正統な悲しみ
こんにちは。
タイトルの漢字は誤字ではありません。
それなりに長く生きてきて、今の安全でゆるりとした状態で私の中から思い起こされた言葉です。
自分史を振り返って過去最もフラットな状況で眺めてみた感想でもあり。
この「正統な悲しみ」って一体どんなもの?と私があなたに伝えるなら、やはりあたたかみ、温度感を伴うものだよ。あなたにもきっとある。
過ぎても尚、愛しく慈しみたくなるようなもの。
持っていても自然なもので、捨てたり忘れようとしたりしなくていい大切なものだよ。
悲しさ、哀しみであろうと愛しさを感じられるものがあるよ。
正統な悲しみを知るときまで覚えていられるようなそんな大切な感情、感覚だよ、と。
そんな表現になると思います。
これに自分がしっかりと触れたことで、不当な悲しみってものが多すぎたなあ…ム。
と安心するような昼下がりです。
ほわっと波が打ち寄せてきて、一秒も掛からず悲しみを洗い出し自然に波打ち際でスーッと稜線が引かれて残すもの、返すものとが分かれて攫われていく様。
海と山の融合を感じる自然のラインが生まれる海辺の場所。
不当な悲しみは引き波に乗って還る。
私のものもあなたのものも等しく。
あなたは今日どんな速度の日をお過ごしでしょうか。
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