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好きでも嫌いでもないものを憎悪する

子供の頃、ナイター中継が嫌でした。
試合結果で家庭内の空気が悪くなり、物理的な被害を招いたり。
放映中もずっと穏やかじゃありません。
延長というものも頻繁でそれに付随する時間が長引いたり。
或いは楽しみにしている番組が押し流されたり
、ついぞ放映されないなんて事も含め野球中継の音声そのものがすごく嫌いになってしまっていた時期がありました。

無視して眠りたくてもそうもいかない。距離を取れないという地獄。
しかも向こうから近づいてくる監獄です。

言うまでもなく、家人の態度そのものに問題がある訳でナイター中継そのものとは切り離して取り扱う事を念頭に置くことが幼い頃は難しく感じていました。

警鐘となるものが、ナイターなのか大声なのか何なのかは人それぞれ。
警戒レベルに入りますというお知らせは誰しも身に覚えのある落ち着かないものであるのは共通だと思います。

そもそも切り離して、切り分けて扱えばいい事は子供の頃からある程度やれていたようにも思います。

それだって負荷が掛かることは変わらないのでまあしんどかったっちゃ、しんどかったです。

一時が万事こんな調子の家人というものは珍しくなかった時代の話です。

これのおかげで身に付いたことと言えば心頭滅却すれば火もまた涼し。
かっこよさげなことを言いましたが、シンプルなガン無視力とも呼べるもの。それを発動する。

どれだけ煩くても物理的に無理でも不穏でもその場で勉強なり何なりを出来るようになった。
威嚇、恫喝に対するスキルが備わった。
人を頼ること、の幅とひとは必ずしも肩書き通りの役割を果たすとは限らないことを知る。
己の非力さと強さ。儚さ。

同じ環境、同じ屋根の下に居たとしても私とあなたとでは受け止め方も学ぶことも削がれることも、力が付くことも活かし方も全部違う。

どんな人選、環境でも生きていかなくてはならない。
生きていくことを楽しむまでにすること。

ならば、何を見定めて力をつけるか。
どんな希望を見て凌ぐか。安らぐか。

そして付与された様々を抜けた先でどうやりたいか。
どんな陣形を組むか。
何を新たに生み出すか。

士気を上げるか、下げるか。
結局はこの一点の話が万事な気も致します。

ままならない私とままならない過程。
だからこそ自分で選べる、参加する、共につくれるコミュニティの可能性を慈しめる。

恵まれた家族というものからも、ままならない家族というものからも生まれるものは必ず新しい命と希望です。
ひと、もの、こと、流れの命。

まっさらなもの。
引き継ぎたいもの、一代で築きたいもの、好きなものを当代が実現する。

仕事や部活、趣味の集団は明確な目的のもとに或いは報酬のもとに集まるのでそこまで齟齬が生じない。
参加、離脱も自由。

血族としての家族はそこが結構違うから齟齬が生じやすい。
離脱してもややこしい時はやはり容赦なく公務員の力を借りる事がベストだったなと感じています。

借りたり、貸したり、返したり。繋いだり、交代したり、生み出したり、終わらせたり。

飽きることなく果てることなく暮らしを新鮮に営んでいければそれでいいなと感じています。

前半戦は揉まれてきました。揉みもしたと思います。
後半戦は力を抜いて悠々と共にいけたらと願って暮らしています。


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