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夏場のエコ力

この暑い時期のキッチン、あなたも季節ごとに工夫を凝らしていることと思います。
流水麺や焼かないパンやあの店のテイクアウト。昔ながらのカップ麺。
レンジの活用など時短も考えていかないと夏はまだまだ長く。
あなたのお気に入りのタンブラーやマグボトルの数は増えそうですか?

エコとタイトを組み合わせてゆとりを保ちたい。
寄る年波にひたひたと足元を狭められないためにもそんなことを試しています。

若い頃のある日、私は阿部寛さんを見てひとしきりある事を考えていました。

いざという時、私はこの人を担げるだろうか?と。
何かあった時に何も頼れない、手段がないと想定して。
所謂火事場の何ちゃら力を発揮したとて、果たして運び切れるだろうか……。

いや、責任が持てないな。
ならばタイトでコンパクトめのひとと添おう。

さて、ここまでお読み頂きどんな責任を果たそうとしているのか?とお思いかもしれません。

いつも以上に曖昧な話をしていますが、意外とあなたもこれに近しいような有りもしないけれどいざという時の為の想定問答集、或いはQ&Aみたいなことって考えたりしませんか?

私はこの傾向が強かったと思います。
バウ!と野太い声を上げるどデカい犬が好みだけれどいざという時を考えれば…。

一時が万事、ベースとしてこれが効きすぎていました。

責任の意味合いがぼんやりし過ぎてるし偏りすぎている。
でもこれは人それぞれ持って生まれたものに加えて各々の道のりも加味された上で出来てくるものだと思うので、ここで善し悪しの話はまたさて置いてくださいませ。

振り返るに事実とはまた切り離し。
重責が過ぎているし、相手が担いでくれる点が全く加味されていない。
もっとナチュラルに真っさらに体験しろ、みたいな感想を今は抱いています。

今生まれたとしたら、どう生きるか。
それでいいんだと思います。
知恵や経験はそのままに、感情を解放し身体感覚を広く取り直す。

でも結構全てはこんな話のような気がします。

担ぎ手と乗り手みたいな事で祭りの神輿はわっしょいわっしょいと賑々しく静々と練り歩く。

私はどうして阿部寛さんことお神輿を一人で担げると思い込んでしまったのでしょうか。

そして何でという問いに囚われない。
更に思い込み自体も善し悪しはない。
お神輿は最低四人とお神輿自体が揃わないと成立しない。
更には神楽や集まる人がいなきゃ祭りじゃない。
しかも神輿を保管するのは地域によって様々ながら必ず組合があり、多くの人により維持され保存され保管されずっと管理されています。
それは膨大な人手です。

祭りってひとの数だけ意味もある。

そして何よりそうだからこその祭り。
そこに露店が出たり花火が上がったりして、浴衣で賑わい色んな位置と角度からの願いを各自納め、放ち、楽しい想い出を共に持ち帰り暮らしに戻る。

コンビニを経由したり、近所の友達に土産を渡したり翌日職場や学校でその話をしたりして波及する。

そんな事を感じています。
少しずつですが、手触りを確かめ何よりひと心地つくような夜です。

あなたの明日も手触りがいいものでありますよう願っています。


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