SNS金配りで権力と名声を手に入れることの代償
「僕をフォローすれば、お金をあげるよ」と言えば、フォロワーはドバっと増える。
「メディアは第4の権力」と言われるように、フォロワー数は一種の権力だが、金で権力が買えちゃうわけだ。
ただし、自分をフォローした人なら誰にでもお金をあげてしまうと、十分に強い権力にはならない。
「自分の気に入らない人間には、お金をあげないようにすること」が、キモだ。
そうすれば、自分にとって都合の悪いことを言う人間の口を封じることができるからだ。
だから、決して「抽選で」お金を配ってはいけない。
中国共産党が、自分たちの権力を維持するために、共産党にとって都合の悪いことを言う人間の口を封じることに熱心であることからわかるように、自分にとって都合の悪いことを言う人間の口を封じることは、権力維持にとって、非常に重要なことなのである。
お金をばらまけるほどの金持ちの多くは、すでにリアルで権力を握っているはずである。
なのに、なぜ、わざわざネットでまで権力を得る必要があるのだろうか?
それは、リアルの権力と、ネットの権力が、別物だからだ。
会社では、社員たちは、社長の話をありがたがって聞く。なぜなら、社長は自分の人事権を握っているからだ。自分の給与額(≒生活の質)に影響を与える権限を持った人間に逆らえるわけがない。
しかし、その社長がtwitterで発言しても、同じように話をありがたがって聞いてもらえるとは限らない。なぜなら、別にその社長に好かれようが嫌われようが、自分の生活の質になんら影響はないからだ。
人を支配するには、その人の生活の質を左右する権限を持つ必要があるのだ。
SNSで、「僕をフォローした人には、お金をあげるよ。ただし、僕が気に入らない人にはあげない」と示すことは、ある意味、お金が欲しいフォロワーすべての生活の質を左右する権限を生み出す。お金を貰えれば生活の質は上がるし、もらえなければ上がらないからだ。それは、自分に都合の悪いことを言った社員から昇給のチャンスを奪うことに似ている。
貧しい人間ほど、お金を切実に必要としている。お金が生活の質に与えるインパクトが大きい。だから、このやり方は、貧しい人間を支配するのに、うってつけのやり方だ。
ただし、この時、「金によって貧しいネットユーザーを支配する」という構造を隠蔽するための「美しいタテマエ」を用意することを忘れてはいけない。
とくに、『金配り』という下品な行為と、『金を恵んでもらう』という卑しい行為は、徹底的に隠蔽し、ごまかし尽くさなければならない。擦り切れるほどロンダリングしまくらなければいけないのだ。
どうやって誤魔化すかというと、たとえば、「お金が欲しいのではなく、夢が欲しいんだよね」とか言う。くり返し言う。断言してもいいが、「フォローすればお金をあげる」と言われてフォローした数百万人のうち、夢なんかじゃなく、単に金が欲しいからフォローした人の方が、圧倒的に多い。つまり、これは完全な欺瞞なのである。そして、その欺瞞を指摘されたら、決してそれに真摯に向き合うことをせず、とことんごまかし通さなければならない。絶対に誠実になってはいけない。誠実になどなったら、そこでゲームオーバーなのだから。これは、誠実になったら死ぬゲームなのだから。
また、もう一つ重要なのは、「金配りは、一回だけで終わりではなく、今後も、行われる」ということをほのめかすことだ。一回で終わりであれば、それが終わったら、誰も金持ちのご機嫌伺いなどしないからだ。人々を支配し続けるには、「今後も、自分が気に入った人間には、お金をやるぞ」とちらつかせ続ける必要があるのだ。
これは、いかにも21世紀的な現象のように見えるが、実は、少しも新しくない。
古代から中世にかけては、それが社会の常態だった。
金持ちは貧しい者たちに施しをする。
貧しい者たちは、金持ちに嫌われると施しを受けられなくなるので、いつも金持ちにヘコヘコしている。
そうやって、金持ちは貧乏人たちを支配してきた。
その流れが変わったのは、ほんの、ここ2世紀ぐらいのことだ。
金持ちが直接金を貧乏人に配ると、上記のような形で、金持ちに権力が生まれ、貧乏人は金持ちに逆らえなくなる。
この問題を解決するために、人類は、「金持ち → 貧乏人」という富の分配を、「金持ち → 政府 → 貧乏人」という形にする方式を作り出した。すごいイノベーションである。というか、レボリューションである。
このレボリューションによって、ようやく、貧乏人は、実質的な言論の自由を手に入れ、金持ちの言うことであってもダメなものはダメと言えるようになったのである。
つまり、SNSで金を配ることで、人々を支配するやり方は、時代の歯車を逆回転させるものであると同時に、数千年の人類史によって有効性が証明され続けてきた、鉄板中の鉄板の権力獲得方法なのである。人類を永きに渡って支配し、抑圧してきた、古の悪魔を復活させる秘術なのである。
さらに興味深いのは、基本的に、「SNS金配りによる支配」は、止められないということだ。
「こんなことをさせないように、もっと金持ちから税金を取り立てて、再分配すべきだ」と言うことはできるし、実際に金持ちの税率を上げることもできるかもしれない。
しかし、少々税率が上がっても、十分に配れるだけの金を、依然として金持ちは持ち続ける。我々が資本主義社会を維持しようとするとする限り、必然的にそうならざるを得ないからだ。
その金をSNSで配るのは、まったくの自由であり、法律でそれを禁止するのは難しい。
SNSのプラットフォーマーなら禁止することはできるが、彼らにとって、禁止するメリットがどれだけあるだろう?
