The Intelligence Trap: なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか デビッド ロブソン (著), 土方 奈美 (翻訳)


目次

第1部 知能の落とし穴――高IQ、教育、専門知識がバカを増幅する
 第1章 IQ190以上の神童の平凡なる人生――知能の真実
 第2章 天才はなぜエセ科学を信じるのか――「合理性障害」の危険性
 第3章 専門家が判断ミスを犯す根本理由

第2部 賢いあなたが気をつけるべきこと
 第4章 優れた判断力、知的謙虚さ、心の広さ
 第5章 なぜ外国語で考えると合理的判断が下せるか――内省的思考
 第6章 真実と嘘とフェイクニュース

第3部 実りある学習法――「根拠に基づく知恵」が記憶の質を高める
 第7章 なぜ賢い人は学ぶのが下手なのか――硬直マインドセット
 第8章 努力に勝る天才なし――賢明な思考力を育む方法

第4部 知性ある組織の作り方
 第9章 天才ばかりのチームは生産性が下がる
 第10章 バカは野火のように広がる――組織が陥る「機能的愚鈍」

著者のデイビッド・ロブソンはAmazonの略歴によると、心理学と神経科学を専門とする英国ロンドン在住の受賞歴のあるサイエンス・ライター。ニューサイエンテイスト』誌の編集者、BBCのシニア・ジャーナリストを歴任。ガーディアン』、『メンズ・ヘルス』、『アトランティック』、『サイコロジスト』、『イオン』などに寄稿。Xアカウントは@d_a_robson

はじめに

たとえば知能も教育水準も高い人は、自らの過ちから学ばず、他人のアドバイスを受け入れない傾向がある。しかも失敗を犯したときには、自らの判断を正当化するための小難しい主張を考えるのが得手であるため、ますます自らの見解に固執するようになる。さらにまずいことに、こうした人々は「認知の死角」が大きく、自らの論理の矛盾点に気づかないことが多い。

こうした研究結果に興味を持った私は、さらに探究の範囲を広げた。たとえば経営学者は、 スポーツチーム、企業、政府組織などで、悪しき企業文化 (生産性向上のみを目的とする)がどのように不合理な判断を増幅するかを明らかにしてきた。それによってすばらしく優秀な人材をそろえたチームが、とんでもなくバカげた判断を下したりする。

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こうした過ちの多くは、知識や経験の不足では説明できない。むしろ知能、教育、職業上の専門能力が高い人に特有の、悪しき思考習慣から生じているように思える。それは宇宙船の墜落、株式市場の暴落、そして世界の指導者が気候変動のような世界的危機を無視する原因にもなっている。

こうした現象は無関係のようだが、実はすべてに共通するプロセスがある、と私は思う。私が「インテリジェンス・トラップ(知性のワナ)」と呼ぶパターンである。

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知能は事実を学んだり思い出したり、あるいは複雑な情報を迅速に処理したりするのに役立つかもしれない。しかしその知力を適切に使いこなすには、チェック&バランス(抑制と均衡)も必要だ。それがなければ、知能が高くなるほど、思考は偏るかもしれない。

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次の一見簡単な問いを考えてほしい。

ジャックはアンを見ており、アンはジョージを見ている。ジャックは既婚だが、ジョージは違う。一人の既婚者が一人の未婚者を見ているのか。

「イエス」「ノー」「判断するのに十分な情報がない」のいずれかを選べ。
正解は「イエス」だ。しかしたいていの人は「判断するのに十分な情報がない」を選ぶ。

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このテストは「認知反射」と呼ばれる特性(自らの思い込みや直感を疑う傾向)を測定するものだ。こ のテストのスコアが低い人はくだらない陰謀論や虚報、 フェイクニュースに騙されやすい。

認知反射に加えて、インテリジェンス・トラップを回避するのに重要な特性として、知的謙虚さ、積極的なオープンマインド思考、好奇心、優れた感情認識、しなやかマインドセットなどが挙げられる。 これらが組み合わされば、知性を正常な軌道にとどめ、思考が崖から転落するのを防げる。

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インテリジェンス・トラップから身を守る特性のうち、標準的な学力テストで測定できるものは1つもない。ただこうした思考や推論の能力を身につけるために、高い一般的知能を犠牲にする必要はまったくない。それは優れた知能をより賢明に活用するためのものだからだ。 そして知能と違って、訓練によって身につけることができる。あなたのIQがいくつであろうと、より賢く思考する方法を身につけることは可能なのだ。

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本書において、著者は以下の3つの問いに集中したという。
・「なぜ賢い人々が愚かな行動をとるのか」
・「こうした過ちは、どのような能力や性質が欠如しているために起こるのか」
・「どうすれば、過ちを防ぐために必要な資質を伸ばすことができるのか」

そしてこの3つの問いを、個人から巨大組織に至るまで社会のあらゆるレベルにおいて考察したという

第1部 知能の落とし穴――高IQ、教育、専門知識がバカを増幅する

第1章 IQ190以上の神童の平凡なる人生――知能の真実

「なぜ、賢い人々は愚かな行動をとるのか」という疑問に答えるためには、まず「なぜ知能はこのように定義されたのか」を理解する必要がある。 この定義に含まれる能力はどのようなものか、逆にそこから抜け落ちている思考力の重要な要素、独創性や現実の問題解決に重要であるにもかかわらず、教育制度では完全に無視されている要素とは何か。こうしたことを理解して初めて、インテリジェンス・トラップの起源と、それを克服する方法を考えることが可能になる。

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たとえば弁護士、会計士、技術者の調査を見ると、IQの平均は125前後で、知能が高ければ有利であることを示している。しかしスコアには相当な幅があり、下は95くらい(平均以下)から上は157までいる(ターマンの子供たち並み)。そしてこうした職業に就いている個人の成功度合いを比較するとIQの違いで説明できるパフォーマンスの差(管理職による評価の差)は、せいぜい29%だという。

29%というのはかなりな割合ではあるが、モチベーションなど他の要素を考慮しても、やはりパフォーマンスの違いの大部分は知能では説明できない。

どんなキャリアにおいても、IQが低い人の業績が高い人を上回るケースは多く、また知能が高くてもそれを活かしきれない人も多い。これはクリエイティビティや専門家としての優れた判断力など、IQというたった1つの数字では説明できない資質があることを裏づけている。ハーバード教育大学院のデビッド・パーキンスは「バスケットボールをプレーするうえで身長が高いというのに似ている」と語る。最低限の基準をクリアしなければ、たいした成功は望めないが、そこを超えてしまうと他の要因のほうが重要になる、という。

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心理学者のデビッド・ヘンリー・フェルドマンは、ターマンの子供たちのなかで最も知能が高かった2人のキャリアを調べた。いずれも180以上のずば抜けたIQを持っていた。 フェルドマンは全員が仲間を上回る成功を収めたものと予想していたが、実際に職業的にすばらしい成功(たとえば裁判官や有名建築家になるなど)を収めたのはわずか4人だった。

集団としては、IQが30~40ポイント低い子供たちよりわずかに成功していると言えるぐらいだった。たとえばベアトリスとサラ・アンのケースを見てみよう。本章の冒頭に登場した、1Q192以上の早熟な2人の少女である。 ベアトリスは彫刻家と作家になることを夢見ていたが、現実には夫の資金を使って不動産売買をしていた。被験者のなかではIQが低かったオッペンハイマーのキャリアとは対照的である。一方、サラ・アンは博士号を取得したが、職業的には成功しなかったようだ。50代になる頃には、友人の家やコミューン(生活共同体)を転々とする放浪生活を送っていた。「子供時代に『ターマンの子供たち」に選ばれたことで自意識過剰になったと思う。(中略)でもこの知能を活かすために必要な知恵は、ほとんど与えられなかった」と後年書いている。

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しかしさまざまな研究を分析したところ、さらに不可解な事実を発見した。 過去数十年にわたり、あらゆる人種において知能は上昇しつづけているのだ。 心理学者はこうした事態に対応するため、テストのハードルを徐々に上げていた。 同じIQスコアを得るのにも、より多くの問題に正解することが必要になった。しかし原データを比較すれば、IQの上昇ぶりは明らかだった。 過去30年で、 300ポイント近く上がっていたのだ。 「『なぜ心理学者はこの事態に狂喜乱舞していないのだろう。いったい何が起きているんだ』と思ったね」とフリンは語る。

知能は主に遺伝で決まると考えていた心理学者は唖然とした。兄弟と赤の他人のIQスコアを比較した結果、IQの違いの70%は遺伝で説明できると考えていたからだ。しかし遺伝的変化には時間がかかる。フリンが発見したほどのIQスコアの大幅な上昇を、遺伝的変化がもたらしたと考えるのには無理があった。

それに対してフリンは、社会の大きな変化を考慮する必要がある、と主張する。私たちはIQテストのために学校に通ったわけではないが、幼い頃からパターンを見抜いたり、記号や分類を使ってモノを考えるような教育を受けている。たとえば小学校の授業は、さまざまな種、元素、自然の力について考えさせている。子供たちがこのような「科学的視点」に触れる機会が多いほど、幅広い事柄について抽象的に考えられるようになり、次第にIQは上昇していく、とフリンは考えている。私たちの知能はターマンの理想に沿うように発展してきたのだ、と。

当初、他の心理学者は懐疑的だった。しかしフリン効果はヨーロッパ、アジア、中東、南米など、エ業化と西洋的な教育制度改革を実施した地域であまねく観察されている(37ページのグラフを参照)。この結果は、 一般的知能は私たちの遺伝子とそれをとりまく文化の相互作用によって決まることを示唆している。

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スタンバーグの実務的知能テストの結果を見ると、私のように他の知能テストのスコアは平均以上なのに、実務的判断力が欠如しているケースは驚くほど多い。それが必要とされる仕事に何年も就いている人でさえそうだ。ただ両者の関係については、明確な結論は出ていない。暗黙知はIQとわずかに関連性があるとする研究もあれば、負の相関を指摘する研究もある。どうやら実務的な問題解決の方法を、自然と身につけることに長けている人がいるようだ。 そしてこの能力と一般的知能には、それほど密接な相関はない。

本書の目的上、反事実的思考にも注目すべきだろう。これは創造的知能の一要素で、ある出来事の別の結末を考えてみたり、自分が別の状況に置かれたところを一時的に想像してみる能力だ。 「こうだったらどうか?」と自問する能力であり、それが欠如していると、予想外の困難に直面したとき、どうしたらいいかわからなくなる。 過去を再評価できなければ、失敗から学び、次に同じことが起きたときのためにより良い解決策を見つけることは難しいだろう。これも多くの学力テストではなおざりにされている能力だ。

このようにスタンバーグの理論は、知能が高いのに、なぜか仕事に必要な当たり前のこと(プロジェクトの計画を立てる、行動の結果を想像してトラブルを未然に防ぐ、など)ができない人々の問題を理解するのに役立つ。一例が起業に失敗する人々だ。ベンチャー企業の9割は失敗に終わる。それはイノベーターに優れたアイデアはあるものの、実務上の問題に対応する能力が欠けているためであることが多い。

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第2章 天才はなぜエセ科学を信じるのか――「合理性障害」の危険性

たとえば科学者を信じない集団のなかで育つと、経験的証拠を無視し、立証されていない理論を信じてしまう傾向が強まるかもしれない。高い知能は、そもそもこのような態度が醸成されるのを防いでくれるとは限らない。むしろ学習能力が高いと、自らの考えを補強するような「事実」を集めようとする傾向を助長する可能性がある。

状況証拠から判断すると、合理性障害は珍しくないようだ。たとえばIQの高い人々の団体「メンサ」に関するある調査では、メンバーの44%が占星術を信じており、50%が地球外生命体が地球を訪れたことがあると考えているという結果が出た。しかし知能と合理性の関係に的を絞った厳格な実験は行われていない。

スタノビッチはこうした土台をもとに、すでに20年以上にわたって入念な対照実験を繰り返してきた。…相関係数1というのは完全相関で、2つの変数が実質的に同じものを測定していることを示す。これは人間の健康や行動のような(非常に多くの変数がかかわっている) 研究分野ではありえない数字で、多くの科学者は係数が0.4~0.59ならば「中程度の」相関があると見なす。

こうした手法を使って、スタノビッチは合理性と知能の相関は一般的にきわめて弱いことを突き止めた。たとえばSATのスコアとフレーミング・バイアスとの相関は0.1、アンカリングとの相関は0.19に過ぎない。より多くの報酬を受け取るために満足を先延ばしにするか、(非合理的だが)少ない報酬でもより早く得ることを選ぶかという「時間選好」と呼ばれる傾向についても、知能はほとんど関係ないことも明らかになった。 あるテストではSATとの相関は0.02にとどまった。分析能力が高いことと関係がありそうな属性にもかかわらず、驚くほど低い相関だ。別の研究では、サンクコスト・バイアスについてもSATスコアとはほぼ無関係であることが示された。

一方、スタノピッチの研究に触発された北京師範大学のグイ・シュエらの研究では、ギャンブラーの誤謬は被験者のうち学業に優れている者のほうがやや多く見られることがわかった。…ルーレットに賭けるときは、自分のほうがルーレットより賢いなどと思わないことだ。

心理学の教育を受けた学者でさえ無謬ではない。論理的推論を叩き込まれているはずの心理学博士号を持つ被験者らも、他の被験者と同じようにフレーミング効果の影響を受けた。

知能が高い人なら、少なくともこうした失敗を自覚する能力は高いのではないか、と思うかもしれない。しかし現実には、大方の被験者は自分は他の人ほど認知バイアスの影響を受けないと思っている。

それは「賢い」被験者も同じだ。スタノビッチは典型的な認知バイアスを調べたある実験で、SATスコアが高い人はそれほど高くない人と比べて、むしろ「認知の死角」がやや大きいことを明らかにし「認知能力が高い人は、それを自覚しており、たいていの認知的作業は他の人よりうまくできるはずだと考える。認知バイアスは認知的作業のかたちで提示されるため、やはり自分は他者を上回るパフォーマンスができるはずだと思ってしまう」とスタノビッチは語った。

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ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスが2010年に発表したある研究では、IQが比較的高い人はアルコール消費量が多い傾向があり、また喫煙や違法ドラッグを摂取する傾向も強いことが明らかになった。これは高い知能は必ずしも短期的利益と長期的弊害を比較するのに役立つわけではないという見方を裏づけるものだ。

また同じようにIQが高い人は、ローンの返済に躓いたり、破産したり、 クレジットカードの負債を抱えたりといったお金のトラブルにも直面しやすい。IQ140の人では1.4%がクレジットカードの限度額まで使ったことがあるのに対し、100という平均的1Qの人では8.3%にとどまった。またIQ140の人は長期的な投資や貯蓄にお金を回す傾向も強くはなく、毎年の資産の増加分は平均的な人よりわずかに多いだけだった。こうした事実にとりわけ意外感があるのは、知能が高い人(そして教育水準が高い人)は、報酬が高い仕事に就く傾向があるためだ。それにもかかわらずお金のトラブルに陥るのは、稼ぐ力より判断力に問題があることを示している。

こうした研究では、知能が高い人は自分なら問題が発生してもうまく対処できると思い込み、「危ない橋」を渡ろうとする傾向があることが指摘されている。理由がなんであれ、経済学者の予想に反して、賢い人ほどお金を合理的に使うわけではないのは明らかだ。これも知能は必ずしも優れた判断力につながらないというサインである。

