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私の私による私への無理解・和解

強めな表現を含みますので、あなたの状態によってはまたの機会に会えるのを楽しみにしています。





私というのは誠にクレイジーな側面があります。

「○○のくせに!」
に代表されるあらゆる暴言も人により対処法が異なります。

勿論私も多分にもれず、スルーする時もありますし良識の範囲内で対応することもあります。

この中で「女のくせに!」は比較的強めに返すことを是としてきました。

『母ちゃんから生まれておきながら大層な口を利くじゃねえか。おう?』というクレイジーな私です。

公衆の面前で相手が緘黙、泣き出してしまうほどの罵倒を叱責とすり替えて使うひとに職場やコミニュティ内で出会えば。

しっかりとお話を賜ります。どうぞ御案内致します。

などと対応してきました。
これについてはこの有無を言わせない感じを逆手に取られてそのような厄介な輩を上司やら身内から押し付けられる。手当も労いもなしに、といった側面もありました。
仲間や身内って一体何でしょうね。
所属と所有は明確に違うんだよ、とも思います。

この私の言動の根底には不健全なものに黙っているのは得策じゃない。
行動で示さなければ変わらない。
自分にできることをコツコツやるしかない。
言えずに黙ってしまう人がいるなら、言える人が言えばいい。

という私のポリシーとも呼べるものに即していました。

しかしながら、私は不健全な人に対する憤りやらそれをぶつけられて佇んでしまうひとのことよりも。

自分をもっと大切に育んでいくことを見なくちゃなりませんでした。

自分に専心する。
専心なくして邁進はありません。

私が誰かの代わりを進んでやる必要性は最初から無い。
私が自分を守るにもあらゆるやり方がある。
場を守るには全員の参加が求められている。
盾になることで私は私への無理解を助長していた。
自分への育成の難しさをこの歳になり身に沁みて知る。

「他人に対して出来るのならば、自分に対しても出来るはずだ」
昨今この言葉を胸に抱いて暮らしている訳ですが今夜は特にこれが胸に浸透してきます。

私にもあなたにも、「そこまでせんでもいい」と助言者は現れます。
それはお互いの為にならないからです。
そのひとは私たち全員を想っての助言者です。
大切な人です。

でも、それをどう伝えてくれるひとかを私たちは見る必要があります。
あなたの頑張りを、あなたの働きを、あなたの想いを、その内容がどうあれ一律無駄と切り捨てたり軽んじる言葉なら受け取らなくていい。

まず、労う。自分も相手も。
よくやったね。頑張ってきたね。ようやった。でかした。よし、もう大丈夫なんだよ。
それを自分で自分にたくさん言ってあげることから私は昨今はじめています。
まだならあなたも共にはじめてみませんか?
自分に声掛けを。自分に抱擁を。
そして、あなたにも。所属コミュニティにも。
少しずつその「まる」が花びらのように広がることを胸に抱いて。

私に限らずひとはもっと自分にフォーカスを当てて、慈しむターンです。

あなたも私も、もっと自分を楽に。
居心地よく、心地よく、快適に気分よく。

健やかに過ごせるようコツコツいきましょう。


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