nikki 1月16日から1月17日の今とこれから

今日の日記といいながら、前日の寝る時の気持ちから。

もういいや!と思って布団に入って8時間思い切り寝た。頭はすっきりしたし、元気も取り戻したが、撮れ高が十分ではない、という事実は変わらないので、気分は暗い。しかし、果たして、あのまま起きていたら結果は変わっていただろうか。俺という人間を長年やってきたことから、きっと無限に思える深夜帯の時間を勘違いしてYouTubeのいつみても感動してしまう動画を見ていたと思う。冗談じゃなく幾千の夜を無駄にしてきた。おれはそうそう変わらない。でも、いつでも変われる夜はあるとは思っている。変わらないという経験則を差し引けば、結果は変わっていただろう。今日の動き出しはきっと違っただろう、そう思う。いいからやれ。そう思う。

もうこれしかありません、という手持ちの撮れ高で、打ち合わせ、資料をつくる。俺よりも深い考えを持つ先輩から、これをこうしたらいけるんじゃないか?というアドバイスをもらい、なんとか形になった。そして、それは、撮れている!とは言いがたいが、撮れていないというわりには撮れている、という形だ。そして、おれは少しそれぐらいにはできるんじゃないか、となんとなく思っていたため、自分の卑怯さにまた少し自分が嫌いになった。

おれが、下を向いて喫煙所にいると、おれを気に入ってくれている同い年だが業界歴は上の先輩が声をかけてくれる。

「なんで撮れてるのに、撮れてないっていうの?」

「どこまでが撮れてるのかわからないんですよね」

「いったん自分に正直になった方がいいよ。上が面白いと思うものを撮ろうとするからわからなくなるんだよ。」

「ありがとうございます」

おれは泣けてくる。わざわざ言ってくれていると感じるからだ。うれしくなる。おれはまだやれるかもしれない、そう思うと。

気持ちが上向くと、実力は変わらなくても、パフォーマンスにめちゃくちゃ影響する。現に俺は、これぐらいでいいやっていう作業を今は、もう少し考えられるところがあるなと思って今も原稿を書いている。俺が面白いと思う方へと向かっているその確かさはある。これが面白いかどうかは後ででいい。忘れがたい気持ちを書いておきたくなる。忘れたくない。

そう思っていると、声をかけてくれた先輩がやってきた。

「おれ調子にのってないからね」

俺にはマジで何のことかわからなかった。きくと、会議でその人のプレゼンが褒められたことを言っていた。(この人はここ数カ月で確実にその存在感を示していて、他の人からも一目置かれている)。

「誰も思ってないですよ」

「ならいいんだけど。なんか(上の褒め方が)すげえ嫌だったんだよね。思ってないならいい」

そう言いながら、振り向いて歩いて行った。

俺はうれしくなった。わざわざそれを何で言いに来たのか。俺がどう思っているかを気にしているわけはないし、他の人がそう思っているかどうかわからない人でもない、その人自身も自信がないときはあって、その中で戦っている人だから、その思考がいろいろ組み合わさって俺に言いに来たんだと思う。

おれはこの「わざわざ」言いに来られることがうれしかった。

3:49AM。おれはこの後も原稿を書く。まだ書くぞ。

今日も夜までぶっ通しの仕事になる。そして、それを日記に書く気力は絶対ない。だから書いておく。

おれは持てるものの中でやりきった。やっぱり、考えて仕事をしておけばもっと面白くなった実感もある。そうやって思ったことを「わざわざ」言いにいくことは、俺の中で大事にしていこうと思う。

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