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1200人以上を対象とするある調査では、大学の学位を持つ人はそれより学歴の低い人と比べて、UFOの存在を信じる割合は同程度、そしてテレパシー、透視などの超感覚的知覚 (ESP)や「心霊療法」を信じる割合はむしろ高かった(学歴は知能の尺度としては完璧ではないが、大学入学に求められる抽象的思考や知識が合理的思考の高さに直結するわけではない、ということはわかるだろう)。

あえて言うまでもないが、ここに挙げた現象は、いずれも信頼性のある科学的根拠によって繰り返し否定されている。それでも多くの賢い人が、頑なにそれを信じている。 二重システム理論(速い思考と遅い思考)によれば、これは認知能力がおそろしく低いということになる。科学的に説明のつかない現象を信じるのは、自らの信念の根拠として、分析的で批判的な推論ではなく、本能や直感に頼ろうとするためだろう、と。

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1970-80年代のハーバード大学のデビッド・パーキンスの研究では、学生たちに、たとえば「核軍縮は世界大戦の可能性を低下させるのか」といった時事問題に関する質問をした。合理的思考ができるなら、イエス・ノー双方の主張を考えると予想されたが、しかし、知能が高い学生は他の学生と比べて、別の視点を考える傾向が強いわけではないことが明らかになった。たとえば核軍縮に賛成の者は、全加盟国が協定を遵守すると信じていいのかを考慮していなかった。抽象的思考力や事実的知識を使い、自分の見解を正当化するための根拠を並べ立てただけだった。

この傾向は「確証バイアス」と呼ばれることもあるが、パーキンスを含めた心理学者の一部は、自らの意見を補強し、他の見方を否定するさまざまな戦術の総称として「マイサイド・バイアス」という幅広な表現を使う。
法律論争で相手方の視点を検討することを叩き込まれているはずの法学部の学生ですら、調査でのパフォーマンスはかなりお粗末だった。

パーキンスはのちに、これを自分の最も重要な発見の1つに挙げている。「問題を別の視点から考える、というのは論理的思考のお手本と言える。ならばなぜ高いIQを持ち、反対意見を予想しながらモノを考えることを叩き込まれる法律家の卵が、一般人と同じように確証バイアス、あるいはマイサイド・バイアスのワナにはまるのか。このような問いは、知能とは何かという既成概念を根底から揺さぶるものだ」

その後の研究ではこの結果が再確認されたばかりでなく、こうした一面的思考が、アイデンティティにかかわる問題では一段と顕著になることが明らかになった。今日、このように感情的思い入れのある自己弁護的な思考は、科学者のあいだで「動機づけられた推論」と呼ばれる。「動機づけられた推論」はパーキンスが研究対象としたマイサイド・バイアス(自らの意見を裏づけるような情報を優先的に探し、記憶しようとする傾向。確証バイアスとも言う)に加えて、「非確証バイアス」につながることもある。自分とは違う立場の主張を選択的に否定しようとする姿勢を指す。こうしたバイアスが相まって、私たちは自らの意見に固執するようになる。

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次のデータを見て、銃規制は効果があると言えるだろうか。

事例

カハンは意識的に、誤った印象を与えるような数字を選んでいる。一見すると、銃規制を実施している都市の多くで犯罪が減少したような印象を受ける。しかし正解を導き出すには、割合を考える必要がある。銃規制を実施した都市の約25%で犯罪が増加しているのに対し、銃規制を実施していない都市でその割合が16%にとどまる。要するに、銃規制は効果を発揮していないわけだ。

計算能力が高い被験者ほど、正解する割合が高いと思うのではないか。しかし、それはもともと銃規制に反対する、保守派の共和党支持者に限られる。リベラルな民主党支持者の場合、知能の高低にかかわらず、被験者は計算などせず、「銃規制は効果があったのだ」という(誤った)第一印象を受け入れる傾向が強かった。

カハンは公平を期すために、同じ実験のデータを逆にして、すなわち銃規制に効果があったという内容に変え実施している。 そこでは正解を導き出せたのは数字に強いリベラル派で、一方、最も数字に強い保守派でも判断を誤った。総じてみると、数字に強い被験者は、データが自らの期待に沿っているとき、そうでないときよりデータを正しく読み取る割合が約45%高かった。

カハンをはじめとする「動機づけられた推論」の研究者の結論は、賢い人は自らの優れた知能を常に等しく活用するわけではなく、自らの利益を追求し、自分のアイデンティティにとって最も重要な信念を守るために「日和見的に」使う、というものだ。知能は真実追求ではなく、プロパガンダ(主義主張の宣伝)のツールなのだ。

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「動機づけられた推論」が働くと、反対意見を突きつけるのが逆効果になることもあるという証拠もある。反対意見を拒絶するだけでなく、結果として立場がさらに頑なになるのだ。要するに、誤った信念を抱いている知能の高い人は、事実を突きつけられるとより誤った方向へ進むということだ。その最たる例が、2009年と2010年にオバマケアに対して共和党支持者が示した立場である。知能が高い人は、新たな医療保険制度はオーウェル的な「死の判定団」(終末医療患者の延命中止を決める機関)が生死を左右するようになるといった主張を信じる傾向が強く、それを否定する証拠を示すと、かえってその傾向が強まった。

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科学者が自らの領域以外でも自説が正しいことをひたすら証明しようとすると、ことさらひどい結果につながるケースもある。それが特に顕著だったのは、心理学者のハンス・アイゼンクだ。1950年代にはこう書いている。「科学者もひとたび自らの専門領域を離れてしまえば、どこにでもいる頑固で理屈の通じない人間に過ぎない。その人並み外れて高い知能は、その偏った思考を一層危険なものにするだけである」。 皮肉なのは、アイゼンク自身が超常現象を信じるようになり、納得できない証拠を否定するために独りよがりな分析を繰り返したことだ。

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さらに例を挙げるとするなら、 ライナス・ポーリングがいる。原子間の化学結合の本性を解明するという功績のあった一方で、数十年にわたってビタミンサプリメントによって癌を治せるという誤った主張を続けた人物だ。そしてリュック・モンタニエはHIVの発見に貢献したものの、その後は高度希釈したDNAは水の構造変化を引き起こし、そこから電磁放射が発生するという奇妙な理論に肩入れするようになった。モンタニエはこの現象が自閉症、アルツハイマー病などの重篤な症状とかかわっていると考えたが、それは他の多くの科学者によって否定された。最終的には35人のノーベル賞受賞者が、モンタニエにエイズ研究機関の職を辞すよう促す嘆願書を提出する事態となった。たとえ壮大な統一理論の構築に取り組んでいなくても、誰もがここからある教訓を学ぶことができる。私たちの職業が何であれ「動機づけられた推論」と「認知の死角」が結びつくと、周囲の人に対する偏った見方を正当化したり、職場で見当違いのプロジェクトを推し進めたり、望みのない恋愛を続けたりといった行動に走るおそれがある。

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1000件を超える特許を持つトーマス・エジソンが、ずば抜けて優れた知能を持っていたのは明らかだ。しかしひとたびアイデアを思いつくと、それを変えるのは非常に困難だったようだ。 その最たる例が「電流の戦い」 と呼ばれる一件である。

1880年代末に電球の実用化に成功したエジソンは、アメリカ中の家庭に電力を送る方法を考えはじめた。そして考えたのが、安定的な直流(DC)を使った送電網を構築する、という案だったが、ライバルのジョージ・ウエスチングハウスは交流(AC)を使って送電するという安価な方法を考案した。今日、私たちが使っているのは後者である。DCでは電気が流れる際の電圧が一定だが、ACは2つの電圧のあいだで周期的に切り替わり、長距離送電の際の電力損失を抑えられる。

エジソンは、ACは感電死のリスクが高く、危険すぎると主張した。根拠のない主張ではなかったが、感電のリスクは適切な絶縁や規制によって抑えることができ、また経済性のメリットは無視できないものだった。大衆市場に電気を供給する手段として、現実味があったのはACだけだ。

DCという選択肢に固執するより、新たなAC技術を活用し、その安全性を高めるのが合理的対応だったはずだ。エジソンの部下であった技術者のニコラ・テスラも、そう説得している。しかしエジソンはテスラのアドバイスを聞き入れず、ACを研究しようとするテスラに資金を出すことも拒否した。
この結果、テスラは自らのアイデアをウエスチングハウスに売り込むことになった。

しかしエジソンは断固として敗北を認めず、ACに対する世論の批判を煽るため、激しいPRキャンペーンに打って出た。最初に行ったのは、野良犬や馬を感電死させるという、おぞましい公開実験だ。

またニューヨーク裁判所が、死刑執行手段として電気を使えないか検討していることを小耳に挟むと、裁判所に電気椅子の開発をアドバイスした。ACが死を連想させるように、と考えたのだ。かつて「死刑の完全廃止のための取り組みに心から賛同する」と宣言した人物とは思えないほど、衝撃的な変わり身である。

冷酷なビジネスマンらしい行動だと思うかもしれないが、この戦いはどこまでも不毛だった。1889年には、ある学術誌がこう指摘している。 「交流電流の開発という流れは、もはや誰にも、どの団体にも止めることはできない。(中略) 旧約聖書のヨシュアなら太陽に止まれと命じることもできるかもしれないが、エジソン氏はヨシュアではない」。1890年代にはエジソンも敗北を認めざるを得なくなり、別のプロジェクトに関心を向けるようになった。

科学史家のマーク・エシグは「問題はなぜエジソンの試みが失敗に終わったかではなく、なぜそんな試みが成功すると思ったか、である」と述べている。ただサンクコスト・バイアス、「認知の死角」、は 「動機づけられた推論」といった認知的過ちを理解すると、これほど優秀な知能がこれほど破滅的な行動を続ける理由が説明できるようになる。

82-3

ここまで、知能が高い人々が愚かな行動に走る主な原因を3つ見てきた。
第一に、人生で起こる問題に対処するのに不可欠な、創造的知能や実務的知能が欠けていること。
第二に、「合理性障害」があり、偏った直感的判断を下してしまうこと。
第三に、「動機づけられた推論」によって、自らの立場と矛盾する証拠を否定するために優れた知能を使ってしまうことだ。

…進化心理学者にとって私たちがこのように進化した理由は大いなる謎である。人間の本質にかかわる理論を構築する際には、人々のあいだでよく見られる行動というのは、種の存続にとって明らかにプラスなものであろう、と想定する。知的だが不合理というのが、生存にとって有利なことがあるだろうか。
それに対して説得力のある回答を提示するのが、フランス国立科学研究センターのユーゴ・メルシエと、ブダペストの中欧大学のダン・スペルベルだ。「人間にマイサイド・バイアスがあるのは今や自明となったので、それがどれほど奇妙なことなのか心理学者は忘れているようだ。しかし進化という観点から言えば、これはまさしく不適応である」人間の知能が発達してきた理由 (少なくとも理由の1つ)が、より複雑な社会を運営するという認知的要請に対処するためである、というのは通説となっている。考古学的記録からも、人間の祖先がより大きな集団で暮らすようになってから、頭蓋骨が大きくなりはじめたことは明らかだ。他の人々の心情を推し量り、誰は信頼できるのか、ずるいやつは誰か、機嫌をとるべき相手は誰かを覚えておくには知力が必要だ。ひとたび言語が進化しはじめると、集団のなかで支持を勝ち取り、周囲に自分の考えを認めさせるためには高度な話術が必要になった。支持を集め、自分の考えを通すために、必ずしも論理的な主張をする必要はなかった。説得力さえあればいいのだ。この微妙な違いこそ、不合理性と知能を併せ持つ人が多い原因かもしれない。「動機づけられた推論」とマイサイド・バイアスについて考えてみよう。人間の思考が主に真実の探求のためにあるのなら、どんな主張についても両面から慎重に考慮するはずだ。一方、他者に自分が正しいと認めさせることだけが目的ならば、自らの見解を支える証拠をできるだけたくさん集めることによって説得力を高めようとするだろう。逆に言うと、騙されないようにするには他の人々の主張は疑ってかかる必要がある。まさにカハンが示したように、自らの信念と一致しない証拠は徹底的に吟味し、異議を唱えなければならない。偏った推論は、知能が高まったことの不運な副産物などではない。それこそが知能が高度に発達した理由なのだ。

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第3章 専門家が判断ミスを犯す根本理由

最新の研究が示しているのは、経験を積めば現実世界での過ちを防げると思われている分野で、実は過ちの危険性が高いということだ。

あなたなら心臓手術を受けるとき、地球の裏側まで飛ぶとき、あるいは思いがけなく手にした大金を何かに投資しようとする時、担当する医師、パイロット、会計士には経験豊富で優れた経歴が在ってほしいと思うだろう。注目される裁判で指紋の適合性を独立した立場から判断してもらうなら、モーゼズのような人物がいい。しかし今日では、さまざまな社会的、心理的、神経学的理由から、専門家はここ一番というときに判断を誤る場合があることがわかっている。しかもその原因は、通常ならば専門家が抜群のパフォーマンスを発揮するのを助けるプロセスと、密接にかかわっている。

この分野の研究の先駆者であるユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの認知神経科学者、イティエル・ドロールは、こう説明する。「専門家を専門家たらしめている基盤、彼らが職務を効率的かつ迅速にこなすための基本的要素が、落とし穴となることもある。両者は表裏一体なのだ。専門家ほど、さまざまな危うさを抱えることになる」

もちろん専門家はほとんどの状況で正しい判断を下す。 しかし彼らが誤ったとき、それは破滅的結果を引き起こすことがある。見過ごされてきた「専門家が失敗する可能性」をしっかり自覚することは、こうした過ちを避けるのに不可欠だ。

これから見ていくとおり、FBIの捜査員の判断を曇らせ、メイフィールドの逮捕につながるいくつもの過ちを召いたのは、こうした弱点であった。

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具体的な研究成果を見ていく前に、確認しておくべき基本的前提がいくつかある。 専門家が誤る原因の1つは、自信過剰である。自分が失敗するはずがないと考え、無理をするのかもしれない。前章で見た、「認知の死角」と重なるところがある。

しかしごく最近まで、科学的研究の多くはその逆を示唆していた。自信過剰になるのは、能力の低い人だ、と。ミシガン大学のデビッド・ダニングと、ニューヨーク大学のジャスティン・クルーガーが行った有名な研究を見てみよう。2人の研究のきっかけとなったのは、1995年にピッツバーグで2つの銀行の強盗を試みた、マッカーサー・ウィーラーの不運なケースだ。 ウィーラーは白昼堂々、犯罪を犯し、数時間後には警察に逮捕された。逮捕されたウィーラーは、心底驚いたようだった。「果汁をかぶったのに!」と主張したという。どうやらレモン果汁(見えないインクの材料)で体をコーティングすれば、監視カメラに映らないと思い込んでいたようだ。

このエピソードからダニングとクルーガーは、無知と自信過剰は切り離せないものなのかという疑問を抱き、一連の実験を企画した。学生たちにまず文法と論理的推論のテストを実施し、それからどれくらいよくできたか、自己評価させたのだ。ほとんどの被験者が自らの能力を見誤っていたが、それが特に顕著だったのが最も成績の悪い層だった。自分がどれだけできないか、まるでわかっていなかった

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2010年のある実験では、数学者、歴史家、スポーツ選手に対し、それぞれの専門分野の重要な人物の名前を知っているか否かを尋ねた。たとえばヨハネス・デフルートやブノア・セロンは有名な数学者なのかという質問に対し、「イエス」「ノー」 「わからない」のいずれかを選ばなければならない。専門家なら専門分野について聞かれたら、当然正しい人物を答えられると思うだろう(たとえばヨハネス・デフルートは実在の数学者だ)。だが実際には、でっちあげられた人物(数学者の場合はブノア・セロン)についても「イエス(知っている)」と答える割合が高かった。自分の専門能力にかかわる質問については、「わからない」として無知を認めるより、リスクを取って知識の豊富さを「過度に主張すること」を選んだわけだ。

