それぞれの明日を目指す電光掲示板
乗り換えに発着、通信で賑わう大きなターミナルみたいなムードに包まれて、こんにちは。
私も山の賑わいです。
「言語がわからん。何て書いてある?」
と首を傾げていても大丈夫。
「次の便、どれだっけ?あれ、待てよチケットはどこに仕舞ったっけ?」
と慌てても大丈夫。
「ちょっと急に立ちくらみが」
と立ちすくんでも大丈夫。
「乗り過ごした……」
と地面に身を投げ出していてもセーーフ!
もちろん「よし、これだ!いざ」
なら万々歳。
必ず行き先に応じた場所へと搭乗、離発着できるように案内があって、それは時に隣の人や通りすがりの人が流れや波を作ってスッと自然に乗せてくれたり。
そもそも案内というのは多くの人の手が入り、快適に利用する人へ届けるためになされています。
冷静に電光掲示板の文字を眺めていたら、切り替えが何度も入り馴染みの言語でちゃんと表示がなされてすんなり行けたり読めたりもするもの。
「ああ、何だよかったんだ」
そんな声をきくべく多くの人の手や心、経験や知恵を総動員して提供されるあらゆる案内の全て。
逆に焦って調べたり、駆け出したりしないほうがスムーズな事ってたくさんあるのが暮らし。
大勢の人波の中でただひとり立ち尽くすとしたら心細いと思うのが私です。
多くの人波、人流と一見逸れた方向へ進むには度胸も要します。
そうして行く先を知りながら流されたり見失う日もあるのが暮らし。
我関せずで突き進むのも暮らし。
どうしましたか?と問いかけ微笑むのも暮らし。
私がどれだけ心細かろうが、途方に暮れようがひとりぼっちだと信じ込もうが。
はたから見れば「あのひと、迷ってるのかな?」や「あのひとの行く先ってどんなところだろう」と見つけてもらいやすいとも言えます。
浮くこと、止まることを恐れない。
進むだけじゃないのも暮らし。
怖がってたっていいんです。盛大な怯え大いに結構。
怖がりなのが私です。それでいいんです。
あはたはどうですか。
すると、
「何だ、一緒だ。え、チケットも隣??」
「乗り過ごしたの?実はどういう訳だか2枚チケットを買っちゃって…。余ってるからよかったらどう?」
なんて面白さもあるのが明日という日。
行き先を決めてないパターンの旅もあったりしそうです。
自分が認識する自分を打ち壊すにはいい時期だと思います。
またどう見えているかに思いを馳せるにも最適だと思います。
例え見えなくてもわからなくても思いを馳せるだけで、もう変わる。
私を脱ぎ捨てる日々を送り、私を喜ばせることに取り組み、私を知りたい、感じたいという欲求に応え。
時に尻もちをつきながら、泣き笑い、昨今を過ごしています。
まだ途方に暮れる日もあります。
どんな日もあります。
あなたの調子はどうでしょうか。
私がわからないことを示してくれるあなた。
あなたがわからないことを示すこともある私。
どっちもいて場所もあるから共に大丈夫だと思える令和六年の六月です。
どう在りたいか、それだけが手の中にあればしめたもの。大丈夫。
やすみやすみ共に景色を眺めて安全にいきましょう。
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