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ミニクロワッサン(前記事の続き)


こんばんは。
この例で私が飲み込めなかったものを敢えて言葉にしてみました。

今回私が先述しておきたいのは、まず私のnoteはとにかく私の為にやっているということ。
いつも通り私の例の展示です。

私は常より私ができていないこのようなことをやっているあなたがいるとは何とも心強い…。
必ずやその恩恵に預かれるに違いない。
と感じるようなタイプです。

私の今はわからない、過去わからなかった、知らない、出来ない、をそういったあらゆるあなたの発信してくださることを一冊の本として形にする。
本の背表紙に準えて大きな本棚に収納しておくような感覚で頂戴し。
そこにあるから合えば手に取る日が来る。
読める日が来るまで、たくさんの背表紙を視界に捉えているみたいな感覚でやっています。

そしてこれはかなりの安心感を私へと齎します。
私の本棚にはあなたが今日食べたカップ麺からあなただけの経験や知識、五感を喜ばせるものがあります。

わかりっこないがわかる、出来そう!になるには私の場合こんな不確かなことが必要なポイント。

でも凹むこともある。
だからあなたも凹む雰囲気が出たら「またな!わはは!」と私をお見逃し頂けたら幸い。

いつもどんな時もあなたのご協力感謝します。


目に見えるものだけを信頼している層のひとに、その時だけ目には見えないとされる内容にも関わらずさも周知の事実かのように常識の装いで迷信を渡されたことだと思いました。

そして、命に手を合わせたいと自ずから立ち現れた想いを、真っ直ぐに受け取れなかった躊躇いと弱さ。

この二つをどう繋げて、或いは切り離していいかが長いことわかりませんでした。 

扱いがわからないことで言うならこの話に限らずあなたにもたくさんあると思います。

慎重になるあまり、私は自分の外側のことで確認を得たかったんだと思います。

合ってるか間違ってるかはどうでもいいという口癖と信念を持ちながら、それを己には適用し切れていなかったです。

つまり自分を信じ切れていないことが苦しかったし、いつか誰かにわかって欲しいと思っていた。
これは何に依らず確かに苦しいと思います。

私が分かっていれば良いと、でも誰かに認めて欲しい、の底が深い奈落のような二重底。

勿論よしあしは超えます。

この件を誰かに問い合わせられるのでは?私にはわからないけど、誰かに聞けばいつか確かめられるという考え方を手放せなかったこと。

でも確認は取れないし、そもそも必要ないなと感じています。
そうしたいならそうする。
そう信じたいものを、視線と心が上向くことを選ぶ。
これは見えるもの、見えないもの共通でそうすることを決定して自分へ通達を周知させています。
一部適用だとやはりくたびれやすい。
爽快に通達。今、うれしい方へ。

しかし、このわかって欲しいという思いは実は願いとなって放たれていて今の私は「伝わっている」と実感していますし、あなたの伝えたいことも「受け取れている」と実感できています。

面白いですよね。
私やあなたも実は言葉のトリックに惑わされず、伝えたいことを伝えられていたのかもしれません。自分へ、そしてあなたへ、世界へと。

そうして、あなたもまた似たようなことを感じているかもと思うと更にほわっとします。

勿論暮らしは目に見えるもの、見えないもので構成されています。

あの時のあれを思い出すにつけ、今ないどこかや何かを心身を使って再生する。
心臓を見たことがないし、仕組みもわからないけど心臓を使えている。
私とあなたはこうやって指先や心頭や視線で確かに繋がっているけど目には見えない。
でも昨日会ったあの子と私だって揃いの服で足首にリボンをかけて二人三脚状態で会った訳じゃない。
明日行くスーパーで会う人たちとも同じく。

私は今そんなあれこれを軽めに扱うよう意識しながら輪郭だけ触って、感情や心の奥にはあまり潜らないようにしています。

気温や湿気とうまく工夫して付き合うように、自分自身にも何か抜いたり、足したり、開けたり閉めたりしてあげられることを増やしたいです。

そして引き続き、夏場のエコ力キャンペーンを実施。
ゆるい参加者が増えることを願って。


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