一方、イェール大学のマシュー・フィッシャーは2016年の研究で、大学院生に学部時代の専攻について尋ねた。それぞれの学問分野の中核的テーマについて知識を測るため、まず自分が専門分野の基本原則についてどれだけ理解していると思うか尋ねた。たとえば物理学を専攻した学生には、熱力学の法則の理解度を、生物学専攻の学生にはクエン酸回路の理解度を自己評価させた。

続いてフィッシャーは、被験者が予想もしていなかったサプライズ問題を与えた。知っていると答えた基本原則について、詳細な説明文を書いてほしい、と言ったのだ。多くの学生が「よく理解している」と主張した基本原則について、一貫性のある説明を書くのに苦労していた。重要なのは、こうした傾向が見られたのは、それぞれの学部時代の専攻についてだけだったことだ。専門分野以外の質問、あるいは一般的なありふれた問題について聞かれたときには、当初の自己評価はより現実に即したものになっていた。

1つ考えられる理由としては、被験者は大学卒業以来、どれほど多くを忘れてしまったかを自覚していなかったということだ(フィッシャーはこの現象を「メタ健忘」と呼ぶ)。「多くの人が、ピーク時の知識レベルを現在の理解度と混同する」と私に解説した。これは教育システムに重大な問題があることを示唆している。「皮肉な見方をすれば、この結果は大学が学生たちに定着するような知識を教えていないということになる。 実際にはわかっていないのに、わかっているという感覚だけを与えていることになる。それは非生産的に思える」

専門知識があるという錯覚は、視野を狭める可能性もある。シカゴのロヨラ大学のビクター・オッタティは、あらかじめ被験者に自分には知識があると思わせておくと、異なる意見を求めたり、耳を傾けたりする姿勢が薄れることを示した。オッタティは専門性に関する社会規範を考えると、こうした傾向にも納得がいく、と指摘する。専門家には自らの意見に固執するだけの信用に足る実績がある、と周囲は考える。オッタティはこれを「獲得されたドグマチズム」と呼ぶ。

もちろん、自らの見解を支える正当な根拠がある専門家も多いのだろう。しかしフィッシャーの研究が示すように、自らの知識を過大評価し、他人の意見を求めたり受け入れたりすることを頑なに拒否するようになると、自らの能力では対処できない事態に陥ることも少なくない。

政治家のなかに自らの意見に固執し、知識を更新したり妥協点を見いだすことができなくなる人がいるのは、このためだとオッタティは考え、こうした心理状況を「近視眼的な自信過剰」と呼ぶ。

「獲得されたドグマチズム」は、キャリー・マリスのような「ノーベル症」 科学者によるおかしな主張の原因かもしれない。 ノーベル賞を受賞したインド系アメリカ人の天体物理学者、スブラマニアン・チャンドラセカールは、周囲にはそのような傾向のある人が多い、と語る。「こういう人たちは、すばらしいひらめきがあり、重要な発見もした。だがそのうちに、目覚ましい成功を収めたのは自分独自の視点であり、自分の視点は正しいと思い込むようになる。しかし、そんなことは科学的にありえない。自然を支配する法則はどれほど強力な頭脳をも超越することを、自然は繰り返し証明してきた」

97-99

認知心理学のパイオニアと言われるオランダの心理学者、アドリアン・デフルートは優れたチェスプレイヤーの能力の理由について調査した。

その後の実験によって、チェスプレーヤーの直感的判断は驚くべき記憶力の産物であることが明らかになった。それは「チャンキング」と呼ばれるプロセスによって可能になる。 一流プレーヤーはゲーム個々の胸レベルで見るのではなく、チェス盤上をもう少し大きなユニット、あるいは「複合体」として見る。 単語が集まって文章になるように、こうした複合体が組み合わさってテンプレート、心理学用語で言うところの「スキーマ」を構成する。このスキーマの1つひとつが、それぞれ異なる状況や戦略を表す。 スキーマによってチェス盤は「意味のあるもの」になる。チェスのグランドマスターが同時に複数のゲームを、目隠しをしてでもできるのは、このためだと考えられている。 スキーマを使うことで、プレーヤーの脳の仕事量は大幅に減る。1つひとつの手をゼロから考えるのではなく、専門家は頭のなかに蓄えた膨大なスキーマのライブラリを検索し、目の前の盤面に最適な一手を導き出す。

デフルートは、時間の経過とともにスキーマは「プレーヤーに染み込んでいく」と指摘する。ぱっと盤を見ただけで、正解が自動的に頭に浮かんでくるという意味だ。これで専門家の直感というと私たちがイメージする、すばらしい才能のひらめきの理由がうまく説明できる。体に染み込んだ自動的な行動は、脳の作業記憶の容量も解放する。 専門家が困難な状況にも対処できるのはこのためかもしれない。

「そうでなければ、酒に酔っているときでも最高のゲームをやってのけるチェスプレーヤーがいる理由を説明できない」とデフルートはのちに書いている。

デフルートはこの発見によってアムステルダム大学から博士号を得て、高校や鉄道会社の退屈な仕事から解放されることになった。この研究にヒントを得て、その後多くの分野で数えきれないほどの研究が行われ、ボードゲームの『スクラブル』からポーカーのチャンピオン、さらにはセリーナ・ウィリアムズのようなトップクラスのスポーツ選手、 世界一流のコンピュータ・プログラマーの高速コーディングまで、多種多様な才能が解明されていった。

対象とする技能によって具体的なプロセスは異なるものの、いずれのケースでも専門家は膨大なスキーマのライブラリを活用し、最も重要な情報を引き出したり、共通のパターンやダイナミクスを認識したり、すでに学習したシナリオに基づいて自動的に対応したりしていた。

100-102

直感に頼るのは専門家にとり、ほとんどの状況ではきわめて効率的な対処法であるのは間違いない。
また、それが超人的才能の表れとして称賛されることも多い。
ただ残念ながら、それには大きな代償がつきまとう。
1つは柔軟性だ。専門家は既存の行動スキーマに頼りすぎるあまり、変化に対応するのが難しくなることもある。たとえばロンドン・タクシーのベテラン運転手の記憶力を調べたところ、20世紀末に急激に再開発が進んだ港湾地区、 カナリー・ワーフの変化に対応するのに苦労していた。新しいランドマークを取り込み、頭に刻まれた古いテンプレートを更新することがどうしてもできなかったのだ。同じようにボードゲームのチャンピオンは新しいルールを覚えるのに苦しみ、会計士は税法改正に適応できずに苦労する。こうした認知的固定化によって、専門家が自らの既存のスキーマを超えて課題に挑む新たな方法を探そうとしなくなると、クリエイティブな問題解決を阻むこともある。 そして慣れ親しんだやり方に固執するようになる。

2つめの代償は、細部への目配りかもしれない。専門家の脳が、生の情報を意味のある構成要素というチャンク (塊) にまとめていき、根底にある共通のパターンを認識することに注力していると、細かな要素を見失ってしまう。このような変化は、ベテランの放射線科医の脳をリアルタイムにスキャンしていくなかで明らかになった。放射線科医の脳のうち、高度なパターン認識やシンボルの意味理解にかかわるとされる側頭葉で活発な活動が見られる一方、細部を見ていく領域である視覚野の活動はそれほど活発ではない。これは無関係な情報を排除し、 注意散漫を防ぐ効果がある一方、問題にかかわるすべての要素を体系的に検討しなくなる。これは専門家の頭の中にある「あるべき姿」のイメージにうまく合致しない、重要な要素を見逃す原因となるおそれがある。

さらに重大な問題もある。専門家が入念な分析ではなく、大まかな事実認識に基づいて判断を下すようになると、感情や期待、フレーミングやアンカリングといった認知バイアスの影響を受けやすくなる。

結論として、訓練を積むなかで専門家のRQはむしろ低下する可能性がある。「専門家のマインドセット(それぞれの期待、希望、機嫌の良し悪しによって決まる)は、情報の見方に影響を与える。 専門知織のよりどころである脳のメカニズム(実際の認知アーキテクチャ)は、特にマインドセットの影響を受けやすい」とイティエル・ドロールは語る。

もちろん専門家が自らの直感に流されず、細部を意識した体系的分析に立ち戻ることは可能だ。しかし実際には、危険性にまったく気づいていないことが多い。第2章で見てきた「認知の死角」が存在するためだ。専門家のあいだでは無知や経験不足による失敗ではなく、このようなタイプの誤りが増え、結果として彼らの判断の正確性はある時点で頭打ちになる。誤りを免れない直感的な考え方が、自信過剰や「獲得されたドグマチズム」と結びついたときに生まれるのが、インテリジェンス・トラップの最後の類型であり、それはきわめて有害な影響をもたらす。

102-103

FBIのマドリード爆破事件への対応は、こうしたプロセスの最たる例だ。

指紋鑑定…〔において〕視線追跡システムを使った研究では、熟練した鑑定者はこのプロセスをほぼ自動的にこなしていくことがわかっている。…画像をチャンキングしながら、比較するのに最も役に立ちそうな特徴を見つけていくのだ。この結果、新人は1つひとつの特徴点を体系的に調べていくのに対し、熟練鑑定者は特徴点をぱっと見つける。つまりバイアスの影響を受けやすい、トップダウン型の判断になっているわけだ。

当然と言うべきか、ドロールが調査したところ、熟練鑑定者はこうした自動処理に起因するさまざまな認知的誤りを犯しがちであることがわかった。容疑者が自白したことを知らされていると、一致点を見つけやすくなった。殺害された被害者の凄惨な写真など、感情に訴える資料を見せられたときも、同じだった。そうした要素は客観的判断になんの影響も及ぼさないはずだが、鑑定者は指紋の一致を見つけやすくなった。おそらく犯罪者を見つけようという動機づけや意思が高まったためだろう。入手されたデータが曖昧で乱雑なときほどこれが問題となる、とドロールは指摘する。 マドリードの証拠はまさにそうしたケースだった。指紋はしわくちゃのショッピングバッグに付着しており、こすれていて、当初は判読も難しかった。

FBIはまず保管されている数百万個の指紋をコンピュータ分析にかけ、容疑者の候補を見つけようとした。メイフィールドの名前は20人の候補者の4番目に表示された。この段階では、FBIの分析官はメイフィールドについて、何の予備知識も持っていなかったようだ。 メイフィールドの指紋は、青年時代のちょっとした違反で採取されたものだった。だが何とか容疑者を見つけたかったのだろう。ひとたびメイフィールドに目をつけると、その判断が誤っていることを示唆する重大なサインがあったにもかかわらず、次第にそれに肩入れしていった。

105

しかもFBIが循環論法に陥ったのは、この部分だけではなかった。OIGの調査によって、FBIは捜査全体を通じて、自分たちの直感と矛盾する興味深い情報はことごとく切り捨て無視する一方、メイフィールドが犯人であることを示唆する情報についてはよく吟味せずに受け入れていたことが明らかになった。

107-108

ここから得られるのは心理学的教訓だけではない。社会的教訓もある。メイフィールドの事件は、専門家が過剰な自信を持ち、その能力を私たちが過信すると、彼らの偏見が強化され、最悪の結果を引き起こす可能性をはっきりと示している。そうでなければ、メイフィールドがアメリカ国外に出た証拠さえないなかで、FBI内部から法廷へと過ちの連鎖がこれほど急速にエスカレートするはずがない。

109

航空業界における専門知識の逆襲を示す事例は、これだけではない。実験的研究によって、FBIの科学捜査官と同じようにパイロットの専門知識も、その視覚に影響を及ぼすことが明らかになっている。このために、たとえば事前予想に影響されて、嵐のなかで雲の厚みを過小評価したりする。

インテリジェンス・トラップは、手順を「誰にでも」 安全に使えるものにするだけでなく、「専門家でも」安全に使えるものにしておく必要があることを示している。原子力産業は「経験による作業の無意識化」を考慮に入れている数少ない産業の1つだ。検査員が自動操縦モードで作業するのを防ぐため、安全性確認の手順を定期的に入れ替えている発電所もある。 航空をはじめ他の産業も、こうした発想を学んだほうがいい。

専門知識の逆襲、そして無知の強みを理解すると、混乱や不確実性をうまく乗り切れる組織と、風の変化に振り回されるところがある理由もわかるようになる。

金融機関の社外取締役には他の金融機関の出身者が就任することも多い。だが必要条件を備え、しかも利益相反のない専門家を見つけることが難しいため、他業界の出身者が就任することもある。彼らは銀行の複雑な取引にかかわるプロセスについて、専門知識を持っていないことになる。

かつて経済開発協力機構(OECD)をはじめとする機関から、社外取締役に金融に関する専門知識が欠如していたことが、2008年の世界金融危機の一因であった可能性がある、という指摘があがった。
しかし、その見立てが逆だったらどうだろう。無知はむしろ強みではないのか。それを確かめるために、ウィリアムソンは100行の危機前後のデータを調べた。2006年以前の経営成績はまさに、知識が豊富であるほど判断に役立つという仮説を裏づけるものだった。取締役会に専門家がそろっていると、金融業界の経験のある社外取締役が少ない(あるいはいない)場合より、経営成績がやや良かった。
前者は大きなリターンが見込めるリスクの高い戦略を承認する可能性が高かったためだ。

しかし金融市場がクラッシュすると、両者の明暗は逆転した。専門家の少ない銀行ほど、経営成績が良くなったのだ。「専門性の高い」 取締役は、自らの下したリスクの高い経営判断に固執し、それを撤回して戦略を修正しようとはしなかった。一方、専門知識の少ない社外取締役はそれほど頑なではなく、偏った意見も持っていなかったため、危機を受けて銀行の損失を抑えるのに貢献した。

これは必ずしも合理的とは思われていない) 金融業界の実例ではあるが、その教訓はどんな業界にも等しく当てはまる。状況が厳しくなったとき、そこから脱出する方法を一番よくわかっているのは、チームのなかで最も経験の乏しいメンバーかもしれない。

111

第2部 賢いあなたが気をつけるべきこと

第4章 優れた判断力、知的謙虚さ、心の広さ

バレリー・タイベリアス 「賢くありたければ、私たちにはバイアスがあること、さらにはそうしたバイアスを回避するためにどのような方針を持つべきかを理解することが重要である」

122-123

カナダのウォータールー大学の心理学者で、ウクライ生まれのイゴール・グロスマン

グロスマンが最初に取り組んだのは、優れた論理的思考力を測る試験を作成し、それが一般的知能、教育、職業上の専門知識とは関係なく、人生に影響を与えることを立証することだ。まず知恵の哲学的定義をいくつも分析し、思考の6原則を抽出した。「6つは『メタ認知の構成要素』と呼ぶべきものだ。知識や認知プロセスのさまざまな側面に相当し、与えられた状況をより深く詳細に理解するのに役立つ」と説明する。

6原則には本書で見てきた論理的思考の要素がいくつも含まれている。たとえば 「対立している状況で他者の視点も考える」。これは自分の当初の意見とは矛盾する情報を積極的に求め、受け入れる能力のことだ。「対立がどのように進展する可能性があるか理解する」は、発生しうるシナリオをいくつも想像することで、スタンバーグが創造的知能の評価基準として研究した反事実的思考を指す。