むしろ、twitter社などは、自分のプラットフォームで金配りをしてくれる金持ちが増えてくれた方が、そのお金目当てでユーザが増えるので、大歓迎なのではないだろうか。
もちろん、この構造が見えている人間は、SNS金配りを、おぞましいものとして見るだろうが、そもそも、大多数の人間は、この構造が見えない。もしくは、見えていたとしても、そこから距離を置くほど上等な品性を持ち合わせてはいない。
だから、原理的には、今後も「SNS金配り」は可能で、かつ、効果的であり、それをする人間は、今後もでてきても不思議ではない。
ただし、金持ちの多くは、「ここまで下品にはなりたくない」と思ってしまうため、同じことができる金持ちは多いだろうが、実際に実行に移す金持ちは、そんなに多くないだろう。
品の良い金持ちがやるとしても、対象を「上品な目的にお金を使う人」に限定して、お金を配るだけだろう。しかし、それだと、ほとんどの人は、自分は対象外だと思うので、たいしてフォロワーは増えないし、多くの人を支配することもできない。
この矛盾を解決するには、「フォローした人なら誰にでも金を配る」かのようにミスリードしておいて、実際には、「上品な目的にお金を使う人」限定でお金を配ればいい。
そうすると、卑しい乞食根性に駆動された何百万人もの人にフォローしてもらえる上、配った金は上品な目的にしか使われないという最高の状態を実現できる。
もちろん、これは、卑劣な騙し討であるから、騙された人間は、腹を立てる。しかし、「上品な目的にお金を使う人限定でお金を配る」というのは、いわば「正論」であるため、金目当てにフォローした卑しい人間たちは、反論を封じられてしまうのだ。反論したところで、「お前、そんな卑しい目的のためにフォローしておいて、恥ずかしくないのか」と、逆に非難されてしまいかねないのだ。
人間は、邪な動機から行ったことを、正論でやり込められると、根に持つ生き物である。正面から堂々と反論できないので、厚い岩盤によって地上に噴出することを妨げられたマグマのように、自分でも自覚できないうちに、悪意の内圧が高まってしまう。こうなると、本件とは全然無関係な件で、攻撃する大義名分ができたときに、この悪意が地上に噴出することになったりする。ましてや、騙された上に正論でやり込められたのだから、その圧力の大きさは、とうてい甘く見れるようなものではない。感情ヒューリスティックの威力を甘く見ていると、結局は、予想もしなかったところで足をすくわれる事になるのである。
今回、やり込められた人は、一見、なんの損害も被っていないように見える。しかし、「お金をあげる」と言ってしまった時点で、いわゆる心理的な「参照点」が変更されてしまった。デフォルト値が、「お金をもらえる可能性はない」から「お金がもらえる可能性がある」に変更されてしまったのである。これは、「期待金額にすればたかだか数十円でしかない」などと、バカにしない方がいい。なぜなら、それは、「可能性の効果」という認知バイアスによって、実際の期待金額をはるかに上回る体感金額として認識されているからだ。これは、人々が宝くじや馬券を買い続ける理由であり、ソシャゲのガチャで散財してしまう理由でもある。この認知バイアスの力に駆動されたからこそ、ネットで爆発的に拡散し、とてつもない数のフォロワーを獲得できたのである。
このようにして引き上げられてしまった参照点から見ると、相対的にマイナスに凹んでしまったわけである。少なくとも、無意識の世界では。「お金をあげる」と言って「期待を持たせた」側の人間は、往々にして、これがマイナスだということを認識できない。なぜなら、与える側は、受け取る側が勝手に抱いた期待のせいで、参照点(心理的なデフォルト値)が変更されてしまうなとどは、思わないからだ。もちろん、これを知っている人間は、うかつに相手に期待を抱かせないように、注意深く行動するものだ。たとえば、賢い上司は、仕事でいい結果を出した人間を、昇給させようと内心思っていても、ギリギリまで、そのことは口に出さない。口に出せば、参照点が変更されてしまい、あとから人事評価会議で、「やっぱ、昇給はなしね」という結論になろうものなら、給与額据え置きであるにもかかわらず、心理的には減給されたに等しい効果が生じてしまうからだ。
また、このマイナスも、大した期待金額ではないと、侮らない方がいい。なぜなら、人間は、千円得することで得られる喜びよりもずっと大きく、千円損することの痛みを感じるからだ。いわゆるプロスペクト理論の示すとおりだ。
しかも、この場合、SNSで数百万人もの人間がそれをやられたことになるわけだから、一つ一つは大した恨みではなくとも、その恨みの総量は、バカにできない。広大な空間に薄っすらと広がった悪意が、ネット世界の集合無意識の底に沈殿してしまったことを、十分に自覚して行動した方がいいだろう。
このどんよりと溜まった薄墨色のエネルギーが、今後、何をきっかけとして地上に吹き出すことになるのか、地上に吹き出したとき、いったい、何が起こるのか、今後も目が離せない。これは、ある種の悪趣味なネット・ウォッチャーたちにとっては、最高のエンターテイメント・コンテンツなのだ。このような極上のエンターテイメント・コンテンツを生み出して、我々に夢を与えてくれた方の勇気ある行動に、心からの感謝を捧げたい。ほんとうにありがとうございます。
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