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今できること

おはようございます。
最近聞いておもしろうれしかった言葉は「この前、球根を貰ってね」です。

今できること。
今だからできること。
今しか出来ないこと。

よく耳にする言葉です。
しかも結構難解。
シーンやムードによってそれが何かは千差万別。

何か大きいことや大志のありそうな香りもする表現。
身構えて長考に入り逆に今を逃したり。
今を!と思って急いてしまったり。
本当に人それぞれの解釈、幅のある表現だなあと思います。
自分の歴史においてもそこの受け取りようは様々で。

私の場合、noteを書くに当たってこの表現を自分なりにフィードバックしています。

例えば去年分の記事はお札を納めるようにして一覧からは消しています。
非公開を選択しているのであるけどない、ないけどある、ということになっています。

どんなに躊躇っても震えても今の私が書きたいことをあらゆるあなたに見守られ励まされながら日々書いています。
内容よりも行うこと。
ひとりじゃなく二人以上で。

そして今の私が添えたいものを過去記事に戻って自由に添えたり。

今しか出来ないことってこれぐらい些細なことでもよくて、それを目に見える形で行えていけることは安心感にも繋がるなあという実感があります。

刷新、改革、修正、といった強めのものも時々に応じて行うことはまたそれはそれとして。

私にとっては日々の、今の私ができる身の丈にあった
「補正」「補修」「調整」というものが大切だと感じています。

そしてそれが私の中での軋轢や、数多の摩擦を生んできた矛盾や葛藤というものの歪みを解放し。柔らかく実用的に楽しんで乗りこなしていけるやり方だとも実感しています。

矛盾を孕むことを楽しむ、葛藤から生める音を聴く。

自分で自分を認めていきながら、
等身大を見つめながら、
力を添えながら、
慈しみながら、
微笑みながら、
手を取り合いながら、
歩いて行くことの練習みたいなことをする毎日です。

共に今の自分に合ったやり方で。

いつもあなたのご協力感謝します。


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