124

ただグロスマンの評価基準には、私たちがまだ検討していない思考の要素も含まれている。たとえば「変化の可能性に気づく」「妥協の可能性を探る」「問題解決の方法を予測する」といった能力だ。
そしてもう一つ重要なのが、グロスマンは知的謙虚さを評価基準に含めていることだ。自らの知識の限界と、判断の不確実性への認識である。要するに、自らの「認知の死角」をのぞきこむ能力だ。

125

研究チームが被験者の思考を採点した後、グロスマンはその結果を幸福度に関するさまざまな指標と比較した。 最初に発表されたのは、2013年に学術誌、ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・サイコロジーに掲載された結果で、賢明な思考ができると評価された被験者は、人生のほぼすべての面において成功していることがわかった。 人生への満足度は高く、鬱に苦しむ割合は低く、身近な人間関係も良好だった。

衝撃的なのは、調査の5年後生存率もわずかながら高かったことだ。賢明な思考によって、さまざまな活動の健康リスクをうまく評価できたから、あるいはストレスにうまく対処できたからかもしれない(ただグロスマンはこの点についてはさらなる調査が必要だと強調している)。

ここで非常に重要なのは、被験者の知能は賢明な思考力のスコアとほとんど関係がなく、また健康や幸福の指標とも関係がなかったことだ。「無知の知」というのは耳慣れた言葉ではあるが、知的謙虚さや他者の立場を理解する能力といった資質のほうが知能よりも幸福度を測るのに有効であるというのには、やはり驚かされる。

128-9

この発見は、知能、合理的判断、人生の成果に関する最近のさまざまな研究とも一致する。たとえばすでに見たとおり、ウェンディ・ブルーン・ドブルーンの研究でも、「判断力」の評価結果のほうがIQよりも、破産や離婚といった人生における困難な事態の発生を予測するのに有効であることが示されている。グロスマンは「知能と賢明な思考力との相関はごくわずかだ。知能で説明できる差異はせいぜい5%以下、決してそれ以上ではない」と語る。

驚くべきことに、グロスマンの研究結果はキース・スタノビッチの合理性の研究とも一致する。たとえばスタノビッチのサブテストの1つに「積極的なオープンマインド思考」と呼ばれる属性を測るものがある。これは知的謙虚さの概念と重なり、さらに自分とは異なる視点を考慮する能力とも関係する。

たとえばあなたは「意見は新たな情報や証拠が得られるたびに見直すべきだ」という文に、どの程度同意するだろうか。あるいは「とるべき行動を決める前に、できるだけ多くの証拠を集めたい」ならどうか。グロスマンの研究ではこうした問いへの回答は、合理性を予測するうえで一般的知能よりもはるかに有効であることがわかっている。公平な判断をする能力は、知恵の主要な構成要素であることを考えれば、腑に落ちる結果だ。

129

ある研究では参加者に、9日間にわたってオンライン日記を書いてもらった。そこにはそのとき直面していた問題や、それに対してどのような考えを持っているかを問う質問も含まれていた。一貫して他者より高いスコアを得る人がいたものの、その行動はそのときどきの状況に大きく左右されることがわかった。要するに、どれほど賢明な人でも、厳しい状況に置かれると愚かな行動をとる可能性がある、ということだ。

130

「自らの無知を率直に認めることは、問題を解決する最も簡単な方法であるだけでなく、情報を入手する最善の方法である。だからこそ私はそれを実践するのだ」。 フランクリンは1755年、科学の研究で不可解な結果が出たとき、こう書いている。「周囲に自分は何でも知っていると思わせ、何でも説明しようとする者は、そんなに傲慢でなければ周囲に教えてもらえたはずのさまざまなことを、ずっと知らないままでいる

131

「あなたにとってこれほど重要な問題に対して、私には前提となる知識が不十分なので、どのような決断をすべきか、お勧めすることはできない。ただ、お望みならばどのように決断すべきかはお伝えしよう」とフランクリンは答えている。自らの方法をある種の「精神的代数」と表現しており、紙を二分して、片側にメリット、反対側にデメリットを書くよう指南している。それから1つひとつの書き込みを吟味し、重要度に応じて数字を振っていく。あるメリットとデメリットが同じ重要度なら、両方をリストから削除する。「この方法によって、最終的に両者の差し引きのバランスがわかる。それから1日か2日さらに熟慮し、どちらの側にも特段重要な追加要素がなければ、それに従って決断を下す」
 個々の理由に恣意的に数字を割り振るのは、およそ科学的とは言えない、と認めつつ、「それぞれをこのように個別かつ相対的に検討し、全体を眺めれば、より良い判断を下すことができ、拙速な過ちを防げると考えている」。
 ここからわかるとおりフランクリンの方法は、私たちがノートに走り書きするメリットとデメリットの簡単なリストより、はるかに熟慮を要する複雑なものだ。 特に重要なのは、個々のアイテムの重要性を慎重に測ろうとすること、そして考えがまとまるまで判断を留保する注意深さである。人には一番簡単に頭に浮かんでくる理由に重きを置こうとする傾向があり、それをフランクリンはよくわかっていたようだ。別の手紙には、一番重要な理由が「留守」にしているすきに、「たまたま頭のなかにあった」事実だけをもとに判断を下す人もいる、と書いている。 この傾向は論理的思考を阻む重大なバイアスの原因であり、だからこそあらゆる論点を目の前に並べてみるまで判断を留保することがとても大切なのだ。

心理学者は「反対の立場を検討する」時間を確保すると、さまざまな思考の過ちを抑えられることを発見している。そこにはアンカリングや自信過剰のほか、もちろんマイサイド・バイアスも含まれている。… いずれの状況でも、目的は自分自身と活発に議論し、自分の当初の判断が誤っている可能性を検討することだ。

133-4

他人のジレンマについては賢明に考えられるものの、自分自身の問題については傲慢になったり妥協ができなくなるなど、明晰な思考ができない人が大勢いたのだ。これも「認知の死角」の一形態と言える。とりわけ脅威を感じたときには、狭量で頑なな…感情プロセスが引き起こされ、このような過ちが起こりやすくなる。
幸い、「自己との距離化」と呼ばれるプロセスを実践すると、ソロモンのパラドクスとうまく対処できるようになる。…最近あなたが猛烈に怒ったときのことを思い出してほしい。そこから「数歩下がる」。

138

受け入れがたい感情を処理するために、無意識のうちに自己距離化をする人は多い、とクロスは指摘する。その例に挙げるのが、バスケットボール選手のレブロン・ジェームズが、クリーブランド・キャバリアーズ ジェームズのキャリアはこのチームとともにあった)を去り、マイアミ・ヒートに移籍するという決断について語ったインタビューだ。「感情的に判断することだけは避けたかった。レブロン・ジェームズにとって最高の判断、レブロン・ジェームズが幸せになる道を選びたかった」。

140

このように自ら視点を変えるすべを身につけると、さまざまなメリットがある。たとえば不安や思い悩むことが減る。ある実験では、自らと距離を置くことで、現代社会の最大の恐怖の1つとされる、人前で話すことへの不安が抑えられることが明らかになった。自己距離化によって自分が壇上に上がってスピーチをするときの心理を分析した被験者は、没入的な一人称の立場をとった対照群と比べて、脅威を感じている心理的兆候が少なく、不安感も低いという結果が出た。スピーチを評価したオブザーバーの目にも効果は明らかで、実験群の被験者のほうが自信にあふれ、説得力のあるスピーチをした。

141

マイケル・ストーリー…は、政府が情報機関の能力向上のために出資した「優れた判断力プロジェクト」でその才能を見いだされた「超予測者」の1人である。優れた判断力プロジェクトを立ち上げたのは、政治科学者のフィリップ・テトロックだ。 それまでにも情報分析を生業とする人々にとって衝撃的な研究成果を発表してきた人物である。テレビニュースや新聞記事にはコメンテーターと呼ばれる人々が登場し、次の選挙で当選するのは誰か、テロ攻撃の危険が迫っているのか、訳知り顔で解説する。また密室では情報分析官が、政府には戦争開始について、 NGOには救出活動について、金融機関には新たな大型合併の可能性について、助言をしている。しかしテトロックの研究は、こうした専門家の予測の精度は当てずっぽうと変わらないか、それ以下であることを明らかにした。

その後の研究では、情報分析官の多くは拙速かつ直感的に判断をするため、フレーミングなどの認知バイアスの影響を受けやすいことが確認された。彼らの合理性テストのスコアは、学生よりも低かった。

超予測者たちは外部の視点を求める。目の前の状況の細部に拘泥するのではなく、幅広い資料に目を通し、(一見無関係だが)類似するケースを探す。たとえば「アラブの春」について調べようと思えば、中東の政治だけを見るのではなく、南米で起きた同じような革命がどのような展開をたどったかを調べる。

ただ最も興味深い発見は、こうした能力は訓練によって伸ばせるという事実だろう。…たとえば認知バイアスに気づくための1時間のオンライ講習は、次の1年間の予測の精度を100%近く改善する効果があった。

143

自分自身について語るとき…西洋人は自分の性格的特性や業績を述べるのに対し、東アジアではコミュニティにおける自らの立場を説明する。 西洋ほど個人主義的ではない、自らをとりまく世界に対する「全体論的」なとらえ方は、インドや中東、南米諸国にも見られる。さらに相互依存的な傾向の強い文化の人々のほうが、異なる視点を取り入れ、他の人々の視点を吸収するのが容易であることを示す研究結果が増えている。

150

この段落における著者の一連の記述は、あたかも集団主義的思考、同調性が優れた判断力につながるかのように読めるが、疑わしい。
こうした国々では、「謙虚」ではあるかもしれないが、群れに付いていく傾向があるだけで、その判断が必ずしも優れているとは限らない。
また、自己評価の低さは自信過剰と同じくらい危険があり、状況を察知しているにもかかわらず、自己の判断を無視して群れに従うことで自己を苦境へと追い詰める可能性もある。
もしかしたら、知性の高い人にみられる愚かな判断は、代償・トレードオフかもしれない。

第5章 なぜ外国語で考えると合理的判断が下せるか —内省的思考

直感はもちろん当てにならないし、そうした感覚を信じすぎることは合理性障害につながる。ただ感情や直感は貴重な情報源となり、きわめて複雑な判断を可能にしたり、意識的思考では抜け落ちていた細かな情報をすくいあげたりするのに役立つこともある。

問題は、一般的知能や教育水準が高く、職業的に成功している人を含めて、貴重なシグナルを正しく解釈し、とんでもない失敗につながるサインを認識するための十分な内省を怠る人が多いことだ。 研究によると、認知バイアスの原因は直感や感情そのものではなく、そうした感覚が本当は何を意味するかを見きわめようとせず、都合よく無視することだ。そのうえで直感や感情に基づく誤った判断を 知能や知識を使って正当化するのが問題なのだ。

155-6

株主総会では、経営陣や質疑内容よりも、自身がかれらの言動や態度について感じたことを書き留めるといいかもしれない。

「ビッグマウス」「自己株売についての質問でプライヴェートは別だなどと声を荒げる」「指定された役員が質問に応じず全て司会者=社長が答える、その内容は鼻を括ったもの」「背後の役員たちが一様に死んだような表情をしている」「最後に役員全員が起立して株主を見送る-礼儀という以上に違和感のある態度・何か株主に不利になる決定を事前に決めているのだはないか」

ダマシオのチームは「アイオワ・ギャンブリング・タスク」と称する見事な実験を考案した。 被験者の前に4組のカードを置く。 カードには1枚ずつ、少額の報酬が得られるか罰金が科されるかが書かれていて、被験者は任意の組からカードを引き、その指示に従う。4組のうち2組は、プレーヤーにやや不利な組み合わせになっている。報酬はやや多いが、罰金のほうがはるかに高額だ。しかし被験者には事前にそれを教えない。イチかバチか、やってみるしかない。
健康な被験者の多くは、不利な組み合わせになっている組があることを意識的に認識する前に、選択した組によって身体が特徴的な反応を見せる。たとえば不利な組を選択すると、ストレスの兆候が表れる。自らの身体感覚(「インテロセプション」と呼ばれる)に敏感な被験者ほど、どうすれば勝てるカードを選べるか、早く気づく。
 ダマシオの予想どおり、エリオットのような脳に損傷を受けた患者の多くは、特にアイオワギャンブリング・タスクの結果が悪かった。 他の被験者がとっくに正しい組を選択できるようになっても、繰り返し選択を誤りつづけた。その原因はエリオットらが選択する前に、特徴的な身体的変化が表れないためだ。他の被験者の場合、 どの組を選択するかによって信頼性のある直感的反応が返ってきて、それが大きな損失を防ぐ警告サインの役割を果たしていたが、エリオットらにはそれが欠けていた。
 ただ直感が働かないのは、脳損傷患者だけではない。健康な人のあいだでも、インテロセプションへの感度には個人差がある。これが直感的判断の優れている人と、そうでない人がいる原因かもしれない。
 これは自分で簡単に確かめることができる。椅子座って両手をだらりと垂らし、友達に脈を取ってもらおう。同時に手では触れずに) 自分の心臓を、頭のなかで心拍数を数えてみよう。 1分後、2人の数字を比較してみるのだ。結果はどうだっただろう。ほとんどの人は30%ほど数字がずれるが、ほぼ100%正確な人もときにはいる。この結果で、アイオワ・ギャンブリング・タスクのような直感的判断力を測るテストでどれだけうまくやれるかを占うことができる。スコアが高い人は、自然と最も有利な組に引き寄せられていく。
 この心拍を数えるテストのスコアから、現実世界における金銭的成功を占うこともできる。イギリスのヘッジファンドのトレーダーたちの利益や、彼らが金融市場でどれだけ長く生き延びることができたかを予測するのに有効であることを示した研究もある。大方の予想に反して、最も利益をあげたのは、最も「直感」の優れた、すなわち正確なインテロセプションを持ち合わせていたトレーダーだった。

160

レイ・クロックがマクドナルド買収やその後の施策に関して直感に従って動いて成功した例を「ソマティック・マーカー仮説」の例として持ち出しているが、同じように直感に従って失敗した経営者もいるかもしれない。成功例だけを挙げている可能性があり、したがってこの議論展開じたいがバイアスに左右されている可能性も考えられる。

ソマティック・マーカー仮説では、知能に問題がなくても日常生活で意思決定がうまくできないことが示されている。腹内側前頭前野の損傷により、情動喚起刺激に対する身体反応が障害されるため、情動的な身体反応の信号は意思決定において重要な役割を果たしていると考えられる。

他にココ・シャネルやクライスラーの開発責任者の例があげられているが、彼らの「直感」が極めて優れた判断の下にあるのだとしたら、それは他人が真似できないものではないか。優れたスポーツ選手の感覚をどれだけ言葉にしても、アスリートでない一般人がそれをどれだけ読んでも彼らの能力は身につかない。

ハフェンブラックはブルーン・ドブルーンのテストを使い、わずか15分のマインドフルネス瞑想を1回行うだけで、サンクコスト・バイアスを39%抑えられることを発見した。非常に一般的な認知バイアスを、これほど短時間の介入で大幅に減らせるというのは、驚きである。
マインドフルネスは客観的な視点から感情を分析できるようにするので、自尊心が脅かされたときに発生するマイサイド・バイアスを是正する効果もあることが示されている。つまり批判を受けたときに、それほど防御的にならず、自らの視点に頑なにこだわらず、相手の視点を積極的に考慮しようとする。

170

マインドフルネスはどうしても好きなれないという人にも、直感を研ぎ澄まし、感情のコントロールを改善する別の方法がある。 最近の研究によって、ミュージシャン (弦楽器の奏者や歌手など)やプロのダンサーはインテロセプションが優れていることが明らかになってきた。こうした分野でのトレーニングは、いずれも感覚的フィードバックに基づく的確な動きを要するもので、それが自然と身体感覚を研ぎ澄ますのに役立っているのではないか、と科学者は考えている。

