人生の多くの部分が親ガチャで決まってしまうのに、努力する意味はあるのか?

を考える前に、そもそも、
「人生の多くの部分が親ガチャで決まってしまうのに、なぜ、多くの人は努力するのか?」
を考えてみる。

その理由は5つある。
そのうち最初の4つは重要だが、当たり前の大前提であって、読んでもつまらない。
この記事は、5つ目の理由のために書いた。

(1)

一つ目の理由は、多くの人が「親ガチャに当たった人間」と出会わないためだ。
「親ガチャに当たった人間」と出会うと、その人間が受けた教育、与えられたチャンス、受け継いだ人脈、財力、なにもかも圧倒的で、それらがない人間がいくら努力しても、まったく届かないことを知る。
そして、努力するのがバカバカしくなったりする。
しかし、幸か不幸か、多くの人間はそういう親ガチャ当選者に出会わない。
なぜなら、親ガチャ当選者の多くは、社会のある特定の場所に偏在しているからだ。
だから、多くの人は「人生のかなりの多くの部分が親ガチャで決まっている」という実感がないのである。


(2)

二つ目の理由は、親ガチャ当選者が、自分の努力で成功したと思われているからだ。
たとえば、親ガチャ当選者は、子供の頃、非常に優れた家庭教師に、物事を根本からしっかり理解し、素早く深く思考し、効率よく学習する技術を教え込まれていたりする。
その場合、その子供は、社会人になってからも高い学習能力と素早く深い思考力で、仕事に必要な知識を素早く身につけ、的確な判断をし、大きな成果を出したりする。
しかし、親ガチャ当選者は、親ガチャに当たったからではなく、主に自分の努力の結果だと信じて疑わないし、事情を知らない周囲の人たちも、本人が子供の頃から努力し、仕事でも人一倍努力した結果だと思うのである。
このため、親ガチャに当たらなかった人間は、努力次第で同じことができると勘違いするのだ。


(3)

三つ目の理由は、親ガチャに外れなかったからだ。
親ガチャに外れてしまったら、努力してもどうにもならない。
満足な食事も与えられないような貧困家庭で、飲んだくれの親に毎日殴られていて、勉強どころではなく、精神を病んでしまってそれを一生引きずるようなことになってしまったら、努力によって人生大逆転なんてなかなかできない。
しかし、多くの日本人はそこまで酷い貧困ではなく、毎日親に殴られてもおらず、少なくとも高校までは好きなだけ勉強することができ、精神を病んでしまうほど追い詰められてもいない。
つまり、多くの人は、努力によって人生を変える余地が十分にあるのである。


(4)

四つ目の理由は、他人との比較によって努力するかどうかを決めたりしないからだ。
親ガチャにハズレた人間が必死に努力しても、ごく普通の努力をしただけの親ガチャに当たった人間にはかなわない。
しかし、ほとんどの人は、いちいち自分と他人を比較して、努力するかどうかを決めたりはしない。
多くの人は、「努力した場合の自分の将来」と「努力しなかった場合の自分の将来」を比較して、前者の方がいいと思うから、努力するのである。


(5)

五つ目の理由は、ほかのガチャが、親ガチャを相殺するからだ。
人間の特性には、「生まれつき決まっていて、後天的な努力ではあまり大きく変えられないもの」が多くある。
容姿、人間関係力、愛嬌、ストレス耐性、体力、持続力、忍耐力、数学的才能、言語的才能、理解力、学習能力、美的才能、商才、健康などなど。
それらはどれもガチャだ。
生まれつき肥満になりやすい人や、糖尿病になりやすい人は、涙ぐましいほど健康を保つ努力をしても肥満や糖尿病になるし、生まれつき肥満や糖尿病になりにくい人は、たいして努力しなくても、肥満にも糖尿病にもならずに健康でいられるのである。

