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意思疎通信

石とひともやっぱり似てるなあって思います。

石にも出身地、産地があって、旅を経由して実家とも言える店舗に身を置き。
オーナーに愛されて育まれて私の手元にやってきて。

そうして私は痛くその石を気に入り。
あまりに素敵なその佇まいに惚れ惚れと眺め入るうちに、触れ合う程に次第にその背景に思いを馳せる。

こんな素敵な石が生まれるのはどこで?
そして、どんな人が採掘してくれているのだろう?
どんな旅路で運ばれて。
素晴らしいオーナーに見初められて。 
石がだいすきなひとに大切に育まれ愛されて私の手元にやってくる石。

産地の空気、風土。
そこならばこの石のような気風の石が多いのかな?などと考えたりする。
同じ見た目の石でも国が違えばまるで雰囲気が異なる。
ひともそうですよね。
ビルの聳え立つ街、雄大な自然に囲まれるか。
同じ性別だとしても地域によって話し言葉が異なるし、イントネーションも実に多彩です。

実際産地もさることながら、実家の気風というものも多分にあることを感じる。

ただ、ここでいう気風は人においての所謂生育環境ということではなく。
個人的なことではなくて、もっととても大きな広い眼差しというのか。
私の表現では現すのが難しいです。

家風そのものというか。
どんな愛をもって石を選び迎えているのか。
そんな大切なものを迎えては、手放すことを、送り出す、ということを日々行っているひとの抱く、向ける愛情の中身。内訳。

離れるのではない。

すべては通過地点に過ぎない。

行くべきところに過ぎ行くのみ。

送り出すことこそ誉だ。

見出すことこそ生きることだ。

繋いでいるに過ぎない。

手伝いに過ぎない。

などなど、そんなことを思ったりするのでしょうか?

どんなことを想うのか。
私には知る由もないあれこれ。

石にも故郷があり、家族がいて、仲間がいる。

石を抱いて眠るのにはちょっと楽しすぎる夜です。


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