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言葉の力、その威光

伝え方の表現はビビッドでソリッドであることでより遠ざけられたり曲解、誤解をうむことが多いと思いませんか?

真っ直ぐに伝わるのは痛さや強さだけで、芯の部分まで届かない。

インパクトが強すぎて敬遠されてしまう。
そもそもその中身も強面なものな以上それは当然だと思います。
強いものをより強く怖くしてどうすんねん、的なことを想います。
見たくないものをより見たくなくなる強さにしてどうすんねん、と。
あ、主にこれは私自身に対しての戒めでもあります。

その強さをより怖くコーティングした表現を俎上に載せてもいつまでも視線は逸らされ。
捌かれることも遠く、朽ち果ててしまうこともザラなのではとも感じます。
それでは何もつくれない。
それでは何も守れない。
それでは何も超えられない。
そんなことは悲しい。

浸透を目指すどころか未達となる印象があります。

議論の席につく。
お互いに着席するための言葉を、欲していた。
私は今そう感じています。
急に何やねん、何の話やねん、のお馴染みの雰囲気を出してしまいましたが私が今率直に感じていることです。
これは過去の私に対してでもあり、これからの私たちに対してでもあり。
個人的なことや各コミュニティのこと。
全てのことについて、全ての人において大切にしたいこと。

派手な効果音と共に間断なく点滅を繰り返したのちにビカビカ光る太字の派手な電光看板を見て、人が受ける印象はさほど分かれないように感じます。

現象や概念。問題点。洗い出し。

それに取り組むのにはそんなことたちがまず阻んでいるような感覚があります。

やさしく受け取りやすい言葉や伝え方。

芯がなかなかに厄介で困難なものだとしても、初手のタッチ、アプローチがソフトならば解決自体実はさして難しくないのではとも思うのです。
人が集まり、知恵が集まるからです。
知識や経験が知恵に姿を変えるにはきっと一枚羽織ものが必要です。
そしてこんな季節は最適です。

ひとは、先人は、私たち自身もその身を使って様々な表現方法や伝え方を示してくれます。

これは伝わりづらい。
これは相手が受け取りやすい。
これは曲解されやすい。
これは受け取れなかった。
これは投げ返してしまった。
落としてしまった。など。

これなら俎上に載る。
扱える。そう感じやすい言葉たち。

その難しさを真摯に丁寧に取り扱い、向き合ってきた人たちの生む言葉。
見つめ続けてきたひとの唇から放たれる言葉。

生きている言葉。
事態を、自身を変え得る言葉。
手応えのある力。

私は困難を乗り越える力を持った、贈る人の心を纏った言葉をたくさん受け取ってきました。
寄り添って力を添える、という力、姿勢を持った言葉。
個が持っている力をマックスまで引き上げる、伸ばす力。
伸び代というものが生まれいづる言葉。
先導し、伴走し、背中を押す言葉。
これこそが、言葉のやさしさであり言葉の放つ光だと私は感じてきました。
私はたくさん受け取った。
ひとより多く受け取った。
そうだからこそ今がある。

やってきたことが、自信に変わりいく言葉。
困難を切り抜ける言葉。
安堵を齎す言葉。
それは往々にして笑顔と共にやってくる。
穏やかでやさしい声音で響き渡る。

見極める為の言葉。
見切る為の言葉。

私に携わるあらゆるあなたへ改めてありがとうございます。
心より感謝します。

私は頂くばかりではありますが、生きてるうちにそんな言葉をひとつはうめるようになるやもしれません。
今後ともご協力をよろしくお願いします。

かしこ

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名前の持つ力、というフォーカスもこの話に必要だったなと思います。
名前の持つ有効性、名前の持つダメージ。
言葉にするのは難しや。

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