コンビニの数<美容室
等号、大なり小なり、ニアリーイコールなどで示される色んな等記号。
茫漠とした面積の広さは想起しやすいよう、よく東京ドーム何個分と表されます。
同様に数の多さをコンビニの数の何倍。
レモン何個分のビタミンC。
或いは励ます時にお馴染みの星の数程相手はいる、などその多さに目を向けてやっていこうぜ!な?的な表現の数々に触れることは日常茶飯事です。
地域柄にもよるとは思いますが確かに個々の表現するサロンたる美容室よりチェーン化されたコンビニの数の方が目に入りやすいです。
そもそも目に入りやすい色とデザインです。
夜でも昼でも目立つってよく考えると凄い。
これは実際に大抵の人がコンビニ多いな、と感じられると思います。
しかしそれを遥かに上回るサロンや神社仏閣の実在数というもの。
もっと言えば然程多くはないものの、近隣に必ずあるなと思わずにおれない某ペンギンの殿堂など。
どこにあるかは分からずとも調べれば容易に実在し足を運べる殿堂。
頭の片隅に確かにその存在を捉えている。
私はいつも何を視界に捉え、何をカットアウトしているか。
あなたならどんな基準値、どんな等記号がしっくりきますでしょうか?
これに思いを馳せた時、はたと気が付きました。
私が長年思い込んできた思い込みの代表格、「同じような仲間に出会えない」というもの。
それこそ星の数ほどひとは、あなたはいるのに何で私はそう信じ込んでしまったのか?
こんなに根拠のないものは無かったなと痛感する一方で、そうなったのもわかるよ…という自分へのあたたかな想いです。
誰にそう言ってもらうでもなく、「自分が自分へとそう言って背中を摩ることのやさしさ」にほっとしています。
自分が自分を認めることはきっと誰しも最期の日まで踠いたり、足掻いたり、時にすんなりと受容れたりして取り組むことなんじゃないのかしらとも思います。
環境や状況を問わず、国や性別を問わず。
誰もが自分のペースで、時に仲間の足音や声や励ましを聴いて。
既にいる仲間やこれから出会う仲間へ思いを馳せて。
風を受けて、空を仰いで、大地を踏みしめて、水を感じて、命を感じて。
何より、誰よりもいちばんに自分の声を聴いていくこと。
大切なことを言う声はとても小さい。それはまるで囁きだ、ということはずっと知っていたけれどまさにそこだと思います。
私は自分の声を聴いているようで耳を塞いでいた日の方がずっとずっと多かったです。
慣れないことをやる中で心揺れる日は進んでいる証です。
慣れたことはスイスイと、慣れぬことはゆっくりと、共にできたらうれしいです。
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