人生の「成功・失敗」や「勝ち負け」を気にして生きる時代は終わった

学歴・職歴・収入が控えめでも、「いい人生を送ってるなぁ」という人はたくさんいる。
結婚してなくても、子供を作らなくても、自分の人生に満足して、毎日、気分良く、楽しく生きている人はたくさんいる。
学歴・職歴・年収が控えめな方々を「失敗者」や「負け組」であるかのように見る人は今でも多いが、時代の流れとしては、人生の「成功・失敗」や「勝ち負け」を気にして生きるのは馬鹿らしい、と思う人が主流になってきている。
そういう人たちにとって、「成功者になる」などというのは、どうでもいい。
成功者になりたい人は好きにすればいいが、not for me、私にとってはどうでもいいから、と思ってる。
学歴や職歴や年収が控えめな方々を、「失敗者」や「負け組」であるかのように見る意識が言葉の端々に現れている人はダサい、と思っている。
他人の目を気にしているから、人生の成功や失敗を気にする。
しかし、もはや他人の目を気にすること自体がカッコワルイのだ。

それどころか、他人の目を気にして生きるのは、愚かしい、とすら思ってる。
無意識のうちに、他人に「失敗者」や「負け組」だと思われないようにと、気にして生きるから、人生が息苦しくなってしまう。
そんなものを気にしないだけで、本当に、晴れやかな気分で、日々を生きていけるのに。

もちろん、生きたいように生きるために、学歴・職歴・スキル・お金が必要になることもある。
しかし、今や、多くの人は、あくまで、生きたいように生きるためにそれらを得ようとするのであって、他人に失敗者だと思われないためにそれらを得ようとするわけではない。
自分が生きたいように生きられてさえいれば、学歴も職歴もスキルもお金も、たいしていらないのである。
もう、だいぶ前からそういう時代になっているのだが、いまだに、それに気がついていない人は痛い。

これは「プロジェクトの成功を目指さない」という意味じゃない。
個々の案件は成功させた方がいい。
しかし、それは、あくまで仕事の話であって、人生の成功・失敗の話じゃない。

類人猿は、「他の個体からどう見られているか」をめちゃくちゃ気にしながら生きている。
他の個体からどう見られているかによって、群れの中での地位が変わるし、得られる食糧も違うし、得られる交尾の機会も違うし、自分の子供をちゃんと育てられるかも違ってくる。(※1)
だから、「他の個体からどう見られているか」をめちゃくちゃ気にする個体の遺伝子が生き残り、広まったんだろう。

ホモ・サピエンスも同じで、「他の個体からどう見られているか」をめちゃくちゃ気にする個体の遺伝子が生き残ってきたんだろう。
だから、我々が他人の目を気にするのは、おそらく、本能的なものだ。

もちろん、今でも、「他の個体からどう見られているか」を気にしなければ上手くいかない職種や職場は多い。
しかし、今や、職種や職場によっては、それを気にすることの相対的重要性は、大幅に低くなった。
なぜかというと、自由市場経済においては、相手が頼んだ仕事をちゃんとやってくれるかどうかだけが重要であり、その人が人生の成功者か失敗者かは、どうでもいいことだからだ。
頼んだ仕事をやってくれさえすれば、相手が人生の勝ち組だろうが負け組だろうが、そんなことは、どうでもいいのである。

人生の「成功者」であるか、「勝ち組」であるかは、ハロー効果や感情ヒューリスティックなどの認知バイアスに大きく影響し、人間の判断を歪める(※2)。このため、人生の「成功・失敗」や「勝ち負け」のような、本質的には仕事能力と直接関係ない要素によって、質のいい仕事を依頼されたり、されなかったりすることは、今でも多い。人生の成功者とみなされたために、いい仕事にありつけたり、人生の負け組であるとみなされたために、いい仕事が回ってこなかったりすることがよくあるのだ。
しかし、時代が進むとともに、そういう認知バイアスに歪められた判断は、ますます「偏見」と認識されるようになって来ている。実際、職種や職場によっては、一昔前ではとうてい考えられなかったほど、「偏見」によって仕事上の判断が左右される度合いは小さくなった。
時代は、そっちの方向へ、すごい速さで流れていっているのだ。

我々はもはやサルではない。
狩猟採取の生活を送ってるわけでもない。
だから、群れの中での「勝ち組」か「負け組」かを気にする必要はないのである。
本能的に、自分が失敗者と見られていないか、負け組と見られていないか、あるいは、相手が成功者かどうか、勝ち組かどうかを気にしてしまうのは分かるが、21世紀も2割が終わったというのに、いまだに何百万年も昔のサルの本能に引きずられて生きるのは不自由すぎる。
いまだに人生の「成功・失敗」や「勝ち負け」を気にしている人は、いい加減、サルの本能を克服して、進化しようぜ。
そうすれば、いろいろ吹っ切れて、すごく快適で、楽しい人生がやってくるのだから。



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■参考文献

※1  フランス・ドゥ・ヴァール『政治をするサル』
※2 ふろむだ『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』



※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。


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