感情の識別能力を磨くのに、積極的に瞑想を行う必要もない。ある研究では、被験者に不快な写真を何枚か見せた後に、自分の感情をできるだけ正確な言葉で述べてほしい、と求めた。たとえば子供が苦しんでいる写真を見せ、被験者に悲しみ、哀れみ、あるいは怒りを感じているのかを自問してもらい、さらにそれぞれの感情の具体的違いを述べてもらった。

わずか6回このプロセスを繰り返しただけで、被験者はさまざまな感情の違いにより敏感になった。そのおかげで、その後に実施した道徳的思考の課題では、プライミング (事前に刺激を与えられること)の影響を受けにくくなっていた(ついでながら、同じ方法で感情のコントロールを改善したところ、複数の被験者がクモ恐怖症を克服することができた)。

172

あなたが感情という判断材料を本気で磨きたいと思うなら、多くの研究者が勧める方法を試してみよう。毎日、その日思ったことや感じたこと、さらにはそれがあなたの判断にどのような影響を与えたかをノートに書き留めるのだ。書くというプロセスによって、より深い内省や感情識別が促され、自然と直感に磨きがかかるだけではない。うまくいったこと、いかなかったことを学習し、記憶することで、同じ間違いを再び繰り返さないようになる。

このような内省をするほどヒマではない、と思うかもしれない。 しかし研究では、ほんの数分を内省に費やすと、長期的には大きなリターンがあることが示されている。たとえばハーバード大学のフランチェスカ・ジーノの研究では、インドのバンガロールにあるITセンターの研修生に1日15分、ノートにその日学んだことを書き、日々の作業で直感的に思ったことを振り返ってもらった。11日後に変化を調べたところ、日誌をつけた研修生のパフォーマンスは、同じ時間をスキルの演習に費やした他の研修生を25%上回った。日々の通勤時間は、このような内省にうってつけだ。

174

感情の認知や内省的思考に関する研究が非常に興味深いのは、それが「専門知識の逆襲」を克服する手段になりうることを示しているためだ。 第3章で見たとおり、専門家は経験を積むほど、曖昧でざっくりとした情報に基づいて直感的に判断するようになる。それは迅速かつ効率的な意思決定に結びつくことも多いが、判断ミスを招くこともある。そう聞くと、効率を犠牲にするしかないのかと思えるが、最新の研究ではこうしたひらめきを活用しつつ、不要な誤りを減らす方法があることがわかってきた。

こうした研究が最も進んでいるのは医療分野で、それにはもっともな理由もある。現在、最初の診断の10~15%は誤っていると言われる。つまり多くの医師が診察する患者6人のうち最低1人は誤診するということだ。たいてい実害が出る前に誤りは正されることが多いが、アメリカの病院だけで患者の死因の10%近く(年間4万~8万人)は誤診によるものと見られている。

思考スタイルを変えるだけで、こうした命を救うことはできないか。それを調べるため、私はオランダのロッテルダムのエラスムス医療センターに、シルビア・マミードを訪ねた。 10年以上前にブラジルのセアラー州からロッテルダムへと移り住んだマミードは、…「鉛筆と紙を使うと、考えがよく整理できるようになるの」と説明した(たしかに心理学の研究では、話しながら鉛筆を動かすと記憶力が高まることが示されている)。

マミードは医師たちに自らと同じように、判断を下す際に内省的になることを教えたいと考えている。医師で著作家のアトゥール・ガワンデは、医療チェックリストが外科手術のあいだの記憶違いを防ぐのに非常に有効であることを示したが、マミードの提唱する方法も一見、シンプルだ。ひと呼吸おいて考え、自分の前提を問い直すのである。しかし「システム2」を活用しようとする初期の試みは、好ましい結果につながらなかった。さまざまな選択肢をすべて書き出すなど、直感の代わりに分析力を使うように指示された医師は、熟慮せず直感的に結論を導き出した医師よりもパフォーマンスが悪くなった。
ソマティック・マーカー仮説に照らし合わせると、この結果は当然と言える。 被験者に内省を求めるタイミングが早すぎれば、自らの経験を参考にすることができなくなり、 どうでもいい情報に振り回されたりする。感情という判断材料を使うことができないので、彼らはダマシオが研究した脳損傷患者のように「分析まひ(分析に時間をかけすぎて判断を下せない状態)」に陥るのだ。 システム1かシステム2のどちらか一方だけを使うことはできない。両方が必要なのだ。

こうした理由からマミードが提案するのは、医師が直感的反応をできるだけすばやくノートに書き留めるという方法だ。そのうえで直感的反応の根拠を分析したり、それを別の仮説と比較したりする。 案の定、このシンプルな方法を取り入れるだけで、医師は診断の正確性を最大40%高めることができた。
これほど簡単な方法にしては大きな成果である。また医師に最初の仮説を見直すよう求めるだけで(データを見直せ、新たなアイデアを考えろといった詳細な指示はしない)、正確性は100%向上した。 これもま追加的労力がほとんどかからない方法であるにもかかわらず、大きな改善と言える。

177-8

第6章 真実と嘘とフェイクニュース

人食いバナナの噂を最初にカナダに持ち込んだ者の1人が、オタワ大学医学部のアーレット・メンディシーノであったというのも、うなずける話だ。本来ならば、もっと懐疑的になってしかるべきだった。「自分の家族のこと、友人のことを思い浮かべ、善意でやったことです」と、騙されたことがわかったあとにCBCニュースで語っている。メンディシーノのメッセージはわずか数日でカナダ全土に広がった。

IQが高いと、自分の見解と矛盾する情報を無視し、元の見解にさらに肩入れするようになるインテリジェンス・トラップ…ではメンディシーノのような人物がそもそもなぜこれほど騙されやすいのかという説明にはならない。 ここには明らかに、従来の一般的知能には含まれていないが、嘘や噂に騙されないようにするのに不可欠な論理的思考力がかかわっている。
幸い、ある批判的思考のテクニックを使えば、騙されないようにすることはできる。だがそれを使いこなすには、まずデマやフェイクニュースのなかには意図的に熟慮を阻むようにできているものがあり、従来の対処方法ではまったく歯が立たない理由を知る必要がある。

187

「真実っぽさ(truthiness)」という言葉を最初に広めたのは、アメリカのコメディアン、スティーブン・コルベアだ。

この分野の研究を主導しているのが、ノバート・シュワルツとエリン・ニューマンだ。…たとえば一見客観的選択も天候の影響を受けていることなどを明らかにしてきた。真実っぽさに関する研究はこの概念を発展させたもので、私たちは新たな情報の真実味を直感的にどう判断するのかを調べている。

シュワルツとニューマンによると、真実っぽさは2つの感覚がもたらすという。「親密性(同じようなことを以前にも聞いてなじみがあるか)」と「流暢性(その情報がなめらかに処理しやすいか)」だ。重要なのは、ほとんどの人はこの2つのぼんやりとした感覚が、自らの判断に影響していることに気づいてさえいないことだ。それにもかかわらずこの2つの感覚によって、私たちは特定の主張の前提条件に疑問を持つこともなく、そこに論理的整合性が欠如していることにも気づかず、信じようとする。

簡単な例として、シュワルツがこのテーマの初期の研究で使った質問を見てみよう。

モーゼは方舟に、一つの種から何匹の動物を乗せたか?

正解はもちろんゼロである。モーゼは方舟など持っていなかった。 方舟で洪水を乗り切ったのはノアである。だがシュワルツが一流大学のきわめて優秀な学生を対象に実験をしたとき、この事実に気づいたのは被験者のわずか12%だった。

189-190

シュワルツの行った有名な実験では、先の文章がわかりやすい、読みやすいフォントで書かれていると、つまりなめらかに読めると、読みにくく処理しにくいフォントで書かれているときより、モーゼのワナに引っかかりやすいことが明らかになった。同じような理由から、私たちは理解しやすいアクセントで話す人を、なまりの強く理解しづらい人より信じる傾向がある。またインターネット・ショッピングでは、販売事業者の名前が発音しやすいと、そのランキングや他の利用者のレビューとは関係なく、信頼しやすくなる。文章がシンプルな韻を踏んでいると、脳はなじみのある音を処理しやすくなるため、「真実っぽさ」は高まる。

191

ときには無関係の写真を見せるだけで、文章が真実っぽくなる。2012年にニューマンが行ったある実験では、有名人に関する文を読ませた(たとえば「インディー歌手のニック・ケイブは亡くなった」な文を本人の写真と一緒に見せたところ、文だけを見せた被験者よりも文章の内容を正しいと信じる割合が高くなった。…

たとえば「マグネシウムは温度計に使われている液体金属である」「キリンは跳躍ができない唯一の哺乳類である」といった文を、温度計やキリンの写真と一緒に提示すると、被験者は肯定しやすくなった。 ここでも写真は追加的証拠にはならないものだったが、被験者が文の内容を受け入れる割合は大幅に高くなったのだ。

191-2

反復効果を使うと、規模は小さくても声は大きい少数派は、自分たちの意見が実際よりも支持されているかのような印象を世間に与えることができる。これは1960年代から70年代にかけて、タバコ業界のロビイストが頻繁に使った手法だ。 タバコ協会副会長だったフレッド・パンツァーは内部メモで、業界が科学者を雇って圧倒的な医学的根拠に繰り返し異を唱えさせることで「健康被害を否定はしないものの、それに対する疑念を醸成するという見事な戦略」に言及している。

同じ方策は他のさまざまな疑惑に関しても使われてきたと見て間違いない。 有名な気候変動否定論者(イギリス人のナイジェル・ローソンなど)がメディアに登場し、何の科学的根拠も示さずに、人間の活動と海水温上昇の関連に疑問を唱える様子を目にすることも多い。 反復によって、少数派が同じメッセージを繰り返しているだけにもかかわらず、そこに信頼性があるかのように思えてくる。同じように携帯電話が癌を引き起こす、ワクチンが自閉症の原因であるといった主張を最初に聞いたとき、たいていの人は強い疑問を感じたはずだ。しかしそのような見出しを見るたびに、この主張は次第に真実っぽくなっていき、疑念は薄れていったのではないか。

194

さらに問題なのは、こうした主張を否定しようとしても、うまくいかず、むしろ意に反して噂を広めてしまうケースが多いことだ。 シュワルツはある実験で、大学の学部生にCDCが作成した冊子を見せた。内容は、インフルエンザの予防接種を受けると具合が悪くなるといった、ワクチンに関する誤ったを否定するものだった。だが30分も経たないうちに、被験者は誤った通説の15%を事実として記憶し、受け取った情報に基づいてどう行動するか聞かれると、予防接種は受けないと答える割合が高くなっていた。

問題は、誤った情報を訂正するためのつまらない説明はすぐに忘れられる一方、誤った主張は頭に残りやすく、その結果なじみやすさが高まるのだ。たとえ否定するためであっても、ある主張を繰り返すことで、意に反してその信憑性を高めてしまう。 「警告のつもりがオススメに変わってしまう」とシュワルツは語った。
人食いバナナの噂を止めようとしたCDCは、まさにそんな憂き目に遭った。CDCの付けた見出し「バナナと壊死性筋膜炎に関する誤ったインターネット上の報告について」を見れば、それも当然と思える。 人食いウイルスや政府の隠蔽といった鮮やかな恐ろしい)イメージと比べると、かなりわかりづらく、専門用語で言う「認知の流暢性」に欠ける。

「動機づけられた推論」に関する研究からも明らかなように、私たちの世界観は、虚報への影響されやすさに大きくかかわっている。 すでに抱いている意見に合致するメッセージはより流暢に(なめらかに)処理でき、親密性(なじみやすさ)を感じられるからだ。

195

この知的惰性とも言うべき現象は、広告キャンペーンのメッセージについても観察される。たとえばマウスウォッシュ、リステリンのマーケティングだ。 リステリンの広告は何十年にもわたり、喉の痛みに効き、風邪を予防する効果があると消費者にアピールしてきた。しかし1970年代末の長期にわたる法廷闘争の結果、アメリカ連邦取引委員会は販売会社にこの作り話を訂正するコマーシャルを流すよう命じた。しかしそれまでの広告を撤回するための、1000万ドルを投じた1.6カ月にわたるキャンペーンにもかかわらず、その効果はごくわずかだった。

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「嘘を見抜く方法」は、いくつかの解決策を示している。まず虚報と闘う組織は、誤った認識をとりあげ、事実を説明するという「嘘攻撃型」 アプローチを捨てなければならない。たとえば国民保険サービス(NHS)のウェブサイトを見ると、10個の誤った通説がページの右上に太字で書かれている。ページの下のほうにも、再び太字で見出しとして列挙されている。最新の認知科学の研究は、このようなアプローチは虚報そのものを強調しすぎていることを示している。何度も見せることで、情報として事実よりもなめらかに処理されるようになり、反復によってなじみやすさも高まる。すでに見てきたとおり、この2つの感覚(認知の流暢性と親密性)は真実っぽさを高める。反ワクチン派ですら、これほど効果的に自らの主張をアピールすることはできないだろう。

誤った情報を否定するためには、ウェブページ上で事実のほうを目立たせるように配慮すべきだ、とクックらは主張する。可能であれば、通説を繰り返すのは一切やめたほうがいい。たとえばワクチンへの不安を打ち消したいのであれば、科学的に証明されたプラスの効果だけに照準を合わせればいい。それでも通説に触れる必要があるならば、少なくとも伝えようとしている真実より、虚偽の主張のほうが目立たないように工夫しよう。 「インフルエンザワクチンは安全で有効」という見出しのほうが、「『ワクチンがインフルエンザの原因となる」説の嘘」よりずっといい。

197-8

ゴードン・ペニークック:認知反射はモノの考え方そのものに影響を与えるのではないか、という仮説の研究

自らの直感を疑い、他の選択肢を検討できる人は、証拠を額面どおりには受け取らず、虚報に騙されにくいのではないか、とペニークックは考えた。想定どおり、このような分析的な思考スタイルを持つ人は、根拠のない考えや代替医療を支持しない傾向が見られた。その後の研究で、進化論を否定したり、9・11の陰謀論を信じたりする傾向も弱いことがわかった。

…つまり本当に重要なのは、単なる地頭の良さではない。それを使うかどうかだ。「認知能力と認知スタイルは分けて考える必要がある」とペニークックは語る。ありていに言えば「考える意欲がなければ、実質的には賢くないということだ」。思考や推論能力に関する他の評価基準でも見てきたように、自分が全体のなかでどれくらいのレベルにあるのか、まるでわかっていない人が多い。「実際には分析的(内省的思考力が低い人が、かなり得意なつもりでいる」

200-201

虚偽から身を守る第一歩は、正しい質問をする癖をつけることだ。

・この主張をしているのは誰か。どのような経歴か。私を説得しようとする動機は何か。
・この主張の前提はどのようなものか。そこに欠陥はないか。
・私がもともと持っていた前提はどのようなものか。そこに欠陥はないか。
・この主張に対し、別の見方はできないか。
・主張の根拠は何か。
・別の見方と比べると、どうか。
・判断を下す前に、どんな追加情報が必要か。

真実っぽさに関する研究からは、主張の提示方法にも注意する必要があることがわかる。その提示の仕方は、主張に追加的根拠を付与するものか。それとも証拠のような幻想を与えるだけか。同じ人が繰り返し同じ主張をしているだけか、それとも本当に複数の人が同じ意見に収束したのか。エピソードは有益な情報を伝えているか。それはハードデータに裏づけられているのか。それともストーリーのなめらかさを高めているだけなのか。アクセントが自分と似ていて、理解しやすいというだけの理由で、その人物を信頼していないか。

