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猿ヶ京温泉のこと

猿ヶ京、と聞いて名前に興味を持つ方も多いと思います。読み方は「さるがきょう」。

みなかみ18湯でも西側に位置する温泉地であり、国道17号線で三国峠を越えて苗場まで約30分。眼下には恵みの水を蓄える赤谷湖があり、山あり湖あり温泉ありと3拍子揃った観光地たる観光地。

猿ヶ京温泉は、昭和28年(昭和34年竣工)からの相俣ダムの建設により湖底に沈んだ湯島温泉が高台に移り今に至るそうな。

泉質:カルシウム・ナトリウム硫酸塩・塩化物泉

源泉温度も高く、お湯につかると湯力を体感できる。湯上りはさっぱり爽快で、爽快でありながら、肌がベールに包まれるような感触がある。

猿ヶ京の名前には上杉謙信にまつわるこんな由来がある。

永禄三年(1560)有名な戦国武将、上杉謙信が越後から三国峠を越えてこの辺り(当時は宮野と呼ばれていました)にやって来た時のお話。どこまでも広がる大地に立ち、やはり果てなく広がる空を見、この地を治めたいという強い衝動に駆られました。その夜、謙信は飲酒し、気持ちよく眠りについたところでなんとも奇妙な夢を見ました。宴の席でごちそうを口に入れたとたん、前歯がいっきに8本も抜け、手の中に落ちてしまうという夢です。戦の直前にいやな夢を見たと家来に言うと、「片っ端から関八州を手中にするという、縁起の良い夢でございます」とのこと。その日はちょうど唐申の年、申の月、申の日、そしてなんと謙信の生まれ年も申年だったことから、「この地を申ヶ今日と改めるぞ」と、謙信も上機嫌。この『申ヶ今日』が訛り、文字も変わって『猿ヶ京』と呼ばれるようになったといわれています。温泉の特徴としては無色透明で湯量が大変豊富です。止まることなく湧き出る摂氏56℃の源泉が、猿ヶ京の温泉郷一帯を長い間潤し続けています。江戸時代には笹の湯・湯島温泉と呼ばれ、名湯として賑いを見せた三国街道沿いの一角が、昭和33年にダム建設のために赤谷湖の底深く沈んでしまいました。この温泉街を移し、さらには名前も改め、近代的なホテル街へと生まれ変わったのが現在の猿ヶ京温泉です。 https://sarugakyo-navi.jp/origin

猿ヶ京温泉観光情報協会様のホームページより引用

このように、交通の要所でもあり、江戸時代は越後と江戸を結ぶ三国街道の関所も設置されていた。今、関所跡は資料館として当時の貴重な書類などとともに保存されている。

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この貴重な資料は、猿ヶ京ホテルの社長である持谷様から頂戴したもの。おそらく昭和30年代の頃と思われる。現在の国道17号線や当時、赤谷湖での遊覧船もあったことがよくわかります。

三国温泉郷

当時は、三国温泉郷として、湯宿・川古・猿ヶ京・法師と4つの温泉で構成していた。

当時のパンフレットを見ると、宿泊代が700円~1500円と記されており、時を感じる。

猿ヶ京温泉には、上杉謙信が逗留したといわれる宮野城跡をはじめ、関所跡、旧三国街道の名残を見ることができる民宿通りなどがあり、地域で大切に守り伝えられてきた野仏さまをめぐる「おがんしょめぐり」も人気。

さらに、民話と紙芝居の家では、地元に語り継がれてきた民話の語りべを聞くことができ、昭和の貴重な紙芝居原画が約2千冊も収蔵されており、じっくりと鑑賞して欲しい。

また、赤谷湖でのカヌー体験や62メートルの高さを誇る猿ヶ京バンジージャンプなど、温泉はもとより、歴史からアウトドアまで幅広く楽しめる。

令和4年(2022年)4月7日、「猿ヶ京温泉」は県内で4か所目となる、地域団体商標権を取得し、ブランドをしっかり打ち立てて観光振興を行う方針が示された。

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