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本の盾・緑の庭園

子供の頃、お祝い事で私に本をくださる方やかなり高額の図書券をくださる方がごく少数ですが居ました。

図書券が時代と共に図書カードとして今も愛されているのが頷けますし、これだけエンタメの幅が増えても本が出版されないなんてことはありません。
寧ろ出版するひとは増えています。

本や図書カードをくださった大人たちは私が本好きの子供だったから、喜ぶから、という理由があったと思います。

しかし数年前、不意にある事に気付きました。
本当に不意にでした。

急に気がつくこと、あなたにもありますか。

私に本をくださった賢人たちは私の不穏な境遇を何もかもお見通しの上の事だった、と。

その事にはたと気付いたあの時、胸を撃たれるように膝から崩折れそうになりました。
賢人たちは私の暮らしを見逃してはいなかった。

見て見ぬふりを決してしてはいなかった。
私は見過ごされてはいなかった。
私はしかと盾に護られていた。

幸いにして遅くなりはしたものの、その事に気付くことが出来たし振り返れば家人と賢人の様子も合点がいった。

ひとは誰にも守られないように感じることがままあります。

しかし本当にそうでしょうか。

そしてその答えを知る機会もなく、一見糸は途切れたように見える時もあります。

それを知れるかどうかは私の心ひとつです。
私の匙加減です。
私が曇れば見えない。
しかし、晴れればいつだってどこからだって見ることは叶う。

どうすることが少しでも私の為になるのか、自分の立場で自分には何が出来るのか。
それを考慮して行動してくださっていたのだなと。

今の時代の私の脳裏に浮かぶのは「チェック」と聴こえないくらいのボリュームの控えめすぎる囁きと、淡々と投了していく賢人たちの勇姿です。

私に対して「時間かかってましたね、はは」とは言わないのが賢人です。
何てかっこいいんだろう。何て優雅な様。

やさしさっていつでも誰でもどこからでも受け取れるから最高です。

人には本当に色んな日があって、色んなお天気の日があります。
色んな人がいて、色んな事を言うひとがいてそのいい悪いを超えて、今日も今日とて私もその色んな人のひとりをやっている旅路です。

どんな意見も出揃えるのが自由な場というもの。
どんな意見もあってこそ。

雨宿りしたり、雨に降られてみたり、乾かしたり、干したり、飛ばされてみたり、吹き飛ばしたり。時には焼き払いながら共に進んでいけたらと思います。

いつもあなたのご協力感謝します。

夜の投稿はお久しぶりでございまして、サマータイムというものを実はひっそり実施しております。


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