208

自信過剰バイアスは、自分にはすでに免疫があると思っている人こそ、実は最もリスクが高いことを示している。

209




第3部 実りある学習法――「根拠に基づく知恵」が記憶の質を高める


第7章 なぜ賢い人は学ぶのが下手なのか――硬直マインドセット

リチャード・ファインマン

「人生の本当の喜びとは、あらゆる可能性をどこまで広げていけるのか、挑戦しつづけることにある」

225

チャールズ・ダーウィン

「どの教師も父親も、私のことをありふれた少年で、むしろ知性は標準より低いほうだと思っていたようだ。(中略)学生時代の自分の性質を振り返ってみると、唯一の長所は、興味の幅が広く、また強かったことだ。興味を持ったものには何でも夢中になり、複雑な対象や事柄を理解することに強い喜びを感じていた。」

226

児童心理学で明らかになったように、この「もっと知りたいという欲求」は幼い子供にとって基本的な生物的欲求、いわば空腹感に近い。このような科学的伝統があったにもかかわらず、心理学者はごく最近まで好奇心が私たちのその後の人生においてどのような影響を持ちうるのか、また好奇心に個人差があるのはなぜか、体系的に研究することを怠ってきた。好奇心がこの世界において知的活動の第一歩を踏み出すのに欠かせないものであることはわかっていたが、そこまでだった。

その一因は実務上の難しさにある。 一般的知能と異なり、好奇心についてはこれといった標準的な検査方法が確立されておらず、心理学者はいささか信頼性に欠ける指標に頼ってきた。たとえば子供が質問をする頻度を観察する、あるいはどれだけ熱心に環境を探索するかを観察する、といったことだ。 玩具にいろいろな仕掛けや謎を仕込んでおき、子供が遊んだ時間を測るといった方法もある。一方、大人から青年期、 さらにはその後の人生を通じて、私たちの成長にとって好奇心が一般的知能に匹敵する重要性を持つことが明らかになった。

好奇心に関する研究の多くは、それが記憶や学習において果たす役割についても調べている。その結果、好奇心は被験者が記憶する資料の量、理解の深さ、記憶の保持期間の長さに影響することがわかった。これは単にモチベーションの問題ではない。モチベーションが高いことによる努力の多さや情熱を差し引いても、好奇心が強い人ほど事実を容易に記憶できるようだ。

今では脳スキャンによってその理由が明らかになった。好奇心は「ドーパミン作動系」と呼ばれる脳領域のネットワークを活性化するのだ。神経伝達物質のドーパミンは通常、食べ物やドラッグ、セックスへの欲望に関係しているとされる。つまり神経レベルでは、好奇心は空腹や性欲と変わらないのだ。

ただドーパミンはそれに加えて、海馬での長期的な記憶保持も強化すると見られる。これで好奇心が強い人は学習意欲が高いだけでなく、特定の問題の学習に費やす時間が長いことを割り引いても記憶力も高い理由の説明がつく。

最も興味深い発見は、「スピルオーバー(漏出) 効果」だ。 被験者が本当に興味のあるものによって好奇心が刺激され、ドーパミンが分泌されると、関係ない情報でも記憶するのが容易になったのだ。脳があらゆることを学習する態勢に入るのだ。

重要なのは、身のまわりの世界にずっと高い関心を持ちつづける人がいることが、研究によって明らかになったことだ。しかもこの好奇心の個人差と一般的知能の相関はわずかだ。 つまり2人の人物のQが同じでも、その好奇心によってその後の成長に劇的な違いが生じる可能性があり、成功しようという意思よりも、対象に心から興味を持つことのほうが重要なのだ。

こうした理由から、心理学者のあいだでは一般的知能、好奇心、誠実さを学業的成功の「三本柱」と見なす動きが出てきた。3つのうちいずれが欠けても、うまくいかない。

好奇心の恩恵があるのは、教育だけにとどまらない。仕事においても第1章で触れた 「暗黙知」を学ぶのに、好奇心は不可欠だ。また厳しい状況でも意欲を保つのを助け、ストレスや燃え尽きから守ってくれる。さらに好奇心があると他の人々が目を向けようともしない問題を考えたり、「こうだったらどうか」という反事実的思考が促されたりするので、創造的知能も高まる。

周囲の人々のニーズに心から関心を持つことで、ソーシャルスキルは高まり、最適な落としどころも見つけやすくなる。 その結果、感情的知能は高まる。 このように好奇心のおかげで相手が言葉にしない動機に目を向けるようになると、ビジネスの交渉でも良い成果につながりやすいようだ。

それは豊かで充実した人生につながる。800人近い被験者に個人的目標を尋ね、その結果を6カ月にわたって追跡するという調査を2回繰り返した画期的な研究がある。そこでは自己申告式の調査票を使って、自己コントロールや積極性など10個の属性について尋ねたが、個人的目標を達成する能力を占うのに最も有効なのは好奇心だった。

不可解なのは、なぜ子供のような好奇心を保てる人がこれほど少ないのか、だ。ほとんどの人は幼児期を過ぎると、好奇心が急激に衰えることが多くの研究で示されている。誰もが生まれつき学習への意欲を持っているならば、そしてその属性が大人になってもこれほど多くのメリットをもたらすのであれば、何が原因で多くの人は年齢を重ねるとともにそれを失ってしまうのか、それを止める手立てはないのか。

マサチューセッツ州のウィリアムズ・カレッジのスーザン・エンゲルは、ここ20年あまり、この疑問と向き合ってきた。その研究結果は衝撃的である。 エンゲルは著書 『The Hungry Mind (好奇心)』(未邦訳)のなかで、幼稚園児を対象にした興味深い実験を挙げている。子供たちは一方向しか見えない窓を通じて、別室にいる親の様子を見る。 親の目の前のテーブルにはある物体が置かれており、親は他の大人と会話をしながらそれに触れるか、視線を向けるか、あるいは完全に無視するかを指示されている。

その後子供たちに同じ物体を見せると、親が触れていた子供のほうが実際に触れて調べる傾向が見られ親のほんのわずかな行動が、 子供に好奇心を持って調べるのは好ましいことなのか否かを伝え、その好奇心を高めたり抑えたりする。時間が経つなかで、こうした姿勢は子供たちの脳に刻みこまれていく。「好奇心は伝播する。 親が自らの人生で好奇心を経験していなければ、子供の好奇心を育むことはとても難しい」とエンゲルは語る。

発達心理学の研究を始めたときも、このときの気持ちは忘れていなかった。そこで10歳から11歳の子供を集め、難しい論理パズルを解かせてみた。パズルに成功するかどうかは、必ずしも知能と関係していなかった。最も優秀な子供のなかにも、すぐにいらだち、投げ出してしまう子もいれば、粘り強く取り組んだ子もいた。

その違いは、どうやら自分の才能に対する考え方にあるようだった。しなやかマインドセットの子供は、練習すればうまくできるようになると信じていたのに対し、「硬直マインドセット (fixed mindset)」の子供は才能は生まれつき決まっており、変えられないと思っていた。その結果、難しい問題を与えると、今できなければ、この先もできることはないだろうと考え、投げ出してしまった。「失敗をこの世の終わりだと思う人もいれば、新たなチャンスだと胸を躍らせる人もいる」

ドゥエックは学校や大学、企業での幅広い実験を通じて、優秀な人が硬直マインドセットを持つ原因となる、さまざまな考え方を発見してきた。たとえばあなたは、次のような考えを抱いていないだろうか。

・目の前の仕事をうまくできるかどうかで、自分の価値が決まる。
・新しい、なじみのない仕事を学ぶことは、恥をかくリスクを伴う。
・ 努力するのは無能な人間だけである。
・自分は優秀なので、懸命に努力する必要はない。

ここに挙げた文にだいたい同意するという人は、硬直マインドセットを持っているのかもしれない。そのためにコンフォートゾーン(安全地帯)から一歩踏み出し、新しい挑戦をすることを意識的に避け、将来の成功するチャンスの芽を摘んでしまうおそれがある。

227-229

マインドセットは挑戦や失敗への考え方に影響を及ぼすだけではなく、実際に失敗したとき、そこから学ぶ能力にも影響を与えるようだ。この差異は脳の電気的活動に表れるため、頭に電極を取り付けることで測定できる。 硬直マインドセットの人は否定的フィードバックを与えられると、前頭葉に強い反応が見られる。これは社会的および感情的処理に重要な領域として知られており、神経活動からは自尊心が傷ついたことがうかがえる。ただ強い感情的反応を示す反面、情報の深い概念的処理にかかわるとされる側頭葉の反応はあまり見られない。おそらく傷ついた感情ばかりに意識が向かい、相手に具体的に何を言われたのか、それによって次はどのようにパフォーマンスを改善できるかという情報に集中していないのだ。その結果、硬直マインドセットの人は同じ誤りを何度も繰り返し、才能は開花せずにしぼんでいくリスクがある。

236-7

それぞれの分野でトップレベルにいる人でも、硬直マインドセットにとらわれているケースはある。

たとえばテニスの世界チャンピオンだったマルチナ・ナブラチロワ。…

「若い選手たちのことを、私はひどく恐れていた。彼らとの試合では、絶対に100%の力を出さなかった。全力で戦って負けるのが怖かった」

ナブラチロワは自分の問題に気づいてこのような姿勢を改め、その後ウィンブルドンと全米オープンで優勝している。しかし一生、困難を避けつづける人もいるだろう。「それによって人生の幅は狭まってしまう」とドゥエックは語る。 「安全策に逃げるという経験を積み重ねていくと、いつまで経っても自分の可能性をまったく広げることができない」

237-8

もちろん子供が何かを成し遂げたときに、誇らしさを見せないようにする必要はない。子供が失敗したときに、批判するのを避けるべきでもない。どちらの場合も、親や教師は結果そのものではなく、目標に到達するまでの過程に注目すべきだと研究者はアドバイスする。ドゥエックはこう説明する。「大切なのは子供の今の達成状況を率直に語り、そのうえでより賢くなれるように、一緒に行動することだ」

下着ブランド「スパンクス」創業者のサラ・ブレイクリーは、まさにそれを経験した人物だ。子供時代には学校を終えると、毎晩父にこう聞かれたという。「今日はどんな失敗をしたんだい?」。それだけを聞くとひどい発言のようだが、ブレイクリーには父の真意がわかっていた。 何も失敗しなかったというのは、コンフォートゾーンから踏み出さなかったということであり、結果として自分の可能性を活かしていないことを意味する。

「父が私に与えてくれたのは、失敗とは結果ではなく、挑戦しないことだという意識だ。おかげで私は自由にさまざまなことに挑戦し、人生において翼を広げることができた」とCNBCに語っている。

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幼い頃から、ファインマンは身の回りの世界を理解したいという驚くべき情熱であふれていた。これは父親から学んだ特性だ。 「山、森、海と、どこへ出かけても、いつも新たな驚きを与えてくれた」

このあふれんばかりの好奇心さえあれば、学習への意欲は十分だった。学生時代には答えを見つける喜びのために、一晩中問題に取り組むことも珍しくなかった。科学者となってからも、好奇心は仕事上の焦りやいらだちをやり過ごすのに役立った。

たとえばコーネル大学の教授となった当初は、同僚の期待に応えることなどできないのではないかという不安を抱いた。燃え尽きに悩まされ、物理学について考えるだけで「吐き気」がするほどになった。そんなとき、かつて自分にとって物理学はおもちゃのような「遊び道具」だったことを思い出した。そのときから誰がなんと言おうと、自分が本当に興味を持てる問題だけと向き合うことを決意した。

ほとんどの人が興味を失ってしまう時期に、ファインマンはもう一度自らの好奇心に火をつけたのだ。こうして複雑な概念と「遊びつづける」意欲を持ったことが、やがて偉大な発見につながった。あるときコーネル大学のカフェテリアで、男性が皿を宙に投げ、キャッチしているのを目にした。ファインマンは皿の動きに疑問を持った。その揺れ方、回転速度との関係である。皿の動きを数式に置き換えようとするなかで、電子の軌道との驚くべき類似点に気づいた。これがやがて大きな影響力を持つことになる量子電磁力学の理論に発展し、ノーベル賞獲得につながった。「私にノーベル賞をもたらしたさまざまな図やアイデアは、すべて皿の揺れ方についてぼんやり考えるところから生まれたんだ」

さらにこう付け加えている。 「想像力は、理解のさらなる高みを求めて、繰り返し手を伸ばす。するとある日突然、美しく荘厳な自然のパターンが新たに姿を現す場面にたった1人で立ち会うことになる。それが私の喜びだった」

その間ファインマンを支えたのはしなやかマインドセットであり、それによって失敗や落胆を乗り越えてきた。そんな思いを、ノーベル賞受賞スピーチで語っている。「科学の学術誌に載せる論文は、研究を完全なもののように書く傾向があります。やることはすべてやったと誇示し、研究が行き詰まったことや、当初は誤った考えを抱いていたこと 「触れない」。だがこのスピーチでは、自分が直面した困難について触れたい、と言った。「うまくいったことと同じくらい労力を傾けたのに、うまくいかなかった事柄についても語りたい」

自分の当初の理論には致命的欠陥があったことにまったく気づかず、それは物理学的にも数学的にも成り立たないものであったと説明したうえで、メンターにその欠陥を指摘されたときの落胆を驚くほど率直に語った。「その瞬間、自分はなんてバカな男なんだと思った」。またこうした問題点を解決したのも、たった1つの天才的ひらめきではなかった。ひらめきとひらめきの間には、長い「苦闘」の時間があった(スピーチのあいだに「苦闘」という言葉を6回使っている)。

同じ物理学者のマーク・カッツはファインマンを「最高レベルの魔術師」「理解不能な天才」と評したが、ファインマン自身は自らに対する見方を変えていなかった。他の多くの成功者とは異なり、「今、自分が目にしているとんでもない可能性は、まだ誰も見たことがないものかもしれない」というワクワク感を得るためだけに、血と汗と涙、そしてときには退屈な骨折り作業を重ねてきたことを率直に認めた。

241-242

好奇心としなやかマインドセットを併せ持っていたファインマンは、自らの限界を認めることを、まったく恥とは思っていなかった。そして他者にも知的謙虚さの大切さを説いた。「私は疑問、不確かさ、無知を受け入れる。何も知らずに生きるほうが、誤った答えを信じて生きるよりずっとおもしろい」と、1981年のBBCとのインタビューで語っている。「さまざまな事柄について、私なりにおおよその答え、こうかもしれないという考え、それぞれに応じた確信の度合いはあるが、何事についても絶対的な確信は持っていない」

246

「勝ち組の優秀な人はめったに失敗しないので、失敗から学ぶ方法を知る機会がない。そのために『基本的な帰属の誤り」を犯してしまう。何かがうまくいけば自分が天才だから、うまくいかなければ誰かがバカだからとか、自分に必要なリソースが与えられなかったからとか、市場が変化したから、となる。私たちの見るかぎり、グーグルで最も成功している人たち、そして私たちが採用したい人たちは、強い意見を持っている。とことん議論し、自分の立場を情熱的に主張する。でも「これが新たな事実だ」と提示すると、彼らは「ああ、なるほど、それなら話は違う。あなたが正しいよ』となるんだ」

