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【濱口梧陵<前編>】「津波防災の日」のきっかけを作った生き神様〜土木スーパースター列伝 #11

こんにちは。横浜国立大学教授の細田 暁です。

普段はコンクリートの研究をしておりますが、土木史が大好きで、勤務先の大学の全学教養科目の「土木史と文明」という講義も担当しています。講義では国内外のたくさんの偉人を紹介しています。土木史は面白いですよ~。

14_絵札全体


今日11/5は「津波防災の日」です。この日にちなんで、濱口梧陵(はまぐちごりょう)を紹介します。この記事を書くにあたって復習してみましたが、まあすごい人物です。私の土木史の講義では時間が限られているので、濱口梧陵のことを紹介できていなかったのですが、大反省しました。今年の10月からの講義では絶対に紹介します!


なぜ、醤油屋の当主が土木の偉人なのか?

濱口梧陵(1820~1885)は、皆さんもご存知のヤマサ醤油(1645年創業)の七代目の当主でした。当主の時は濱口儀兵衛(ぎへえ)という名で、梧陵は当主を退いてからの名前です。今回は、儀兵衛の名で「A Living God(生き神)」と呼ばれた彼の伝説的な生涯を紹介しますね。

儀兵衛は1820年、醤油醸造業(ヤマサ醤油)を営む豪商濱口家の分家の長男として紀州広村(現在の和歌山県広川町)に生まれました。12歳で本家の養子となり、1853年七代目当主として家督を継ぎます。儀兵衛33歳の時です。

ヤマサ醤油は千葉県銚子市にある醤油を中心とした調味料メーカーです。醤油業界では同じ千葉県に本社を置くキッコーマンに次いで全国シェア第2位を誇ります。

ところで、「なぜ、醤油屋の当主が土木の偉人なのか?

皆さん、不思議に思われるでしょう。

儀兵衛は、今日11/5を「津波防災の日」に認定するきっかけになった「稲むらの火」で有名ですが(後述します)、勝海舟、佐久間象山、福沢諭吉など、幕末から明治期の日本を支えた偉人たちとも親交が深く、実は、我が国初代の郵政大臣でもあったすごい人物なんです。

私は、現代のコロナ禍や災害が多発する社会においてこそ、儀兵衛の哲学が活かされるべきと思い、さまざまなエピソードをお伝えします。きっと、醤油屋の当主という枠を超えたスケールの大きさを感じてもらえると思います。


生き神伝説①〜稲むらの火

「稲むらの火」と聞くと、小学校の教科書で習ったのを思い出す人もいるかもしれません。この話は、江戸末期の安政南海地震での儀兵衛のレジェンドで、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、実話をベースに“A Living God(生き神)”とした物語を紹介し、海外でも広く知られることとなります。

1854年、34歳だった儀兵衛は,醤油づくりの銚子と江戸の店での陣頭指揮と、家族のいる地元の紀州の広村を行き来する生活を続けていました。そんな中、11月5日の午後4時頃,安政南海地震が発生します。

津波が発生し、人々は高台へと逃げましたが、逃げ遅れた人も多くいました。儀兵衛も逃げる途中で第一波に飲み込まれ、木の幹にしがみついて何とか小高い丘にたどり着いた、という状況でした。

この地震の4年前の30歳のときに佐久間象山の弟子となり、津波防災の科学的な知識を得ていたこともあり、第2波、第3波が来ることを知っていた儀兵衛は、高台の神社の近くの稲むらに火をつけて、逃げ遅れた人々を高台に誘導します。4回にわたった津波は広村を壊滅させましたが、ためらわずに稲むらに火を放った儀兵衛の勇気と判断力が、多くの人々を救ったのです。

稲むらとは?
稲を刈り取った後に、実を取って干した稲の束。翌年の肥料として使ったり、縄の材料として貴重なもの


生き神伝説②〜90年後の命を守る堤防建設


堤防建設の模型

村人たちが堤防建設で働く様子

大地震の翌朝、儀兵衛は隣村の庄屋さんと交渉して、五十石もの年貢米を借りる約束を取り付けます。神社の近辺に1400人もの人が避難していたので、約2週間分の米を確保したのです。すごい行動力ですし、人望がないと庄屋さんも決してウン、と言わなかったでしょうね。

広村を捨てて他の土地へ移住することも考える住民が少なくない中、儀兵衛は濱口家の財産を使って、50軒の仮設住宅を建て、無料で住んでもらうことにします。農民の農具、漁民の用具や船、商売への資金、などの援助も行いました。そして、将来も確実に襲ってくるであろう大津波から広村を守るための大堤防の建設を主導します。

高さ5mほどに及ぶ大堤防の建設は、財産を失った村人の仕事を作る目的も兼ねていました。まさに公共事業ですね。1858年に、高さ5m、幅20m、長さ600mの堤防が完成し、この堤防のおかげで、約90年後の1946年昭和南海地震の津波のとき、広村の人々は大きな被害からまぬがれることになります。

学生たちと見学会

学生たちとの見学会で,広村堤防の上にて

2週間分の米の確保、仮設住宅建設、第一次産業への資金援助、そして、大堤防建設。震災翌日から積極的に行動した儀兵衛の多くの恩恵に感謝した村人たちは、「濱口大明神」として祀ろうとしたそうですが、儀兵衛は固辞しました。

心から広村のこと、人々のことを思っていたからこその実践であり、その生き様、哲学に皆が共感したからこそ、人々は儀兵衛に付いていったのですね。

さて、後編は、醤油屋の当主という枠を遥かに超え、まさに土木の偉人というべき公共的な行動を実践できた秘密を解き明かしたいと思います。



■オススメ本■
儀兵衛のことを知りたくなった方へオススメ本です。漫画で描かれているのでどなたでも読みやすいと思います。

時代を切り開いた世界の10人 レジェンドストーリー10巻 浜口儀兵衛」(学研教育出版、2014)

文責・写真:細田 暁
プロフィール
横浜国立大学教授 大学院都市イノベーション研究院。専門は土木工学、特にコンクリート工学。趣味の一つが歴史を学ぶことで、趣味が高じて?大学で土木史の熱血講義を2011年から提供。偉人への「活物同期」を若者たちにもいつも薦めている。