日々谷ヘッダー1

会社概要 8)「トラブルがあってもなんとかなります。」

 菊之丞から爆薬を受け取った鉄男は、より速く走る。任されたからには全力を尽くさなくてはならないからだ。

「二郎、残り四個だ。指示よろしく」
「四個か……」

 二郎はモニターを睨む。千鶴の相手をしている二人の様子はどうだろうかと見てみれば、随分と苦戦を強いられているようだ。仕方のないことなのだが。急がなければならない。

「……よし、二個づつに分けて設置しよう。片方は表玄関、もう片方は台所だ。貴士の方はどうだ」
「終わった!」
「貴士はそのまま離脱。菊之丞も行けそうか」
「大丈夫だ。起爆しなければならんだろう、車に戻らなければ」
「分かった、お前さんも即離脱してくれ。問題は……」
「……俺らか」

 呻くような英治の声。呼吸は荒い。

「行けそうか?」
「今すぐ離脱しちまっていい、ってんなら」
「鉄男、あとどれ位かかる」
「一分!」

 叫び返す鉄男。

「一分でなんとかする!」
「その言葉、信じるぞ?」
「任せとけっつうの!」

 インカムから聞こえる、吠えるような鉄男の返答に、英治は覚悟を決めた。
 千鶴との戦闘で相当に頭を揺さぶられている。打撃も散々受けており、本当はその場に座り込んで休憩がしたい。隣の保もほぼ限界。こちらは千鶴と怒涛の蹴撃戦を繰り広げ、胴体にかなりいいのを二発食らっている。よく立っていられるものだと、内心で感心するほどだ。

「聞いたか保」
「聞いた。やっとこさ逃げられるのね」
「そういうこった」

 そして英治が懐から取り出したのは、一本の鎖であった。ただの鎖ではない。少し細身の金属製チェーンの両端には金属の重りがついていた。分銅鎖、というものである。それこそ、忍者が使うような。
 インカムをとうの昔に外している千鶴は、悠長に待ってくれはしない。仮に聞いていたとしても従ってはくれないだろう。伊能千鶴はそういう男だ。そもそも、そうでなければこんな事態には陥っていない。
 掴みかかろうとする千鶴。千鶴に対し、吶喊する保。勢いをつけて走り、飛ぶ。真正面から。保の膝が上がる。狙うは顔面だ。千鶴は咄嗟に防御へと姿勢を変えようと、僅かに伸ばした手を引いた。
 その瞬間を待っていたのだ。二人の横に入り込んだ英治。分銅鎖の端を千鶴の片腕に巻き付ける。ヒット寸前の保の膝を、千鶴は空いたもう片腕で防ぎ、そのまま膝を鷲掴みにして投げ飛ばした。すかさず、伸び切った腕を絡め取るようにして残りの鎖を千鶴の体に巻き付け、英治は叫んだ。

「……離脱!」

 ありえないような反応速度とパワーで吹っ飛ばされた保が、受け身を取った後、転がるように窓へと走る。英治は反対側の部屋へ。いくら頑丈な鎖とは言え、一体何秒保つのか分からない。千鶴なら簡単に引き千切ってしまうからだ。だが僅かな時間だけでも稼げれば良い。
 走る。走る。窓に向かって走る。背後で窓の割れる音がした。英治自身も、その身を前方の窓へと投げた。

 表玄関に爆薬を設置し終えた鉄男が戸を潜り抜け、ポケットから車のキーを取り出す。既に社用車の側に居た貴士を確認すると、電子キーのロックボタンを押した。バックドアを勢い良く開ける貴士、車内に飛び込み、手にするのは起爆用スイッチ。

 菊之丞も同じく、自分の車に戻っていた。滑り込むように中へ、手を伸ばして、起爆スイッチを握る。

 二郎はそれら全てをモニターで確認して、言った。

「起爆!」

 同時に押されるスイッチボタン。建物の所々で、くぐもった爆発音。爆薬自体にそれ程の火力はない。しかし、この歪な建物の要を崩すには十分すぎる威力があった。
 爆音の後に僅かな間。全体がぐらりと揺れた。軋む音を立てて壁が崩れる。屋根を支えるだけの力を失ったからであった。そして、屋根全体が、地響きを立てて崩落した。
 屋根の落下による爆風が埃と砂と土を巻き上げて、離脱した社員達を叩く。思わず腕で庇って、爆風が収まるのを待つ。

「……みんな、無事か」

 モニターはもう役に立たない。二郎は恐る恐る、言葉を発した。

「……ああヤバイ……俺のマチェットと分銅鎖が……ニンジャひみつ道具が……」
「無事みたいだな」

 頭を抱える英治。彼の生命は無事でも、彼の懐事情的には無事ではない。

「ああ、マチェットだったら俺が拾ったぞ」
「菊之丞やさしい!」
「だがこの刃毀れだと、研いでも駄目なんじゃないか」
「うへぇ容赦なし!」

 地面に引っくり返る英治であったが、ふと、何かの音に気付く。ごそごそと、崩れた屋根の下から聞こえてくるのだ。顔だけ無理矢理に上げて音の方向を見る。
 崩れた屋根、その一部がもそり、もそりと動いている。動きが徐々に大きくなり、英治は体を起こしてそいつを見つめた。
 何かが下から突き上げているのだ。どかん、どかんと激しい音が響き、そして最後に、中から飛び出した。
 埃と瓦礫まみれの、千鶴であった。

「……ああ、びっくりした」

 この一言で済んでしまうのか、そう、済んでしまうのだ。表情はすっかり普通に戻っていて、まるで憑き物が落ちたかのよう。

「千鶴ちゃん、どうよ。落ち着いた?」
「ああ。……そうだ、英治すまん。アレ、壊してしまった」
「分銅鎖か? まあいいよ。新しいの欲しかったし」

 英治はへらりと笑って、「帰ろ」と言うと、千鶴も「帰ろう」と返した。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。