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 告別式には密葬であるにも関わらず、なかなかの人数が参列した。原因はイタリアからやって来た両親の同僚達である。皆が皆信じられぬ、原因が分からぬと嘯いた。
 相田だけではない、他の誰もが、彼等の自殺に心当たりがなかった。ただ呆然と突き付けられる死を目の当たりにするしか無かった。だが何を言っても両親は目覚めない。彼等への手向けは返ってこない。

 相田は喪主として必死に振る舞った。そうしている方が気が紛れたからだ。面倒な挨拶だろうが何でもやった。しかし、網屋の方がさらに忙しかったであろう。隣組の手伝いを受けない代わりに、網屋一人で受付をこなしたからだ。流石に葬儀場の職員が何人か手伝ってくれたが、それでもかなりの重労働である。

 冗長に思える読経も実際に行ってみればあっという間で、気が付けばもう火葬場に運ぶ段階になっていた。葬儀場のほぼ真横に火葬場があるので移動は速い。

 やけに白い印象の火葬場。ごうごうと唸る音が壁の向こう側から聞こえてくる。ごうごう、ごうごうと。遺体を燃やす業火の音。低く唸り、燃やし尽くす炎。
 最低限の大きさの扉が開いて、小さなスペースに棺が収められると、小さな扉は再び外界を遮断してしまう。ごうごうと燃える音。

 遺体を燃やしている間の会食はなく、ほとんどの参列者がここで帰ることとなった。網屋と、そして三医師が相田に付き合うと手を挙げた。
 網屋は元から最後まで付き添う気であったし、諸々の代理人として動いているので当然だが、医師達が残ったのは相田を一人にするのは良くないと思ったからだ。その判断は本能的なものであった。

 火葬場に人気はない。その片隅、袋小路のような一角にいくつか椅子が置いてある。天井まである大きなガラス窓から箱庭が見える。開けているように見えて、実際は外の塀が高く周囲を覆っている。上から降り注ぐ光ばかりが空の高さを教える。
 相田は椅子に座り、息を長く吐き出した。疲労はピークに達している。ろくに睡眠も取っていないのだ。食事も喉を通らない。悪い状態であることは医師達に限らず、網屋も見て取ることができた。今日は何が何でも食事を取らせなければなるまい、と網屋は固く誓う。
 じっとしている相田に誰も声をかけることができず、沈黙が雪のように降り積もるかと思われたが、静寂を破ったのは当の本人であった。

「……そうだ……先生達に、ちょっと聞きたいことが」
「ん? なんだい」

 通夜も含めて、ようやっと発せられた相田自身の言葉に医師達は過剰に反応した。言葉のすべてを逃すまいと藻掻く。

「ええと、この写真の人なんですけど、ご存知ありませんか?」

 スマホを引っ張り出し、該当の写真を示す相田。

「父と母が取材していた人だと思うんですが、前に病院で見かけたなって思って。病院の人かどうかは、その、分からないんですけど。何か親のこと知っているなら、話を聞きたいんです。どんなことでもいいから」

 差し出されるスマホを割れやすいガラスのように受け取って、中川路は画面を見つめた。

「あれ、市村じゃないか、これ」
「え、イッチー?」

 塩野と目澤も、知っている名前に思わず顔を寄せて画面を覗き込む。

「他の写真も見ていいかい?」
「どうぞ」

 何枚も出てくる写真、そのほとんどが市村を写したもの。納得のいったような顔で中川路が呟く。

「相田君のお父さん、前に言ってたもんな。医療研究チームの取材してるって……そうか、市村が協力してたチームだったか」

 呟きながら次々と写真を見てゆく。研究所の所長室だろうか、背後には大量の研究資料が積み重なっている。市村は相変わらずふわふわしていて、よく見れば寝癖がついたままだ。癖毛に紛れて分かりにくいのがせめてもの救いか。
 相田の母が撮った写真を見ているだけでも、市村が熱心に説明しているのが分かった。生真面目に語っている姿を、相田の母は的確に写していた。いや、彼の一瞬を切り取っているかのようだ。徐々に熱がこもってゆく様を動画で見ているような錯覚。

 にしても、とにかく大量に枚数がある。つい、写真をスライドする速度が上がってゆく。
 だがその途中で突如、塩野が叫んだ。

「待って! その前の写真、見せて」
「前?」
「うん」

 ひとつ前に戻ると、そこには市村が微笑んでいる姿があった。話している最中であるのか、斜め横からの角度で撮影されている。ごく穏やかな笑顔である画像を、塩野はこれ以上無いほど真剣な顔付きで睨みつけた。

