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湯桧曽温泉のこと

JR湯桧曽(ゆびそ)駅の北側、湯桧曽川沿いに約5軒の温泉旅館がある。谷川岳ロープウェイに最も近い温泉地であり、谷川岳登山の拠点としても親しまれている。

泉質:単純温泉

「湯のひそむ」と言い伝えられていたことが地名の由来の一つとされ、奥州安部一族に関するこんな記述もある。

安倍一族の末孫にあたる安倍孫八郎貞次が、宝徳年間に湯桧曽の湯を発見したと伝えられている。安倍貞任、宗任の兄弟は八幡太郎安倍貞任、宗任の兄弟は八幡太郎 義家に滅ぼされた。ほかに三人の兄弟でいて、奥州から南へ落ちのび、沼田の奥の尾瀬に辿り着いた。その残党が尾瀬城を築いたという。鎌倉時代になって、将軍足利義教の攻撃にあい尾瀬城は落ち、城主尾瀬貞通 は月夜野後閑の岩穴まで落ちのび一族郎党と共に死に果てた。 この逃亡の途中、三男と別れ別れになった。この三男こそ、命をながらえた安部孫八郎貞次だった。貞次は親や兄弟をさがしながら利根川を川上へさかのぼって来て、湯煙りのたつ谷間に辿り着いた。そこは、人間の分け入ってくることのな い桃源境だった。この地は湯も湧くし、隠れ住むには好都合だった。こ うして湯桧曽は、安部貞次が住みつくことによって開発されていったのである阿部家の家宝の一つに、「蛇体丸」と名づけられた短刀がある。この短 刀は、 西黒沢が湯桧曽川に落ち込むあたりの淵に棲みついていた大蛇を、 阿部の子孫が水中で長い格闘のすえ退治したとき使われたものであるという。明治十八年、清水街道開通後の湯桧曽は一時宿場的な賑わいであった が、この当時の温泉宿としては、本家、ときわ屋、福田屋のほかに村の協力風呂があった。 湯桧曽川右岸の温泉湧出場所を、「お音羽の湯」と言ったそうであるが、これは、昔おとわと言う女性が業病をわずらい、 この湯で全快したところから名づけられたといわれている。《村ノ中央湯桧會川ノ両岩数ヶ所二沸出ス。湯質銅気ヲ混成ス。然レドモ未夕原質ハ試験ヲ経ス。瘡、眼病二宣シ。浴場一所、逆旅一戸、浴客一ヶ年凡百人。明治十年湯桧會村誌》
上州路・特集「新水上紀行 山と水とひかりの温泉郷」あきを社出版より抜粋引用

このように古くから伝わる温泉地であることがよくわかります。お湯も非常に優しい肌触りで、源泉が熱いため湯力を感じることができる。

湯桧曽には、上越線の急こう配を調整するためにのトンネル「ループトンネル」があり、鉄道ファンにはたまらない。

ループトンネルは・・・

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山の中腹に見えた列車が、山の中にループして掘られたトンネルを抜けて約3分後に・・・

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湯桧曽駅に現れます。

単線だった時代には、新潟側の松川ループとともに活躍していたそうな。

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趣の良い駅。ホームの標高は覚えやすい555メートル。

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