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反省という貝を閉じてエーゲ海で眠る


誰にでもある反省、悔恨。

ひとつでもものに出来ればそれはもう糧から宝です。
落とした汗、涙は優しく照る真珠に形をうつす。
流した分だけの新たな比類なき珠。
それは慶弔の王、女王です。

それについて私なりのやり方を記そうと思いました。

読みづらさについてはどうかご協力をお願いしたいです。

感覚は一人ひとり異なりますが、私のところへ辿り着いたあなたならきっと近しいはず。
でも実は自覚の有無を問わないと私が考えているやり方です。 

無論証拠はなく、私の実感のみで恐縮なのですがめちゃ簡単なのに効果は抜群。

寝ながらグングン覚えるなんていうCMが昔ありましたが言い得て妙。
そもそも寝る子は育つんです。

暮らしには必死になって覚えられることと、そうでもないことのどちらもあります。

私の場合、体験上必死は採用していません。
推奨しているのは己を死守です。

あなたもここらで独自ルールを共に選択導入してみませんか?

寝て、何も考えず楽しいうれしい夢をみる。
出来るかしら…を閉じると出来る。
心身を休ませ、喜ばせれば夢は正夢へと形をひらく。

もしお時間が許せば、「そんな事があるなら面白いかも?」という程度でこれをあなたの本棚の片隅に置いて頂けるとうれしいです。

深い鍛練された洞察を供にそれを遂行して前進する人の背は美しい。

しかし私などは反省とは名ばかりの己の糾弾会のような事が多く。
何十年再放送をスクラッチすんねんと、いい加減飽きろや、そんな様相。
そこで疲弊し摩耗し何も進まない。
なので理想論で心を慰撫し、ようやっと青色吐息でした。
それが無自覚、無意識な逃亡や正当化、批判、反論、攻撃を走らせてしまいやすくしたと思います。

以下方法です。

まず私の心身のテレビ離れ、そしてデジタルデトックスです。

命に関わる連絡以外は決めた時間だけ、チェックなど自分ができるところ、できる分だけを今より1分でも少なくして実行する。
私は電源から切ったりしています。

あとは「いいな、素敵だな」「わあー」と感じられる本を片っ端から私の心身の本棚に並べていく。

実際の書籍、趣味など何でも有効ですが私のおすすめは何といっても折角のネットワーク。
デトックスしなくていい、栄養となるオーガニックな素敵なあの人の言葉や姿勢、作品を頂戴し眺めておく。
収納です。

ここでポイントなのは純粋に「すきだな、いいな」に従うこと。
いつか読もうの積読にならない、「すきだから欲しい」を選ぶ。

例えば私の場合ならこんなに明晰なひとと比べて私は何をしとんねん……と仮にそのような嵐が近付きそうになったとしてもその気持ちは切り離して有り難く頂戴し本棚に収納します。
己の絵心の無さがチラついても無心に素敵な絵、作品を集める。

学生時代に読めなかった本と好きだった本があったと思います。
あの感覚に近いですが、読めなかった本は単に私の先入観の話と馴染みの無さでしかありませんでした。 
あとは自分への疑念。

それでも読めない本があるとしたらそれは本当は私が読みたくない本です。

見分けはそこ。

でも大丈夫。すき、の力は私を乗せてそこを悠々と超えていく。
すきの使いどころはここです。
私の理解の範疇を楽々超える。
それが、私が日々頂戴しているあなたの発信という本の力。
あなたがぼやいたことから専門的な作品、知識、知恵、音や記録。
今日はこうだった、というあたたかな声。

【視界に捉えられるところに置いておくだけで、読まなくても背表紙を眺めたり時に触れるだけ】
これで私の場合、ここまで来られました。
射程距離に置いておけば、読める日は来る。
昨秋から始めて今は七月。
ゆっくりですが、よちよち歩き始めています。

これって不思議で面白いです。
あらゆるあなたの発信×私。

まるであなたというアコヤ貝に大切に保護されて核が育つ。
そんなことを以前より感じていました。

纏まりがなく、読みづらいからもっと体裁を…。
確かにそれはそう。
しかしハードルが上がる。

SNSにはつきもののあらゆる怖さへの懸念も私の場合、noteをやってみて怖い思いなど一度もありませんでした。
ここはそんな広く明るく吹き抜けたあたたかな場所です。
まるで保護地区の公園のようです。
たくさんのあなたが協力してくださる。

とにかく出す。 
緊張は喉が締まり、手が止まり、鼓動を乱す。
私みたいに「いやはやお恥ずかしい、わはは」とハードルを蹴散らしながら出してみるのも手です。

自分のためにやる事がいつかの私とあなたへ結ばれるならやってやれないことはない。

夏です、祭りの季節。
私もやっとあなたと共に神輿を担ぐ。

いつもあなたのご協力感謝します。




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