248

第8章 努力に勝る天才なし――賢明な思考力を育む方法

252-
日本と東アジアの小児教育に対する評価が甘く、オリエンタリズム、ないしは隣の芝生的な偏見に裏打ちされた思い込みが垣間見える。
著者の言うことが本当なら、日本や東アジアの生え抜き研究者からノーベル賞級の学者がもっと排出してもおかしくないのではないか。著者自身がじぶんの考えに対する内省の姿勢が不足しているのではないか。

郵便公社は郵便番号で手紙を仕分けする機械に多額の投資をしたところで、それを使いこなすためには1万人の職員にタイピングとキーボードの使い方えさせる必要があった。最も効率的な研修スケジュールはどのようなものか、明らかにするのがバッテリーの任務だった。

当時心理学者のあいだでは、集中的トレーニングのほうが効果的である、という見方が大勢を占めていた。職員に1日あたり数時間の技能訓練を実施すべきだ、と。職員自身もこのやり方を好んだ。 数時間のあいだに、自分の進歩を実感できたからだ。研修が終わる頃には、始めた頃よりずっとスムーズにタイピングできるようになった気がして、それは長期記憶にも刻まれたはずだ、と思われていた。

ただバッテリーは比較のために、いくつかのグループには、1日あたり4時間ではなく1時間だけといった具合に、短い時間の研修を長期間にわたって受けさせた。こちらの方法は職員には受けが悪かった。毎回研修が終わる時点でも、習熟したという実感がなく、より長い時間研修を受けた者たちのように速く進歩している気がしなかった。

だがその認識は誤っていた。1回あたりの研修で上達した実感を得ていた職員と比べて、毎回の研修の満足度は低かったが、投じた時間あたりの学習量と記憶量ははるかに多かったのだ。平均すると、「分散」アプローチの職員はタイピングの基本を3時間以内にマスターしたのに対し、集中的アプローチの職員は3時間かかっていた。実に30%の差である。個人別に見ると、1日1時間のグループで一番上達の職員でさえ、1日4時間のグループの一番上達の速い職員よりも短い時間で技能を習得していた。数カ月後のフォローアップ調査では、分散的学習者のほうが集中的学習者より依然としてタイピングは速く、正確だった。

今日、分散効果は心理学者や教師のあいだで広く知られており、休憩をとることのメリットや詰め込みのリスクを示していると見られている。しかしその真の原因はもっと直感に反するものだ。実は、職員たちを悩ませたフラストレーション(イライラ感) そのものが重要だったのだ。

学習を小さな塊に分割することで、学んだことを忘れてしまう時間ができる。つまり次に学習を開始したとき、何をすべきか頑張って思い出さなければならなくなる。 この一度忘れ、再び覚え直すというプロセスが記憶痕跡を強め、長期的により多くを覚えていられるようになる。1回あたりの学習時間を長くすると、この一旦忘れて学習し直すという、重要なステップがなくなってしまう。このプロセスはつらいからこそ、長期記憶が促されるのだ。

このようにバッデリーの研究は、記憶は「望ましい困難」によって促されることを示す、初期の成果と言える。望ましい困難とは、その時点では学習成果にマイナスに思えるが、実際には長期記憶を促す効果のある学習上のハードルを指す。

256

この研究にやる気を刺激されたという人には、好奇心を高める一番シンプルな方法の1つを紹介しよう。それは何かを学ぶとき、意識して自律的になることだ。

さまざまな概念を凝縮し、見栄えのする図や箇条書きなども含めて、できるだけまとまりのある、わかりやすいかたちで提示することは、かえって長期記憶を妨げる。生徒の多く、特に優秀な生徒は、専門的表現や微妙な言い回しを多用し、潜在的問題や矛盾する証拠を示す複雑な資料を読ませたほうが学習成果があがる。たとえばオリバー・サックスの難解な散文を読んだ人のほうが、箇条書きで内容を説明したわかりやすい教科書で学習した人より、そこに描写される視覚的イメージをよく覚えていた。

259-260

科学的な結論はすでに議論の余地のないものとなっている。すでに確固たる科学的証拠がそろっている。学習の分散化、インターリービング、 生産的失敗といった望ましい困難を授業に取り入れることで、すべての生徒がより効果的に学習できるようになる、と。

残念ながら、このような知見はなかなか浸透しない。バッテリーの研究した郵便職員がそうであったように、生徒、保護者、教師までもが誤った認識に基づいて、今日何かを楽に学べることが明日の成果につながると思い込んでいる。「誰もが間違った学習方法のほうを好むことが、実験で示されている。

だから正しい方法を取り入れても、すぐに生徒の満足度は上がらない」とロバートは話す。エリザベスも同意見だ。「わからないということは否定的にとらえられがちだ。実際にはそれは何かを学び、深く理解するチャンスなのだが」

260

日本の教育に対する見方が非現実的に好意的で甘い。という事は、他の紹介事例に関しても眉に唾をつけて読む必要がある。(262-3)
それほど日本の数学教育が優れているのなら、フィールズ賞含め日本の数学の学術的レベルや応用分野での成果がきちんと比例しているのか検討すべきである。(おそらくしていないのではないか)
また、この日本の教育の過大評価の記述から浮かび上がるのは、著者がデータではなく都合の良い個別エピソードの抜粋に基づいて議論を展開している点である。これは本書の随所に見られるので、著者の主張が本当にデータ的な裏付けのあるものなのか、都合の良いエピソードに過度に拠っていないか、警戒しておいた方がいい。

ダーウィン、ベンジャミン・フランクリン、リチャード・ファインマンといった著者が好んで引き合いに出す人物の例も、果たしてそれが他者にとって習得の「モデル」となり得るものなのか、懐疑的に見ておいた方が良さそうだ。

別の実験では、生徒たちにある数学の問題を解く方を教えた。そのときわずかに言葉遣いを変えてみた。「これはこの問題を解く方法の1つです」と言われたグループは、「これがこの問題を解く方法です」と言われたグループよりも、正解率が50%近く高かった。さらに土台となる概念の理解も深まり、それが当てはまるときと当てはまらないときを識別する能力も高かった。同じことが人文科学や社会科学についても言える。 地理学の授業で「これが都市近郊の発展の原因かもしれません」と言われた生徒は、資料を疑いようのない絶対的事実として提示された生徒よりも、その後のテストでの理解度が高かった。

さりげなく曖昧な表現をすることは、生徒の混乱を招くどころか、他の解釈を考え、見過ごしていたかもしれない可能性を探究するきっかけとなっていた。結果として生徒たちは、第4章で見たような内省的思考や積極的オープンマインド思考を実践していた。条件付きの言葉で質問を投げかけることも、創造的思考を要する問題の正答率を改善する効果があった。

270

研究 は、知能が高い人を含めたほとんどの人が、成果の上がりにくい学習方法を実践していることがわかっている。望ましい困難を戦略的に使うことは、記憶の質を高めるとともに、脳を鍛えてどんなときでも混乱や不確実性に対処できる力を身につけるのに役立つ。

たとえば次のような方法を実践してみよう。

・勉強時間を分散する。数日間、数週間にわたって比較的短時間の学習を繰り返す。バッテリーの郵便職員に対する実験で明らかになったように、集中的に勉強するより当初の進歩は遅く感じられるかもしれない。しかし毎回学んだ内容を、時間を空けて思い出すよう努力することで、記憶痕跡と長期記憶を強化できる。

・なめらかな資料には注意する。すでに述べたとおり、一見わかりやすい教科書を使っていると、よくわかった気になるが、実際には長期記憶が低下する。だからたとえ当初はわかりにくいと感じられても、深い思考を必要とする複雑な資料を使うようにしよう。

・自分に事前テストを与えてみよう。新しいテーマを研究するときには、まず自分がすでに知っていることをできるかぎり絞り出してみよう。その最初の理解がとことん間違っていたとしても、その後の学習によって誤りは是正され、深い学習と優れた記憶につながることが実験によって示されている。

・環境に変化をつけよう。長期間にわたってずっと同じ場所で勉強していると、その環境のなかの手がかりが学習内容と関連づけされ、知らず知らずのうちに知識を思い出すヒントとなる。意識して勉強の場所を変えることで、そうしたヒントに頼ることができなくなる。 それは望ましい困難となり、一時的にパフォーマンスは落ちるかもしれないが、長期記憶は促進される。
ある実験では勉強中に部屋を変えるだけで、記憶量が2%増えることが明らかになった。

・教えることを通じて学習する。勉強が終わったら、メモを見ずにその内容を誰かに説明するところを想像してみよう。 学習したばかりの内容を誰かに教えると、学習効果が最大化されることを示す結果はたくさんある。それは説明するという行為が、情報の深い理解を促すためだ。

・自分自身を頻繁にテストする。いわゆる「想起練習」 は、記憶を促す最高の手段だ。ただテストのときは、すぐに諦めて答えを確認しないようにする。答えが頭に浮かばないと、すぐに調べたくなるものだが、本気で思い出そうと努力する時間を自分に与える必要がある。 そうしなければ長期記憶を改善するために記憶を鍛えていることにならない。

・混ぜる。自分自身をテストするときには、一つのテーマに集中するのではなく、さまざまな分野の問題を組み合わせるようにしよう。 テーマを変えることで、記憶には一見無関係な事実を思い出すための負荷がかかる。さらにそれは、学習していることの背後にある共通のパターンを見抜く力をつけることにつながる。

・コンフォートゾーンの外に出て、現在の習熟度では難しいと感じられる問題に取り組んでみよう。そして一つの問いに対して一つの答えを見つけるだけではなく、複数の解き方を考えてみよう。どの解き方も完璧ではなかったとしても、その生産的失敗は概念的理解を深めるはずだ。

・ 間違えたときには、混乱した原因を説明してみよう。 誤解はどこから生じたのか、間違いの原因は何か。これは同じ間違いを繰り返すのを防ぐだけではなく、そのテーマに関する記憶そのものを強める。

・先読みバイアスに注意しよう。 ロバート・ビョーク、エリザベス・ビョーク夫妻が示したように、私たちは現在のパフォーマンスに基づいて学習のレベルを判断するのが苦手なことがわかっている。事実の記憶に自信があるほど、その後それを覚えている確率は低い。これもなめらかさに起因する問題だ。すんなり頭に入った情報については自信があるが、そうしたなめらかな事実は深く処理していないことが多い。だからよくわかっていないと思う事柄だけでなく、よくわかっていると思う事柄についても頻繁に自分をテストしよう。

272-4

第4部 知性ある組織の作り方

第9章 天才ばかりのチームは生産性が下がる

集団的思考を最も損なうのは、チームメンバーが互いに競争関係にあるときだ。先述の金融機関やその企業文化の問題はそこにあった。 この会社では毎年、業績評価に基づいて一定数の社員だけを昇進させていた。つまり社員は互いを脅威と感じており、その結果共同作業はうまくいかなかった。

ウーリーが実験結果を発表して以来、特に注目を集めてきたのは職場における性差別に関する洞察だ。一部の男性に見られる女性に対する「上から目線」な行動、たとえば女性の話をさえぎったり訂正したりする不愉快な習性は、近年多くの専門家が指摘している。女性との対話を打ち切ったり、女性が自らの知識を共有するのを妨げたりする行動は、グループのパフォーマンスを損なう。

ウーリーの研究でも(少なくともアメリカでの実験では)、女性の割合の高いグループは、男性の割合が高いグループと比べて、集団的知能が高くなる傾向が見られた。全体として女性の社会的感受性が高いことと関連しているのかもしれない。オンラインゲーム《リーグ・オブ・レジェンズ》で、アバターによってプレーヤーの性別が互いにわからない状況でも、チームの集団的知能には同じ傾向(女性比率が高いほど集団的知能は高い)が見られた。女性がいるとわかっていると男性は行動を変える、という単純な話ではないようだ。

性別による違いが生じる正確な原因はまだわからない。 生物学的バイアスが作用している可能性もあるが(たとえばテストステロンは行動に影響を与えることがわかっており、テストステロンが高い人は行動が衝動的で支配的になる傾向が見られる)、社会的感受性の際は文化的に学習される部分もあるのかもしれない。

290

一つの問題は「地位争い」だった。最高幹部たちは目の前の作業に集中せず、グループで誰が決定権を握るか、誰が勝者になるかばかりを考えていた。また情報を共有せず、互いの意見を融合しようとしなかったので、妥協点を見いだすのがはるかに難しかった。

出世するような人というのは、もともと自信過剰なのだろう、と思うかもしれない。ふだんから利己的な人ばかりを集めたから、このような結果になったのではないか、と。しかし学生を被験者としたさらなる別の実験によって、驚くほどわずかな働きかけで、誰もがこの幹部たちのように利己的にふるまうようになることが示された。

学生たちに最初に与えられたのは、シンプルな作業だった。2人組になり、ブロックで塔をつくるのだ。それぞれのペアのうち、1人をリーダーに、もう1人をフォロワーに指名し、その根拠は事前の質問票である、と説明した。塔をつくるのに成功するか否かは重要ではなかった。 ヒルドレスの目的は、被験者の一部に権力意識を持たせることだった。次の作業では学生たちを3人組に再編した。 最初の作業でリーダーに指名された者ばかりの組と、フォロワーに指名された者ばかりの組だ。そして新しい組織を立ち上げ、ビジネスプランを考えるという創造力を問うテストを与えた。

293

重要なこととして、そこには社員が序列における自らの位置を認識しているか否かが影響しているようだった。メンバーのあいだでそれぞれの相対的地位について共通認識があれば、チーム内で権力争いは起きず、生産性は高かった。最も結果が悪かったのは、地位の高い個人だけで構成されるグループで、互いの上下関係が明らかではないときだった。

このような権力闘争の衝撃的な例で、チーム内に才能がありすぎるとかえって生産性が下がることの明白な証拠と言えるのが、ウォール街の金融機関のなかで「スター」と呼ばれる株式アナリストを対象とした調査だ。インスティテューショナル・インベスター誌は毎年、各セクターのトップアナリストのランキングを発表する。選ばれたアナリストは業界でロックスターのような地位を与えられ、年俸は何百万ドルも増える。メディアにも評論家として頻繁に登場するようになる。言うまでもなく、こうしたスターアナリストの多くは同じ名門企業に所属することが多いが、それは必ずしも会社が期待するほどのリターンをもたらさない。

ハーバード・ビジネススクールのボリス・グロイスバーグは、5年間にわたって金融業界のデータを調べた。その結果、たしかにスタープレーヤーが多いチームのパフォーマンスは優れているが、それには限界点があり、そこを過ぎるとスタープレーヤーを増員してもプラス効果は減少することを明らかにした。リサーチ部門の人員の45%以上をインスティテューショナル・インベスター誌のランキング入りしたアナリストが占めるようになると、部門の効率は低下する。

特にスター同士の専門分野が重なると、直接的な競争関係が生まれ、グループが弱体化するようだった。セクターが違えば、直接的競争は起きないので、そうした問題は起こらなかった。 その場合、会社はさらにスタープレーヤーを採用できるが、それも全体の70%程度までで、それを超えるとエゴのぶつかりあいによってチームのパフォーマンスは一気に低下した。

294-5

ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ロベルトは、ジョン・クラカワーのベストセラーを含む、この悲劇に関する証言を分析した。そして登山隊の意思決定には、いまや私たちにはお馴染みとなったさまざまな認知バイアスが影響したと見ている。たとえばサンクコストの誤謬(登山客はそれぞれ参加費として7万ドルを支払っているうえ、何週間もの努力が無駄になる)やホールとフィッシャーの自信過剰だ。

ただここで私たちが注目したいのは、集団のダイナミクスであり、特にホールとフィッシャーが自らを中心に構築したヒエラルキーだ。ヒエラルキーが集団内の地位争いや内紛を抑え、生産性を高める場合もあることはすでに見てきた。