「どうした、塩野」

 中川路と目澤の顔を見つめ、もう一度画像に視線を移し、塩野は「まさか……」と呻く。口に手を当ててごく小さな声で呟いただけだったが、この静かな火葬場では皆の耳に届いてしまった。口に出してしまったことを後悔したがもう遅い。それほどまでに、彼が驚愕する事実が画像には写し出されていたのだ。
 現実から目を背けるように眼鏡を外し、しかし逃れることはできず、今度は口から何かが漏れないように掌で塞ぎ、しかし話すべきであると認識し、塩野は両手で顔を覆った。
 中川路から相田のスマホを受け取ると、眼鏡を掛けなおして写真を一枚づつ見つめる。だが十枚ほど確認すると動きが止まった。

「……そんな……嘘だぁ」

 困り果てている。その顔を見れば分かる。中川路と目澤は互いに頷く。

「言え。何を見た」
「正直に言ってくれた方が俺達も助かる」

 二人を縋るように見つめる塩野の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいる。口を一度は開くが声は出ず、酸素不足の魚のように何度も口を開閉させてからようやく、言葉が押し出された。

「イッチーの、この、笑い方…………キャンディの中毒症状だ……!」
「おい塩野、お前」

 否定しようとする中川路、だが彼も分かっている。塩野が嘘をつくはずがないということを。この場で塩野が嘘をついてどうなる。残念ながら塩野は身内に嘘をつく人間ではない。仮に虚構であったとしても、何らかの理由があるはずだ。
 二人からの視線を受けて、塩野は説明を始めた。

「キャンディ中毒者の特徴なんだ、この笑い方。精神的な由来じゃない、これはもう、摂取することによって分泌される脳内物質の関係上、この笑顔になるんだ。キャンディを摂取しなければこの笑い方はできないんだ!」

 仏のような、どこまでも穏やかな、笑み。何の悪意も無いような、柔らかい微笑み。

 麻薬には様々な身体的症状がある。薬物の種類によっても差異があり、瞳孔拡大、発汗、痙攣、皮膚の赤味やシミ、歯の食い縛り、斜視、充血、口腔内の乾燥、甘い体臭など多岐に渡る。
 そして、『キャンディ』中毒者に表れるのが特有の笑顔である。何も知らない人間から見ればただの柔らかい笑顔にしか過ぎないが、顔面の筋肉の収縮や弛緩が普通の笑顔とは僅かに違う。それは、常人には浮かべることのできない笑顔であるのだ。
 勘の良い人間ならば違和感を感じるかもしれない、それ程度だ。しかし精神医学的見地からすれば、それはあまりにも異様な表情であり、明確な症状の発露であった。

「いや、しかし、どうして市村が」
「分かんない、でも摂取しているのは間違いない。何かに巻き込まれたか、それとも誰かに摂取させられたのか……本人が知らないうちに、食事とかに混入してる可能性もあるよ?」
「ああクソッ、あいつボンヤリしてるからな……だから気を付けろって言ったのに……!」

 思わず壁を殴りつける中川路。不安そうな相田と目が合って、彼は我に返った。唇の端を動かしてなんとか笑みを作ってみせるが、苦笑の形にしかならない。

「……すまない、ちょっとね」
「いえ、大丈夫です」
「ええと……こいつは俺達の仲間で、市村文明ってやつだ。茨城県のつくば市にある薬学研究所の所長をしている男でね。まあさっきも言ったけど、多分相田君のご両親が取材してた医療研究チーム、そこと共同開発してた相手が市村なんだろう。前に会った時、そんなこと言ってたからな」

 やけに早口なのは中川路の混乱の現れだ。理解できない状況を、なんとか分かる事項だけでも並べて捻じ伏せようとしているのだ。

「とりあえず、電話してみよう。何か知ってるかもしれない。相田君のご両親のこと」

 言いながら既に電話をかけ始めていて、中川路がどれだけ焦っているのかよく分かる。椅子に座ればよいのに腰掛けもせず、うろうろと歩き回りながらコール音を聞いている様はまるで異常行動を起こしている檻の中の動物のようだ。
 コールの回数は多い。それでも中川路は待った。普通なら切っているであろう回数でも待った。ようやっと相手が出たときなど、安堵の溜息をついたほどだ。慌ててスピーカーに切り替え、皆に聞こえるようにしてから通話を開始する。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。