルのコンサートに行けない。思えばコンサートってすごいな。同じ人を好きな者同士が一堂に会すなんて、カオスにも程がある。

 少し話が逸れた気がする。とりあえずまとめると、私はコンサートに行ったりヨントンで交流したりなどせずに推しの視界に入ろうとしない限り、私は推しの「愛してる」を素直に喜んで受け取れないようだ。

 愛してる人に愛してると言われたい。しかも心から。果たしてこの願いが叶う日は来るのだろうか。
 願うだけで叶わなくても全然良い気はするが、とりあえず願っておく。
 


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