しかしこのケースではヒエラルキーは凶と出た。登山隊にはホールとフィッシャー以外にも、サブガイドやエベレストを知り尽くした地元のシェルパが含まれており、ホールらの誤りを正せたはずだ。しかし集団には安心して懸念を表明できるような雰囲気はなかった。クラカワーは、ある種の厳格な「序列」があり、顧客はガイドに疑問を呈することを恐れ、ガイドはリーダーであるホールとフィッシャーに疑問を呈することを恐れていたと書いている。サブガイドの1人だったニール・ベイドルマンはのちにこう語っている。「私はガイドのなかでは明らかに3番目だったので、あまり自己主張をしないように努めていた。このため意見を言うべきときに常にそうしたわけではなく、今はそれを後悔している」。

もう1人のガイドであったアナトリ・ブクレーエフも同様に、登山隊が薄い空気に適応できていないことへの懸念を伝えることをしていた。「なるべく議論になるようなことは言わず、誤っているのは自分 のほうだと思い込もうとした

カラカサーによると、ホールは出発前にヒエラルキーに対する自らの考えをはっきりと伝えていたという山に登ったら、反論は一切受けつけない。私の言葉が絶対であり、不服は認めない」

304-5

途中で引き返した登山客の1人、ルー・カシシケも同意する。「リーダーとフォロワーは互いに率直に接することが必要だ」 と、 PBSのインタビューで語っている。登山隊ではリーダーは隊員にフィードバックを求める必要があるが、ホールはそうした意見を一切受けつけなかった。「ロブは私たちとのあいだに、フィードバックを期待するような関係を醸成しなかった」。そうなるとヒエラルキーは生産的であると同時に、危険なものになりうる。

たった1つのケーススタディをもとに結論を出すのは避けるべきだが、ヒマラヤに挑戦した5104の登山隊の記録を分析したアダム・ガリンスキーも、同じ結論に達している。すべての登山者にインタビューをすることはできないため、ガリンスキーは権威に対する姿勢の文化的差異に着目した。さまざまな研究で、集団内のメンバーの立場を厳格に尊重すべきだと考える傾向がある文化もあれば、上司に意義を唱え、疑問を投げかけるのを許容する文化もあることを示している。たとえば広く使われている測定方法によると、中国、イラン、タイの国民は、オランダ、ドイツ、イタリア、ノルウェーなどの国民よりもはるかにヒエラルキーを重んじる傾向がある。その中間にあるのがアメリカ、オーストラリア、イギリスなどだ。

ガリンスキーがこのデータをエベレストの登山記録と照らし合わせたところ、ヒエラルキーを重んじる国の人々で構成される登山隊は、登頂に成功する確率が高かった。これはヒエラルキーが生産性を高め、チームメンバーのあいだの連携をやりやすくするという仮説を支持している。しかし重要なのは、このような登山隊では、メンバーが死亡する確率もまた高かったということだ。

306

同じ発想はグーグルのCEO、スンダー・ピチャイにも見られる。ピチャイはリーダーの最も重要な役割は「他の人々を成功させること」だと言う。母校のインド工科大学カラグプル校でスピーチをした際には、こう説明している。「リーダーシップで重要なのは、自分が成功しようと努力することより優れた人材を確保することであり、リーダーの仕事は優秀な人材がそれぞれの仕事で成功するために障壁や障害を取り除くことだ」

優れたチームワークの原則の多くがそうであるように、リーダーの謙虚さもスポーツ分野で大きなリターンをもたらす。ある研究では、高校のバスケットボールチームで最も成功していたのは、コーチが生徒と距離を置き、生徒の上に立つという考えを持っていたチームではなく、チームに「奉仕する者」と考えていたチームだった。謙虚なコーチの率いる選手は意思が強く、失敗に対処でき、シーズンあたりの勝率も高かった。コーチが謙虚さを示すことは、選手にもう少し努力しよう、チームメートを支えようと思わせる効果があった。

史上最高の大学バスケットボール・コーチと言われるジョン・ウッデンのケースを考えてみよう。

ウッデンはUCLAのコーチとして12年間で10回チームを全米王者に導いた。1971年から14年にかけては、88連勝という記録を作った。こうした輝かしい成功にもかかわらず、ウッデンは自分がチームの選手より偉いという態度は一切とらなかった。それは毎試合後、自らロッカールームを掃除したことにも表れている。

元教え子で、終生の友となったカリーム・アブドゥル・ジャバーは、著書 『Coach Wooden and Me (ウッデン・コーチと私)』(未邦訳)のなかで、ウッデンのいつも変わらない謙虚さを伝えるさまざまなエピソードを紹介し、それは選手と意見が対立した難しい状況でも変わらなかったと書いている。 「コーチは常に変わらず、選手の発言を真摯に受け止め、関係がこじれたときは修復し、われわれ全員に謙虚さを教えた」。ウッデンは自分を含めて、誰もがお互いから学べることをはっきりと伝えた。その結果チームはますます強くなっていった。

311-2

第10章 バカは野火のように広がる――組織が陥る「機能的愚鈍」

だが機能的愚鈍の原因として最も多く、また最も強力なのは、組織に対して完全な忠誠心を求め、 またポジティブであることを過度に重視する空気だ。 そこでは批判することそのものが裏切りであり、落胆や不安を認めることが弱さと見なされる。 スパイサーが特に憂慮するのがこの点だ。とどまるところを知らない楽観主義は、いまやスタートアップから巨大な多国籍企業まで多くの企業文化に浸透している、と言う。

それを示す例として挙げたのが、起業家に関する研究である。 「前のめりに失敗する」「早く、たくさん失敗する」をモットーとすることの多い人々だ。こうしたモットーは「しなやかマインドセット」の表れのようで、将来の成功の確率を高めそうだ。しかし起業家は、自分のやり方のどこが誤っていたのか、それを将来どのように活かせるかと考えるより、失敗の原因を外部要因に求めることが多い(「世の中がまだ私のアイデアに追いついていなかった」)、とスパイサーは指摘する。個人的成長について、じっくり考えていないのだ。

現実は厳しい。初めて起業した人の15~90%は失敗に終わる。しかしひたすら陽気に、ポジティブであろうとする彼らは、自分の失敗に気づかないままだ。 「『前のめりに失敗する」というのは、それをバネに向上していくことを意味しているはずだが、彼らはだんだん劣化していく」とスパイサーは話す。

「自分に都合のよいバイアスのために、また新しいベンチャーを立ち上げ、まったく同じ失敗を繰り返すからだ。しかも自分では、それを美徳だと思っている」

320


最も大きな問題の1つが、ノキアのオペレーションシステム(OS) 「シンビアン」だった。アップルのiOSには見劣りし、高度なタッチスクリーン・アプリを扱うには不向きだった。既存のOSをオーバーホールするには、何年もの開発期間がかかる。しかし経営陣は新製品をすぐに出したがった。

その結果、本来はじっくり将来計画を立てるべきときに、たくさんのプロジェクトを大急ぎで終わらせていた。

残念ながら、社員には会社のやり方に疑念を表明することが一切、認められていなかった。上級管理職に何か気に入らないことを言おうものなら、「声が枯れるまで」怒鳴られるということも日常茶飯事だった。疑問を呈するというのは、仕事を失うリスクをとることだった。「ネガティブなことを言いすぎるのは、自分から処刑台に上がるようなものだ」と、ある中間管理職は2人の研究者に語った。「進行中のプロジェクトを批判すると、本気でそれに取り組んでいない証拠と見なされる空気があった」と語った者もいる。

その結果、社員は目の前の問題が理解できなくても、無知を認める代わりに自分はプロだという顔をしたり、絶対に守れないとわかっている締め切りを受け入れたりするようになった。外部に経営数値を良く見せるために、データに手心を加えるのも厭わなかった。社員が辞めると、意識的に「やればできる」的マインドを持った人材を採用した。現状に疑問を呈することなく、新たな要求に適当に相槌を打つタイプだ。外部のコンサルタントのアドバイスさえ無視した。 あるコンサルタントは「ノキアほど横柄なクライアントはいなかった」と振り返る。 外部の視点を取り入れるチャンスをすべて棒に振ったの社員を集中させ、クリエイティブな発想を奨励するための施策が、むしろノキアがライバルに立ち向かうのを一段と難しくしていた。

この結果、ノキアはOSを適切な水準にアップグレードすることに失敗しつづけ、製品の品質は徐々に低下していった。2010年に「iPhoneキラー」と銘打った新製品「N8」で最後の勝負に出たときには、社員のほとんどは心のなかで成功を信じていなかった。 結局N8は失敗に終わり、さらなる損失を積み重ねた結果、ノキアの携帯電話事業は2013年にマイクロソフトに買収された。

322-3

2003年のスペースシャトル「コロンビア号」の事故では、打ち上げ直後に外部燃料タンクから断熱材の破片が剥落し、左主翼を直撃した。これで主翼に穴が開いたために、シャトルは大気圏に再突入する際に空中分解し、7人の乗組員全員が死亡した。

この事故が何の警告サインもなく、一度きりの偶然によって起きたものであったとしても、悲劇であることに変わりはない。しかしNASAの技術者は、断熱材がこのような形で剥落するリスクを以前から把握していた。過去の発射時にも毎回起きていたからだ。しかしさまざまな理由から、剥落による被害によってシャトルが墜落する事態には至らなかった。このためNASAのスタッフはそのリスクを無視するようになった。

「当初は技術者やマネジャーも気がかりな事象ととらえていたのが、やがて日常的事象に分類されるようになった」。企業の大惨事を研究するワシントンDCのジョージタウン大学の経営学教授、キャサリン・ティンスレイは、私にこう語った。

驚くのは、1986年のチャレンジャー号の事故の原因も同じようなプロセスであったことだ。このときは欠陥のある密閉用部品がフロリダの寒い冬の気候のために劣化したことが爆発につながった。 その後の報告では、部品は過去のミッションでもたびたび割れていたが、スタッフはそれを警告サインととらえず、安全に問題はないと思い込んでいたことが明らかになった。 事故原因を究明する大統領諮問委員会のメンバーだったリチャード・ファインマンは、こう指摘している。「ロシアンルーレットをするとき、1発目を無事に切り抜けたからといって、次も安全だとは思わないだろう」。しかしNASAはこうした教訓から学ばなかったようだ。

ティンスレイは、特定の技術者やマネジャーを批判するつもりはない、と強調する。「本当に優秀な人々が、データを活用し、本当に良い仕事をしようと努力していたのだ」。しかしNASAの誤りは、リスク認識が気づかないうちにどれほど劇的に変わってしまうかを示している。組織として大惨事の可能性がまるで見えていなかった。

その原因は、認知的労力をなるべく避けようとする「結果バイアス」にある。私たちはある判断が実際に引き起こした結果だけに集中し、起こりえた他の結果はまるで顧みない傾向がある。本来有能な人々の足を引っ張る、他の多くの認知バイアスと同じように、その本質は想像力の欠如だ。私たちはある事象の最もわかりやすい結末(実際に何が起きたか)だけを受動的に受け入れ、当初の状況がわずかにでも違ったら、どんなことが起こりえたか、あえて考えようとしない。

ティンスレイはすでに多くの実験を通じて、 「結果バイアス」はさまざまな職業で非常によく見られることを確認した。ある研究では、経営学を学ぶ学生、NASAの職員、さらには宇宙産業の請負会社の人々に、「クリス」という名の無人宇宙船の運行責任者を、3つのミッションから評価してもらった。最初のミッションでは、宇宙船の発射は計画どおり、完璧だった。2回目は重大な設計上の欠陥があったが、幸運に恵まれ(太陽との位置関係)、大通なくミッションを終了することができた。そして3回目では幸運に恵まれず、ミッションは完全な失敗に終わった。

当然ながら、被験者は完全な失敗に終わった3回目を一番厳しく評価した。しかし大部分は2回目の「ニアミス」シナリオで浮かび上がった設計上の欠陥をあっさり無視して、クリスのリーダーシップスキルに称賛を送った。注目すべきは、2回目のニアミスのシナリオを読んだ後、被験者の未来の危険に対する感度が低下したことだ。コロンビア号事故のような大惨事の原因は「結果バイアス」だとするティンスレイの理論を裏づける結果だ。これは組織がゆっくりと失敗に対して免疫を獲得していくケースがあることを示している。

ティンスレイによれば、誤りを見逃す傾向は他の数十件もの惨事にも共通して見られるという。「私たちが研究したすべての惨事や企業の危機において、それ以前に複数のニアミスが起きていた」と、2011年にハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載された記事で結論づけている。

326-8

あるいはパリからニューヨークへと向かった、 エールフランス4590便の事故を振り返ってみよう。2000年7月23日、このコンコルド製旅客機は離陸滑走中に滑走路上で何か尖った破片を踏み、その衝撃で重さ4.5キロのタイヤ片が吹き飛び、主翼下面にぶつかった。その衝撃で燃料タンクが壊れ、離陸時に引火した。旅客機は近隣のホテルに墜落し、113人の死者が出た。 その後の調査で、コンコルド機のタイヤが滑走路で破裂する事案がそれまでに50件発生し、4590便とほぼ同じ損傷があったケースも1件あったことが判明した。そのときはたまたま運よく、漏れた燃料が引火しなかっただけだ。しかしこうしたニアミスは、緊急の対策を要する重大な警告サインとは受け止められなかった。

ここに挙げた危機はいずれもリスクの高い産業における劇的なケーススタディだが、ティンスレイは同じ思考プロセスは他の多くの組織においても潜在的危険の温床となる、と指摘する。 ニアミス1000件あたり重大な死亡・負傷事故が1件、そして少なくとも10件の軽傷事故が起きていることを示す、労働安全に関する研究データもあるという。

329-330

カール・ワイクとキャスリーン・サトクリフはこうした知見に基づき、信頼性の高い組織に共通して見られる、いくつかの中核的特性をまとめた。

・ 失敗へのこだわり: 組織は成功に慢心せず、従業員は「毎日、悪いことが起こるかもしれない」という意識を持つ。組織はミスを自ら報告した従業員を評価する。

・ 単純な解釈の忌避: 前提を疑い、一般通念を懐疑的に見る従業員を評価する。たとえばディーブウォーター・ホライズンでは、多くの技術者やマネジャーが、セメント品質の低さに懸念を表明し、さらなる検査を要求してもおかしくはなかった。

・ 業務への感度: チームメンバーはコミュニケーションと交流を絶やさず、目の前の状況への理解を常にアップデートし、異常値があれば根本原因を追究する。 ディープウォーター・ホライズンでは、掘削施設の作業員は減圧テストの異常値を見たとき、最初の説明に納得せず、もっと掘り下げるべきだった。

・ レジリエンスの強化: ミスが起きたときに最悪の事態を食い止めるための知識やリソースを強化する。たとえば頻繁に起こりうる失敗を予測してみる、 ニアミスについて議論する、といったことだ。BPはディープウォーター・ホライズンで爆発が起こるはるか以前に、それまでの軽微な事故の背景にあった組織的要因を分析し、噴出が起きたときにすべてのチームメンバーが十分対処できるようにすべきだった。

・ 専門的意見への敬意: これは組織の異なる階層のあいだでコミュニケーションがあること、そして経営トップの知的謙虚さの重要性に関する項目だ。経営層は現場の意見を信頼する必要がある。たとえばトヨタやNASAはいずれも技術者の懸念に注意を払わなかった。同じようにディープウォーター・ホライズンの爆発後、BPの従業員は解雇されることを恐れて懸念を表明できなかったとメディアに報じられた。

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