そして、ガチャが多ければ多いほど、ガチャは相殺される。
確率論的に、ほとんどのガチャに当たる人も、ほとんどのガチャに外れる人も少ない。
大多数の人は、当たったガチャも、外れたガチャも、どちらも多くなる。

しかも、ガチャは、生まれたときにだけ発生するのではない。
学校では教師カチャ、友人ガチャ、先輩ガチャに人生を左右されるし、
社会に出てからは上司ガチャ、先輩ガチャ、同僚ガチャ、趣味の付き合いガチャ、読書ガチャ、SNSガチャ、コミュニティガチャと、ガチャの連続である。
ガチャが増えれば増えるほど、ガチャは相殺されていく。

もちろん、親ガチャが致命的な大ハズレになったら、他のガチャにいくら当たっても挽回不可能だ。
しかし、親ガチャのハズレがそこまで致命的でなければ、たくさんのガチャによって、親ガチャのハズレは相殺されていく。

そして、ガチャが相殺されればされるほど、ガチャ以外の部分で人生が決まる割合が大きくなる。

では、「ガチャ以外の部分」とは何か?

それは「選択」と「努力」だ。

たとえば、ガチャを1000回引いた場合、当たる確率が10%であれば、50回しか当たらない人も、200回当たる人も、非常に少ない。
ほとんどの人間は、だいたい100回ぐらい当たる。

そして「選択」と「努力」は、当たる確率を変える。

たとえば、幸運にも、高年収で、待遇がよく、面白く、将来性もある、美味しい仕事の誘いが来たとする。
ただし、その仕事をこなすには、高負荷のデータベースを運用する実力・実績が必要だったとする。
この場合、その実力・実績を持っている人間にとってはガチャに当たったことになるが、そうでない人間には当たらなかったことになる。
つまり、実力・実績を持っているかどうかで、ガチャに当たる確率が大きく変わるのだ。

そういう実力・実績が身につくかどうかは、「環境」と「努力」によって決まる部分が大きい。
そして、考え抜いた「選択」を積み重ねることで、「環境」は変わっていく。
こうして得られた良い「環境」で「努力」を積み重ねることで、ガチャが当たる確率を大きく上げる実力・実績を得ることができるのだ。

しかも、そういう美味しい仕事をこなすことで、さらに実力・実績が積み上げられ、ガチャに当たる確率は雪だるま式に高くなっていく。

そして、1000回ガチャを引いた場合、「運」よりも「当たる確率」の方が大きく結果を左右する。
当たる確率が10%だと、かなり運が悪くても50回は当たるし、かなり運がよくても200回は当たらない。
しかし、当たる確率を30%にすることができれば、運に左右されず、だいたい300回ぐらいは当たるのである。

もちろん、どこかで致命的な大ハズレを引いたら「選択」や「努力」をいかに積み重ねようが、どうにもならない。
しかし、そこまで致命的な大ハズレを引いていない大多数の人は、「考え抜いた選択」と「適切な努力」を積み重ねることによって、人生を変えることができる。

もちろん、親ガチャに当たった人の多くは「選択を考え抜く能力・習慣」と「適切な努力をする能力・習慣」を親に身につけさせられたろうし、親ガチャにハズレた人の多くはそれらを親に教えてもらわなかったろう。
しかし、教師ガチャ、友人ガチャ、先輩ガチャ、上司ガチャ、読書ガチャ、ネット記事ガチャ、SNSガチャ、コミュニティガチャのいずれかに当たれば、それらを教えてもらったり、その重要性に気が付いて自分で学び始めることができる。
親ガチャは一回しか引けないが、それ以外のガチャは、それよりもはるかに引ける回数が多い。
このため、いずれどこかでアタリを引いて、このことに気づく確率は、親ガチャよりもはるかに高いのである。

結局のところ、現代日本人の多くは『「選択を考え抜く能力・習慣」と「適切な努力をする能力・習慣」を身に着けるための選択と努力』によってそれらを身に着けて人生を大きく変えていくことができるし、それをするかどうかは、本人の選択しだいなのである。


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※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。

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